デッドオアドライブ
・十代とジムと可哀想なオブライエン。
・書いてる本人はジム十のつもり。
#ジム十 #現代パラレル
右を見ても左を見ても荒野が地平線まで続き、更には切り立った岩山が連なる大自然。その中を只管一直線に進むのなら爽快で楽しかろう。まるで洋画のエンドロールのように。
しかし此処は何処だ? ご覧の通りビル街だ。歩道に溢れるのは風に巻き上げられた草の塊ではなくスーツに身を包んだ人々だ。車の窓から垣間見える彼らの表情は訝しげなものばかりでお騒がせして申し訳ないと謝りたくなる。その間もボトルホルダーのペットボトルががたがたと揺れて五月蝿かった。今にも飛び跳ねてしまうのではないかと心配で、オブライエンは仕方なくそれを手の中に収めることにした。膝の上で持っておくのが最も安全だろうと思ったのだ。そうしているうちに今まで車窓をひゅんひゅん過ぎていた人々の影がのろくなり、かと思っていたら唐突なブレーキと共に車は停止した。視界の端に赤信号が見える。毎度この停まり方はやめてほしい、と信号毎に深まっていく溜息をついて、後部座席からの光景をオブライエンの目が捉えた。
右には鰐のカレンが居て、その前の助手席にはハンバーガーを袋から出す十代が居て、買ったばかりのそれを彼から受け取るジムは運転席から不思議そうに自分を振り返っている。「どうした、オブライエン? 眠いのか?」どうしたもこうしたも、前を向け前を! 愉快で堪らないといった風なジムの隣で十代が指差す。
「あ、信号青だぜ」
「早いな。ブレイクを取るのはやはり高速に乗ってからかもしれない」
時速百キロを越す中での休憩など勘弁願いたい。オブライエンの心中などこれっぽっちも察することなく、彼ら三人と一頭を運ぶクーパーは標識に従って高速道路を目指していく。
映画のように、或いは自分の母国のように開けっ広げの道を疾走するならばこんなにも心臓に冷や汗を掻くこともあるまいが、アクセルを踏む時もブレーキを踏む時もジムの運転はダイナミックであるから落ち着く暇を与えてくれない。けれども十代やカレンは慣れたものなのか動じずにいてそれどころか食事を楽しむ有様なので、驚きを通り越して一種の畏怖をオブライエンに抱かせたくらいだった。落ち着く為にペットボトルの口を開け、烏龍茶を一口、二口喉へ注ぐ。その間もジムは容赦なくスピードを上げるので、せめて料金所を抜けるまでは落ち着いて走ってくれと飲みながら願った。
そもそも本日快晴の元にオブライエンがこうしているのは十代から「良い天気だから駅前に九時集合な」とメールがあったからで、突然の呼び出しだが十代のやることといえば多少奇天烈な内容でも総じて面白いものに違いないと判断したから来たまでだ。だがジムが加われば事情は異なる。都合が悪いという意味ではない、奇天烈さが格段に上がるのだ。例えば先月はフィールドワークと題して一泊二日の登山に連行されたし、その前は暑いから川に行くと言われてついて行ったらせせらぎが美しい川ではなく互いの声を聴き取るのがやっとというくらい轟音を響かせる滝だった。活動的なのが十代とジムの共通点なので二人が合わさると相乗効果となるらしい。
さてここで本日待ち合わせ場所に現れたのが、制限速度を明らかに超えていると思われる青のクーパーだった時の俺の気持ちを想像してもらいたい。十代は車を持っていない。ということは他の誰かが運転し十代を連れてきたということだ。その誰かが誰だと特定するのにものの一秒もかからなかった。
「ヘイ! 十代からコールされて来たぜ!」
左ハンドルの運転席、その窓に長身を無理やりねじ込んでいたのはオブライエンの予想通りの人物で、ああ畜生! と彼が顔を覆ったのも致し方あるまい。
「このまま暫く道なりだなあ」
広げていた地図を閉じ、十代はハンバーガーに食らいつきながらもごもごと言った。トラックを追い抜きつつ平日の高速道路を駆け抜けて、この車が一体何処へ向かうのか、オブライエンにはまだ知らされていない。これが十代一人なら遠慮なく訊ねていただろうがそうではないので、このまま到着まで知らずにいる方がかえって幸せかもしれないという考えがオブライエンの頭に浮かんでいた。山だろうが川だろうが、その名称に騙され安心してしまっては後々後悔するだろうから。
「オブライエンほんとに昼飯いらねえの?」
「ああ……腹は減ってないから代わりに食え」
「じゃあ有難く」
「アーユースリーピー? 寝てても良いぜ」
「分かったからお前は安全運転を心掛けろジム」
「オーライ!」
返事とは反対にスピードが更に上がる。「安全運転だと言ってるだろ!」これでは眠気を感じるどころではないというのに!
その後、三時間もの高速運転から解放されたオブライエンを待ち受けていたのは、山でもなければ川でもない、太陽の反射が眩しい大海原だった。まるで光の粒をちりばめたようなきらめきに車から降りた時は目が眩んだが、それを一粒残らず吹き飛ばしたのが直後十代から渡されたフェリーのチケットである。記されていたのは離島の名前。財布と携帯電話だけでは身軽過ぎるだろう目的地。だが今更引き返して荷物を取りに帰るなんて出来ない距離で、加えて十代もジムも(カレンも)荷物なんてあってないようなものだったから、離島に行ったってどうにかなる気がした。根拠は無いがこの顔ぶれだ、旅は道連れである。
出航の汽笛に乗せて再び呟く。「ああ畜生」今度は一週間は帰れそうにない。畳む
・十代とジムと可哀想なオブライエン。
・書いてる本人はジム十のつもり。
#ジム十 #現代パラレル
右を見ても左を見ても荒野が地平線まで続き、更には切り立った岩山が連なる大自然。その中を只管一直線に進むのなら爽快で楽しかろう。まるで洋画のエンドロールのように。
しかし此処は何処だ? ご覧の通りビル街だ。歩道に溢れるのは風に巻き上げられた草の塊ではなくスーツに身を包んだ人々だ。車の窓から垣間見える彼らの表情は訝しげなものばかりでお騒がせして申し訳ないと謝りたくなる。その間もボトルホルダーのペットボトルががたがたと揺れて五月蝿かった。今にも飛び跳ねてしまうのではないかと心配で、オブライエンは仕方なくそれを手の中に収めることにした。膝の上で持っておくのが最も安全だろうと思ったのだ。そうしているうちに今まで車窓をひゅんひゅん過ぎていた人々の影がのろくなり、かと思っていたら唐突なブレーキと共に車は停止した。視界の端に赤信号が見える。毎度この停まり方はやめてほしい、と信号毎に深まっていく溜息をついて、後部座席からの光景をオブライエンの目が捉えた。
右には鰐のカレンが居て、その前の助手席にはハンバーガーを袋から出す十代が居て、買ったばかりのそれを彼から受け取るジムは運転席から不思議そうに自分を振り返っている。「どうした、オブライエン? 眠いのか?」どうしたもこうしたも、前を向け前を! 愉快で堪らないといった風なジムの隣で十代が指差す。
「あ、信号青だぜ」
「早いな。ブレイクを取るのはやはり高速に乗ってからかもしれない」
時速百キロを越す中での休憩など勘弁願いたい。オブライエンの心中などこれっぽっちも察することなく、彼ら三人と一頭を運ぶクーパーは標識に従って高速道路を目指していく。
映画のように、或いは自分の母国のように開けっ広げの道を疾走するならばこんなにも心臓に冷や汗を掻くこともあるまいが、アクセルを踏む時もブレーキを踏む時もジムの運転はダイナミックであるから落ち着く暇を与えてくれない。けれども十代やカレンは慣れたものなのか動じずにいてそれどころか食事を楽しむ有様なので、驚きを通り越して一種の畏怖をオブライエンに抱かせたくらいだった。落ち着く為にペットボトルの口を開け、烏龍茶を一口、二口喉へ注ぐ。その間もジムは容赦なくスピードを上げるので、せめて料金所を抜けるまでは落ち着いて走ってくれと飲みながら願った。
そもそも本日快晴の元にオブライエンがこうしているのは十代から「良い天気だから駅前に九時集合な」とメールがあったからで、突然の呼び出しだが十代のやることといえば多少奇天烈な内容でも総じて面白いものに違いないと判断したから来たまでだ。だがジムが加われば事情は異なる。都合が悪いという意味ではない、奇天烈さが格段に上がるのだ。例えば先月はフィールドワークと題して一泊二日の登山に連行されたし、その前は暑いから川に行くと言われてついて行ったらせせらぎが美しい川ではなく互いの声を聴き取るのがやっとというくらい轟音を響かせる滝だった。活動的なのが十代とジムの共通点なので二人が合わさると相乗効果となるらしい。
さてここで本日待ち合わせ場所に現れたのが、制限速度を明らかに超えていると思われる青のクーパーだった時の俺の気持ちを想像してもらいたい。十代は車を持っていない。ということは他の誰かが運転し十代を連れてきたということだ。その誰かが誰だと特定するのにものの一秒もかからなかった。
「ヘイ! 十代からコールされて来たぜ!」
左ハンドルの運転席、その窓に長身を無理やりねじ込んでいたのはオブライエンの予想通りの人物で、ああ畜生! と彼が顔を覆ったのも致し方あるまい。
「このまま暫く道なりだなあ」
広げていた地図を閉じ、十代はハンバーガーに食らいつきながらもごもごと言った。トラックを追い抜きつつ平日の高速道路を駆け抜けて、この車が一体何処へ向かうのか、オブライエンにはまだ知らされていない。これが十代一人なら遠慮なく訊ねていただろうがそうではないので、このまま到着まで知らずにいる方がかえって幸せかもしれないという考えがオブライエンの頭に浮かんでいた。山だろうが川だろうが、その名称に騙され安心してしまっては後々後悔するだろうから。
「オブライエンほんとに昼飯いらねえの?」
「ああ……腹は減ってないから代わりに食え」
「じゃあ有難く」
「アーユースリーピー? 寝てても良いぜ」
「分かったからお前は安全運転を心掛けろジム」
「オーライ!」
返事とは反対にスピードが更に上がる。「安全運転だと言ってるだろ!」これでは眠気を感じるどころではないというのに!
その後、三時間もの高速運転から解放されたオブライエンを待ち受けていたのは、山でもなければ川でもない、太陽の反射が眩しい大海原だった。まるで光の粒をちりばめたようなきらめきに車から降りた時は目が眩んだが、それを一粒残らず吹き飛ばしたのが直後十代から渡されたフェリーのチケットである。記されていたのは離島の名前。財布と携帯電話だけでは身軽過ぎるだろう目的地。だが今更引き返して荷物を取りに帰るなんて出来ない距離で、加えて十代もジムも(カレンも)荷物なんてあってないようなものだったから、離島に行ったってどうにかなる気がした。根拠は無いがこの顔ぶれだ、旅は道連れである。
出航の汽笛に乗せて再び呟く。「ああ畜生」今度は一週間は帰れそうにない。畳む
エデンの双子
・双子の高校生のふたり。
#覇十 #現代パラレル
これで性格が似通っていたら仲の良い双子として揃って微笑ましく接してもらえたかもしれないが、そうはならなかったのだから人生は不公平から始まっているとしか言えない。そもそも十代のような天真爛漫という言葉以外に当てはまるものが見当たらないくらい笑顔の絶えない、裏表のない(これはただ馬鹿なだけかもしれない)人間が、俺の存在の所為で近寄り難いものとして扱われるのが到底許せなかったのは事実だ。だから高校ではなるべく俺とは行動を共にしないよう距離を取るようにと入学前から耳にタコができるほど言い聞かせてきたのだが、そこは俺の双子の弟、言って聞くような性格ではない。誰もが遠巻きに見てくる中で弟だけは満面の笑みで俺を呼ぶのであった。
十代はすぐに高校に慣れた。社交性に富んだ彼は友人を作ることにも長けていて、しかも相手の顔色を伺うことなどせずとも自然体でいるだけで他人が寄ってくるのだから、彼の魅力は彼自身にあるのだろうと思う。彼のどこそこが、等ではなく。それなのに一年の半分が過ぎた頃になるとその友人達は十代の元を訪れなくなってしまった。十代が違うクラスの俺の元へと通い続けていたからだ。十代と異なり友人と呼べる存在を作らずに成長してきた俺には他人への関心が皆無で話題を提供することなど到底なく、ただ出来ることといえば人間関係を拗らせることだけだと幼い頃からよく分かっていた。だから学校では俺に引っ付くなと言っておいたのだ。俺と居れば十代の友人らは敬遠するに違いないから。とこしえの春のような十代とは似ても似つかぬ性格であるから。雪崩に巻き込まれ死にそうな深い雪山に誰が望んで侵入するだろうか。かけ離れた俺達が双子として生まれたのは、どこまでもこの世の天秤がアンバランスだという証明のように思えた。
いつもそうだ。小学校でも中学校でもそれ以外のコミュニティでも、結局残るのは俺と十代の二人だけ。もしかしたら十代には他にも何か残されたかもしれない。しかし俺には常に十代しか残されない。俺の履歴にあるのは十代との記憶のみだ。積み重ねてきた時の欠片を分かち合う相手がたった一人だなんて、俺にとっては幸福以外の何物でもなかった。故に折角の高校生活をこんな状態で弟に過ごさせてたまるかと思う一方で、十代が傍に居ることで漸く感じることの出来る生の感覚に酔い痴れる俺は、たとえ大切な弟の友人であろうとも、他人のことなど心底どうでもいいろくでもない人間であるのは間違いない。肝心なのはこうして二人で居ることなのだ。生きていくことなのだ。
二年前、僅かな懺悔を抱きながら弟と家路についたことなどはるか昔の出来事みたいに、最上級生になった俺は当然の権利として十代の隣に立っている。
「大学、どうするんだ」
「んー、なんかぱっとしないんだよなぁ。進学するのやめよっかなぁ」
「お前はやればできるんだ。必須科目は教えてやるから、今度の模試で俺が言う大学名を志望校に書いてみろ。目安になる」
「覇王が言うならそうする」
白いシャツが鮮やかな日の光を反射してその色以上に眩しく見えた。放課後にだけ満ちる、ざわめきの膜に包まれた静寂の教室。開け放した窓の上には未だ落ちようとしない光の塊が熱射を浴びせてくる。汗ばんだ制服が邪魔だ。本格的な夏になりかけた世界は蒸し暑く余計に心地を悪くしていたが、誰も近寄らない教室の片隅で小さな楽園を形成し、俺達はその中で緩やかな呼吸をし続けていた。
「進路希望の紙、出しに行くから。覇王も一緒に行こうな」
「行くのは良いがお前と共に説教をくらうのは気が進まんな」
「そんなこと言うなよ、お兄ちゃん」
そう笑う十代の唇から時折零れる湿った吐息が皮膚を撫でるたび、その下を流れる血液が熱く唸って、一層弟を愛おしく思った。お前がそうして孤独で在る限り、俺もまた生きていけるのだから。
そしていつまで経っても俺達は、完全に一人にはなれない。畳む
・双子の高校生のふたり。
#覇十 #現代パラレル
これで性格が似通っていたら仲の良い双子として揃って微笑ましく接してもらえたかもしれないが、そうはならなかったのだから人生は不公平から始まっているとしか言えない。そもそも十代のような天真爛漫という言葉以外に当てはまるものが見当たらないくらい笑顔の絶えない、裏表のない(これはただ馬鹿なだけかもしれない)人間が、俺の存在の所為で近寄り難いものとして扱われるのが到底許せなかったのは事実だ。だから高校ではなるべく俺とは行動を共にしないよう距離を取るようにと入学前から耳にタコができるほど言い聞かせてきたのだが、そこは俺の双子の弟、言って聞くような性格ではない。誰もが遠巻きに見てくる中で弟だけは満面の笑みで俺を呼ぶのであった。
十代はすぐに高校に慣れた。社交性に富んだ彼は友人を作ることにも長けていて、しかも相手の顔色を伺うことなどせずとも自然体でいるだけで他人が寄ってくるのだから、彼の魅力は彼自身にあるのだろうと思う。彼のどこそこが、等ではなく。それなのに一年の半分が過ぎた頃になるとその友人達は十代の元を訪れなくなってしまった。十代が違うクラスの俺の元へと通い続けていたからだ。十代と異なり友人と呼べる存在を作らずに成長してきた俺には他人への関心が皆無で話題を提供することなど到底なく、ただ出来ることといえば人間関係を拗らせることだけだと幼い頃からよく分かっていた。だから学校では俺に引っ付くなと言っておいたのだ。俺と居れば十代の友人らは敬遠するに違いないから。とこしえの春のような十代とは似ても似つかぬ性格であるから。雪崩に巻き込まれ死にそうな深い雪山に誰が望んで侵入するだろうか。かけ離れた俺達が双子として生まれたのは、どこまでもこの世の天秤がアンバランスだという証明のように思えた。
いつもそうだ。小学校でも中学校でもそれ以外のコミュニティでも、結局残るのは俺と十代の二人だけ。もしかしたら十代には他にも何か残されたかもしれない。しかし俺には常に十代しか残されない。俺の履歴にあるのは十代との記憶のみだ。積み重ねてきた時の欠片を分かち合う相手がたった一人だなんて、俺にとっては幸福以外の何物でもなかった。故に折角の高校生活をこんな状態で弟に過ごさせてたまるかと思う一方で、十代が傍に居ることで漸く感じることの出来る生の感覚に酔い痴れる俺は、たとえ大切な弟の友人であろうとも、他人のことなど心底どうでもいいろくでもない人間であるのは間違いない。肝心なのはこうして二人で居ることなのだ。生きていくことなのだ。
二年前、僅かな懺悔を抱きながら弟と家路についたことなどはるか昔の出来事みたいに、最上級生になった俺は当然の権利として十代の隣に立っている。
「大学、どうするんだ」
「んー、なんかぱっとしないんだよなぁ。進学するのやめよっかなぁ」
「お前はやればできるんだ。必須科目は教えてやるから、今度の模試で俺が言う大学名を志望校に書いてみろ。目安になる」
「覇王が言うならそうする」
白いシャツが鮮やかな日の光を反射してその色以上に眩しく見えた。放課後にだけ満ちる、ざわめきの膜に包まれた静寂の教室。開け放した窓の上には未だ落ちようとしない光の塊が熱射を浴びせてくる。汗ばんだ制服が邪魔だ。本格的な夏になりかけた世界は蒸し暑く余計に心地を悪くしていたが、誰も近寄らない教室の片隅で小さな楽園を形成し、俺達はその中で緩やかな呼吸をし続けていた。
「進路希望の紙、出しに行くから。覇王も一緒に行こうな」
「行くのは良いがお前と共に説教をくらうのは気が進まんな」
「そんなこと言うなよ、お兄ちゃん」
そう笑う十代の唇から時折零れる湿った吐息が皮膚を撫でるたび、その下を流れる血液が熱く唸って、一層弟を愛おしく思った。お前がそうして孤独で在る限り、俺もまた生きていけるのだから。
そしていつまで経っても俺達は、完全に一人にはなれない。畳む
俺の国に来いよ
・空港でばったり出会うヨハンと十代。
・未来捏造。
#ヨハ十
次のフライトまであと三時間は残っている。空港のざわめきに目を瞑り少し睡眠を取るのも良いかもしれないが、久方振りのヨーロッパだ、ガラス越しにでも雰囲気を楽しむのも悪くは無いだろう。一つしかない手荷物を抱えなおし、十代は確認の為に取り出したチケットを再び内ポケットへ仕舞った。たったこんな紙切れだけで空を跨いで何処までも行けるのが少し可笑しかった。無論そこは渡航費について考慮されていない、単純な感想である。しいて言うならパスポートは忘れてはならない。
あちこちを目指して交錯する人々の横を十代は進んだ。左に目を遣れば巨大な機械仕掛けの鳥がいくつも羽を伸ばしていて、そこに描かれている色とりどりのペイント――異国語の航空会社の名前さえぐにゃぐにゃした絵に見える――が彼を僅かに楽しませる。日本語も目にすることはあるが少ない。慣れ親しんだ国を離れて、もう結構な年数が経っていた。僅かな感傷に浸るのも既に初めてではなく、今でも無性にあの頃が懐かしくなって、一瞬だけ戻りたいとさえ思うことがある。試行錯誤を繰り返していたあの学園が愛おしくて堪らないのだ。それが今日は、一層強かった。
「赤い服のお兄さん、ちょっと俺とデュエルしていかないか」
空港で決闘の誘いなんてどんな変な奴だと振り返った時に目を見張ったのは、そんな郷愁故に幻でも見ているのかと思ったからである。
ヨハンは変わった奴だった。十代にとってその印象はずっと同じだ。何も考えてなさそうに見えて別の視点から深く考えていたり、突拍子も無いことを言い出して呆気に取られることもあり、しかしお互いそうであったから気が合ったのかもしれない。大人びた顔立ちになっていてもヨハンは十代の記憶の中の彼と変わらなくて、外見だけ時を越えて上書きされ、昔のヨハンが出てきたのかと錯覚しそうなくらいであった。
「何年振りか覚えてねえよ、もう」
言葉の裏に時間に対する苛立ちが滲み出たのを誤魔化すように十代は苦笑した。無情だと思った。こうして歳を重ねて、偶然にも再会することが。もし会えると分かっていたら心の準備が出来たかもしれないのに――何に対して? 自分が少し怯えていることに気付き、彼はひっそり溜息をついた。
「少なくとも両手を数えるまでいかないだろ?」
「そうかな……もっと昔のことみたいに感じるんだ」
「物凄く濃かったからなあ、俺と十代が過ごした時間は」
「おい、表現に気をつけろよ」
「間違っちゃいないぜ?」
しかしながら、昔はペットボトルのドリンクを回し飲みしていた手が洒落たロゴのカップを持ち、芳醇なコーヒーの香りを漂わせているという姿は、十代の記憶の中にはない。受け取った自分のカップに視線を落とす。その水面に似た色のコートを羽織った男は、確かに新しいヨハンだった。髪の色や口調が変わらなくても、自分を見る目があの頃のままでも、止められない流れは彼にも自分にも疑い無く存在するのだ。
ヨハンにとって、俺もそうなのだろうか。
きいいいいい、と高い音が近付くにつれ段々と低くなる。薄曇りの空から落ちてくる機体の唸り声が彼等の身体に響いた。並んで腰掛けたベンチの向かい、大きなガラスの奥にずらりと居座る機体を指差してヨハンが口を開く。
「次の飛行機で帰国する予定なんだ」
それだけではどの機体に乗っていくのか判別出来なかったが、彼がもう直ぐ此処から去ることは簡単に理解出来た。半日も経たないうちにまた離れ離れだと思うと、ただでさえ寂寞に支配されそうな十代の心が揺らぐ。何をどう話せば上手くやれるだろうかと逡巡する。ふっと翳った己の内側を悟られたくはなかった。
「そういえば、ヨハンの国の話って聞いたことなかったな」
「いいところだぜ。冬にはびっくりするくらい雪が積もるんだけどな」
「へえ……」
「一面雪の海だよ。歩くたびに溺れちまう」
目尻に小さな皺を刻んで笑うヨハンにつられ、十代も笑った。その時、このまま昔に戻れたら良いのにと小さく願う自分が居た。今の自分にはヨハンとの間に薄い壁があるような気がして、どことなく申し訳無い気持ちになる。互いに知らない時間を経て再会するというのがこんな弊害を生み出すとは思ってもみなかった。会いたくなかった訳が無い。会いたいとずっと願っていた。しかしヨハンにとって、今の自分が変わってしまったものだとしたら。
笑い合って、戦って、学んで、寝転んで、抱き合って、口付けて、それから、それから。
記憶の中のヨハンがじっと見詰めてくる。目が離せない。そうしているうちに、いつも唇を重ねられていたのだった。「こんなので動けなくなるなんて俺に惚れすぎだな」と軽口をたたくヨハンが憎らしくて、何度か下らない仕返しをしたこともある。記憶は沢山散らばっていて直ぐには思い出せない。だが、二人きりで過ごした時間は山ほど有った。いつも自分の傍にはヨハンが居た気がして、寧ろ離れていることがおかしいくらい心地良かった。絡めた指の熱は、旅の途中で何度甦っただろうか。
気が付けば、隣からヨハンに覗き込まれていた。成長した彼の顔が直ぐ近くにあって、思わず十代の心臓が跳ねる。
「十代は?」
「え?」
「これから何処に行くんだ?」
「ああ、俺は、そうだな……」
これから何処に行くのだろう。
チケットを確認すれば目的地が書かれている筈だ。けれどもその場所に行って良いのだろうか。また違う時間を重ねて、俺が俺でなくなってしまったら? 誰かにとっての俺が、ヨハンにとっての俺が、変わってしまうとしたら? 今度会う時、全く違う何者かになっていたらどうしようか。落胆されるだろうか――。
「なあ、十代。あの頃は楽しかったよな」
途切れた会話を縫いとめるかのように空港の雑音が流れ込む。様々な人種、言語、色、全てが混在した場所は現実離れしていて、最早全く違う次元に居るようだ。皆はこの異次元から本物の世界へ戻っていく。ヨハンのように帰ったり、別の場所へ進んだり。この邂逅は異次元だから出来たことなのかもしれない、そう十代は思った。俺達は通過点でしか会えない。自分のように延々と世界中を巡っている限りは、何処にも留まることも帰ることもないのだから。
きいいいいい、と、また一機白い塊が飛んでいく音がした。
「なあ、十代」
耳を打つ声に、返事が出来ない。近付くたびに低くなる。
「俺は今でも、あの頃と同じままだぜ」
すっと細められた瞳に、息を呑んだ。そうだ、こうしてずっと目が離せずに居たのだ。昔から、彼の緑がかった瞳が自分を射貫くと、抗うことなく受け入れてしまう。薄っぺらな境界など所詮役に立たない盾だ。ヨハンはいつも、こうして自分をいとも容易く見抜くのだから。十代の肩に触れた指先は、カードを切っていたあの手と、コーヒーのカップを持っていた手と、絡めたあの指と、一つも相違ないものだった。
「変わらないな、お前も。なあ、十代――」
唇が触れ合う寸前に言われた言葉は、内ポケットの航空券を破り捨てるに充分なダメージであったから、代替分の渡航費くらい請求してやろう。瞼を閉じる瞬間、十代はそんな仕返しを考え付いた。畳む
・空港でばったり出会うヨハンと十代。
・未来捏造。
#ヨハ十
次のフライトまであと三時間は残っている。空港のざわめきに目を瞑り少し睡眠を取るのも良いかもしれないが、久方振りのヨーロッパだ、ガラス越しにでも雰囲気を楽しむのも悪くは無いだろう。一つしかない手荷物を抱えなおし、十代は確認の為に取り出したチケットを再び内ポケットへ仕舞った。たったこんな紙切れだけで空を跨いで何処までも行けるのが少し可笑しかった。無論そこは渡航費について考慮されていない、単純な感想である。しいて言うならパスポートは忘れてはならない。
あちこちを目指して交錯する人々の横を十代は進んだ。左に目を遣れば巨大な機械仕掛けの鳥がいくつも羽を伸ばしていて、そこに描かれている色とりどりのペイント――異国語の航空会社の名前さえぐにゃぐにゃした絵に見える――が彼を僅かに楽しませる。日本語も目にすることはあるが少ない。慣れ親しんだ国を離れて、もう結構な年数が経っていた。僅かな感傷に浸るのも既に初めてではなく、今でも無性にあの頃が懐かしくなって、一瞬だけ戻りたいとさえ思うことがある。試行錯誤を繰り返していたあの学園が愛おしくて堪らないのだ。それが今日は、一層強かった。
「赤い服のお兄さん、ちょっと俺とデュエルしていかないか」
空港で決闘の誘いなんてどんな変な奴だと振り返った時に目を見張ったのは、そんな郷愁故に幻でも見ているのかと思ったからである。
ヨハンは変わった奴だった。十代にとってその印象はずっと同じだ。何も考えてなさそうに見えて別の視点から深く考えていたり、突拍子も無いことを言い出して呆気に取られることもあり、しかしお互いそうであったから気が合ったのかもしれない。大人びた顔立ちになっていてもヨハンは十代の記憶の中の彼と変わらなくて、外見だけ時を越えて上書きされ、昔のヨハンが出てきたのかと錯覚しそうなくらいであった。
「何年振りか覚えてねえよ、もう」
言葉の裏に時間に対する苛立ちが滲み出たのを誤魔化すように十代は苦笑した。無情だと思った。こうして歳を重ねて、偶然にも再会することが。もし会えると分かっていたら心の準備が出来たかもしれないのに――何に対して? 自分が少し怯えていることに気付き、彼はひっそり溜息をついた。
「少なくとも両手を数えるまでいかないだろ?」
「そうかな……もっと昔のことみたいに感じるんだ」
「物凄く濃かったからなあ、俺と十代が過ごした時間は」
「おい、表現に気をつけろよ」
「間違っちゃいないぜ?」
しかしながら、昔はペットボトルのドリンクを回し飲みしていた手が洒落たロゴのカップを持ち、芳醇なコーヒーの香りを漂わせているという姿は、十代の記憶の中にはない。受け取った自分のカップに視線を落とす。その水面に似た色のコートを羽織った男は、確かに新しいヨハンだった。髪の色や口調が変わらなくても、自分を見る目があの頃のままでも、止められない流れは彼にも自分にも疑い無く存在するのだ。
ヨハンにとって、俺もそうなのだろうか。
きいいいいい、と高い音が近付くにつれ段々と低くなる。薄曇りの空から落ちてくる機体の唸り声が彼等の身体に響いた。並んで腰掛けたベンチの向かい、大きなガラスの奥にずらりと居座る機体を指差してヨハンが口を開く。
「次の飛行機で帰国する予定なんだ」
それだけではどの機体に乗っていくのか判別出来なかったが、彼がもう直ぐ此処から去ることは簡単に理解出来た。半日も経たないうちにまた離れ離れだと思うと、ただでさえ寂寞に支配されそうな十代の心が揺らぐ。何をどう話せば上手くやれるだろうかと逡巡する。ふっと翳った己の内側を悟られたくはなかった。
「そういえば、ヨハンの国の話って聞いたことなかったな」
「いいところだぜ。冬にはびっくりするくらい雪が積もるんだけどな」
「へえ……」
「一面雪の海だよ。歩くたびに溺れちまう」
目尻に小さな皺を刻んで笑うヨハンにつられ、十代も笑った。その時、このまま昔に戻れたら良いのにと小さく願う自分が居た。今の自分にはヨハンとの間に薄い壁があるような気がして、どことなく申し訳無い気持ちになる。互いに知らない時間を経て再会するというのがこんな弊害を生み出すとは思ってもみなかった。会いたくなかった訳が無い。会いたいとずっと願っていた。しかしヨハンにとって、今の自分が変わってしまったものだとしたら。
笑い合って、戦って、学んで、寝転んで、抱き合って、口付けて、それから、それから。
記憶の中のヨハンがじっと見詰めてくる。目が離せない。そうしているうちに、いつも唇を重ねられていたのだった。「こんなので動けなくなるなんて俺に惚れすぎだな」と軽口をたたくヨハンが憎らしくて、何度か下らない仕返しをしたこともある。記憶は沢山散らばっていて直ぐには思い出せない。だが、二人きりで過ごした時間は山ほど有った。いつも自分の傍にはヨハンが居た気がして、寧ろ離れていることがおかしいくらい心地良かった。絡めた指の熱は、旅の途中で何度甦っただろうか。
気が付けば、隣からヨハンに覗き込まれていた。成長した彼の顔が直ぐ近くにあって、思わず十代の心臓が跳ねる。
「十代は?」
「え?」
「これから何処に行くんだ?」
「ああ、俺は、そうだな……」
これから何処に行くのだろう。
チケットを確認すれば目的地が書かれている筈だ。けれどもその場所に行って良いのだろうか。また違う時間を重ねて、俺が俺でなくなってしまったら? 誰かにとっての俺が、ヨハンにとっての俺が、変わってしまうとしたら? 今度会う時、全く違う何者かになっていたらどうしようか。落胆されるだろうか――。
「なあ、十代。あの頃は楽しかったよな」
途切れた会話を縫いとめるかのように空港の雑音が流れ込む。様々な人種、言語、色、全てが混在した場所は現実離れしていて、最早全く違う次元に居るようだ。皆はこの異次元から本物の世界へ戻っていく。ヨハンのように帰ったり、別の場所へ進んだり。この邂逅は異次元だから出来たことなのかもしれない、そう十代は思った。俺達は通過点でしか会えない。自分のように延々と世界中を巡っている限りは、何処にも留まることも帰ることもないのだから。
きいいいいい、と、また一機白い塊が飛んでいく音がした。
「なあ、十代」
耳を打つ声に、返事が出来ない。近付くたびに低くなる。
「俺は今でも、あの頃と同じままだぜ」
すっと細められた瞳に、息を呑んだ。そうだ、こうしてずっと目が離せずに居たのだ。昔から、彼の緑がかった瞳が自分を射貫くと、抗うことなく受け入れてしまう。薄っぺらな境界など所詮役に立たない盾だ。ヨハンはいつも、こうして自分をいとも容易く見抜くのだから。十代の肩に触れた指先は、カードを切っていたあの手と、コーヒーのカップを持っていた手と、絡めたあの指と、一つも相違ないものだった。
「変わらないな、お前も。なあ、十代――」
唇が触れ合う寸前に言われた言葉は、内ポケットの航空券を破り捨てるに充分なダメージであったから、代替分の渡航費くらい請求してやろう。瞼を閉じる瞬間、十代はそんな仕返しを考え付いた。畳む
類似
・十代卒業前の話。
・ブルー寮の食堂でごはんを食べる。
#亮十
丸藤亮という人間は自分とは離れたところに立つ者だと本当は思っていたのかもしれない。机を挟んで向かいに座った青年を眺めながら、十代は互いが共有した決して長いとは言えない学園生活を思い返してみた。闘いの場に限らず、例えば名が知られているがために学園内では一人で過ごす時間が多かったことや、気軽に話しかけられるような存在ではないと思われていたことなどが、ふと十代が丸藤亮に対しそう思い至った要因である。もしかしたら自分も色眼鏡で見ていた大勢の中の一人ではなかっただろうか。或いは知らぬうちに。そうであったなら、今の丸藤亮が自分が遠くから見ていたかもしれぬ彼と違うことは、非常に喜ばしいことだ。昔の自分達ではきっと、二人だけで食事をするなど思いもよらなかっただろうから。
「前にさ、あんた昼飯一人で食ってたことあったろ。この食堂の窓際で」
「よく覚えているな」
「ギャラリーに囲まれて目立ってた。その時、えらく丁寧に食べてるなって思ったんだよな」
十代の持つフォークが銀色に輝いて、その前に置かれた皿へと突っ込まれた。容赦ない一撃。バランス良く盛り付けられていたパスタの山が跡形もなく崩れる。山頂のカットトマトは落石へと変わり、周りを取り囲む挽肉の崖へごろごろと落ちていった。しかし構うことなく彼はパスタをくるくると三本の槍に絡ませ、大きく開けた口へと運ぶ。どうやら食いっぷりの良さはこの三年間変わらなかったようだ。そう見届けてから、亮もまた注文した料理に手を付けた。同じメニュー、同じように渦を巻いたパスタの一角をフォークで抉り取り、無残にも破壊する。その拍子に、射し込んだ昼下がりの光を受けて、皿の上の油がてらてらと白く反射した。
向かい合って食事をするのは亮が卒業してからは余計に機会がなく、二人にとって久々の出来事だった。最後にブルー寮の責任者に頼んだ甲斐があったな、と亮の中に年甲斐もない満足感が湧いてくるのも致し方ないだろう。次に会えるのはいつになるだろうか、分からない。もしかしたら遠い未来になって漸く会えるのかもしれない。そんな不確定要素が溢れた道の上に、彼等は立っていた。
「どうだ」
「んん、ほれふふぁひは」
「飲み込んでから言え」
「……んん、これうまいな、ブルー寮の生徒っていつもこんなもん食ってんの?」
「多分な」
「でもさ、カイザーって前はもっと綺麗に食ってた気がするんだけど」
十代の言う『前』とは、先程言っていた、一人だけの食事風景のことであろう。青年の頭がそう推測する。この学生寮独自の手の込んだ食事は目で楽しむことも考慮されていて、繊細な飾り付けや工夫を凝らした料理も少なくない。確かに、皿の上の小さな作品をむやみに取り壊すのは気が進まなかったことを思い出す。ならば今、自分の前に在るものは、かつて僅かながらも芸術性が窺えた料理とは異なるのだろうか。いいや、其処には学生時代と同じ性質を持ったものが存在している。ならば変化したのは料理の方ではない。
「お前の所為かもな」
ぽそりと呟いて、青年はまたパスタを絡め取る。以前の丸藤亮にはない少々手荒な食べ方は、まさしく十代のそれに近かった。見た目の美しさ云々よりも食事という行為に重きを置いたテーブルマナー。だが直そうと考えたことは一度もなかった、と言うのも彼は十代に指摘されて初めて気付いたからだ。それは同時に、指摘してくるような相手が居なかったことを意味していた。正面で頬張る赤い制服の男を除いては。
気付くことも気付かれることも、誰かと共に居なければ起こり得ない。
「俺の所為? 何でだよ」
「お前が入学してきて、何故かお前と居る時間が増えたからな」
「何だよそれ、つまり俺に似てきたってことか? じゃあ俺もカイザーに似てきた部分があるかもな」
少しばかり大人びた目でそう口元を緩める十代の中には、彼が言うように、彼と過ごしてきた自分が映り込んでいるかもしれない。否、そう期待した。この食卓を離れてしまっても、自分との時間が十代の一部となり続ければいい。そんな風に記憶の内側から影響し合って、いつかまた食事をする時が来て、今日のような風景になればいいと亮は思った。ならば行儀の悪いテーブルマナーを正す必要がどこにあるだろうか? やっと自分のものとなった十代の一部を。畳む
・十代卒業前の話。
・ブルー寮の食堂でごはんを食べる。
#亮十
丸藤亮という人間は自分とは離れたところに立つ者だと本当は思っていたのかもしれない。机を挟んで向かいに座った青年を眺めながら、十代は互いが共有した決して長いとは言えない学園生活を思い返してみた。闘いの場に限らず、例えば名が知られているがために学園内では一人で過ごす時間が多かったことや、気軽に話しかけられるような存在ではないと思われていたことなどが、ふと十代が丸藤亮に対しそう思い至った要因である。もしかしたら自分も色眼鏡で見ていた大勢の中の一人ではなかっただろうか。或いは知らぬうちに。そうであったなら、今の丸藤亮が自分が遠くから見ていたかもしれぬ彼と違うことは、非常に喜ばしいことだ。昔の自分達ではきっと、二人だけで食事をするなど思いもよらなかっただろうから。
「前にさ、あんた昼飯一人で食ってたことあったろ。この食堂の窓際で」
「よく覚えているな」
「ギャラリーに囲まれて目立ってた。その時、えらく丁寧に食べてるなって思ったんだよな」
十代の持つフォークが銀色に輝いて、その前に置かれた皿へと突っ込まれた。容赦ない一撃。バランス良く盛り付けられていたパスタの山が跡形もなく崩れる。山頂のカットトマトは落石へと変わり、周りを取り囲む挽肉の崖へごろごろと落ちていった。しかし構うことなく彼はパスタをくるくると三本の槍に絡ませ、大きく開けた口へと運ぶ。どうやら食いっぷりの良さはこの三年間変わらなかったようだ。そう見届けてから、亮もまた注文した料理に手を付けた。同じメニュー、同じように渦を巻いたパスタの一角をフォークで抉り取り、無残にも破壊する。その拍子に、射し込んだ昼下がりの光を受けて、皿の上の油がてらてらと白く反射した。
向かい合って食事をするのは亮が卒業してからは余計に機会がなく、二人にとって久々の出来事だった。最後にブルー寮の責任者に頼んだ甲斐があったな、と亮の中に年甲斐もない満足感が湧いてくるのも致し方ないだろう。次に会えるのはいつになるだろうか、分からない。もしかしたら遠い未来になって漸く会えるのかもしれない。そんな不確定要素が溢れた道の上に、彼等は立っていた。
「どうだ」
「んん、ほれふふぁひは」
「飲み込んでから言え」
「……んん、これうまいな、ブルー寮の生徒っていつもこんなもん食ってんの?」
「多分な」
「でもさ、カイザーって前はもっと綺麗に食ってた気がするんだけど」
十代の言う『前』とは、先程言っていた、一人だけの食事風景のことであろう。青年の頭がそう推測する。この学生寮独自の手の込んだ食事は目で楽しむことも考慮されていて、繊細な飾り付けや工夫を凝らした料理も少なくない。確かに、皿の上の小さな作品をむやみに取り壊すのは気が進まなかったことを思い出す。ならば今、自分の前に在るものは、かつて僅かながらも芸術性が窺えた料理とは異なるのだろうか。いいや、其処には学生時代と同じ性質を持ったものが存在している。ならば変化したのは料理の方ではない。
「お前の所為かもな」
ぽそりと呟いて、青年はまたパスタを絡め取る。以前の丸藤亮にはない少々手荒な食べ方は、まさしく十代のそれに近かった。見た目の美しさ云々よりも食事という行為に重きを置いたテーブルマナー。だが直そうと考えたことは一度もなかった、と言うのも彼は十代に指摘されて初めて気付いたからだ。それは同時に、指摘してくるような相手が居なかったことを意味していた。正面で頬張る赤い制服の男を除いては。
気付くことも気付かれることも、誰かと共に居なければ起こり得ない。
「俺の所為? 何でだよ」
「お前が入学してきて、何故かお前と居る時間が増えたからな」
「何だよそれ、つまり俺に似てきたってことか? じゃあ俺もカイザーに似てきた部分があるかもな」
少しばかり大人びた目でそう口元を緩める十代の中には、彼が言うように、彼と過ごしてきた自分が映り込んでいるかもしれない。否、そう期待した。この食卓を離れてしまっても、自分との時間が十代の一部となり続ければいい。そんな風に記憶の内側から影響し合って、いつかまた食事をする時が来て、今日のような風景になればいいと亮は思った。ならば行儀の悪いテーブルマナーを正す必要がどこにあるだろうか? やっと自分のものとなった十代の一部を。畳む
・大学生なふたり。
・交際事情がガバガバな二十代。
#ジム十 #現代パラレル
「ラストナイト、ユーはどこに」
「ごめん。ヨハンち泊まってた」
「ノーウェイ……来ると思って朝まで待ってたんだが」
「わりぃ、拗ねるなよ」
「拗ねてない」
「拗ねてるよ。だってこのコーヒー、いつもより苦いもんな」
呟いて、十代は困ったような顔でジムの隣に腰掛けた。ソファに並んだ彼の茶色い髪の隙間からは申し訳なさそうに自分を見る瞳が覗いている。叱られた子犬より弱々しいその目は見た者に得も言われぬ感情を抱かせる魔力を持った目である。心の中がざわつき始めてジムはつい視線を下に外した。この国のアジア人の手が二つ、マグカップを包んでいるのが目に入る。普段より濃い色をしたコーヒーからもくもくと上がる湯気は十代の鼻先を通り過ぎて消えていく。白黒のボーダーに飾られたカップはジムと同じメーカーのものが良いからと十代がわざわざ買ってきたものだった。その日、カップを使って初めて自分のコーヒーを口にした時のことを視線を戻して目の前の十代に重ねてみる。彼が苦さに驚き思わず固まったこと。次からミルクを混ぜてやったこと。ブラックで飲めるのが羨ましいと言われたこと。その度に十代から発せられるひとつひとつの反応がまるで少年のままで見ていて飽きなかった。
純朴さを失わない十代がとても好きだった。心に真っ白なキャンバスを持った彼の交友関係がどれ程常識と呼ばれる規範に準じていなくとも構わないから自分と居て欲しい。誰であろうと求められるまま受け入れる十代を欲したのは他ならぬ自分自身だ。ジムはもう何度目になるのか知れない確認をした。
ず、と十代の唇から音がする。熱いものが苦手な彼は、それでもいつも冷めるまでにカップを空にする。「勿体無いだろ。ジムが折角淹れてくれたのに、冷たくなるまでほっとくなんて!」そのマグカップを使った最初の日に言われた言葉が今でも自分を喜ばせていることを知ったら笑うだろうか、それでも忘れ難い記憶だった。十代が与えた小さな光の欠片は消えずに過去を彩り続けている。
「十代、別の予定が入った時はコールでもメールでもいいから連絡をくれ」
「うん、気を付ける」
「俺以外の誰と居ようが、口出しはしないから」
「うん」
「だから」
「うん、分かってる。ありがとな、ジム」
苦味の染みた十代の口元が緩む。その端から喜びが零れ落ちてきて、拾い上げたジムの心を瞬く間に覆い尽くした。綻んだ顔に嬉しくなって、水曜の夜は一緒に居るという約束を反故にされたことなどもうどうでもよくなってしまったので、つくづく自分も駄目な奴だと思う。
特定の人間と恋愛関係にならない十代はその代わりに男女の誰とでも交際した。好意をどこまでも彼のキャンバスに受け止める。そしてまた白色で更地にして他の誰かのところへ行く。嫌になって去っていく者も居たらしいが今ではそんな関係でも良いという変わった人間だけが十代と関わり合っているのだから、世の中には大層な物好きがいるものだとジムは時折天を仰いだ。そのうちの二人が自分と、同じくこの国に留学してきた共通の友人であるヨハンであることからしても。
ただ他に何人居るのかジムは知らない。それでも十代がそれぞれの相手を心より大切にして対等に付き合うので、誰かと居る時間は確かにその誰かだけの十代なのである。物好きが主張する独占欲なんてものは彼には理解出来ない。故に十代を詰問したり糾弾するなんてことは全くの無意味だ。彼に関わる人間の間に取り決められた紳士協定は幸いにして今まで破られたことはなかった。
恐らく皆が皆、こんな関係は奇妙でおかしいと本当は分かっている。分かっていないのは十代だけで、一人に縛られない風のような彼だけがいつまでも自由なまま捕まえておくことが出来ない。誰のものでもあって誰のものでもない酷い博愛主義者を愛したのは愚かな行いかもしれない、だがジムはこの歪な同盟から抜け出すことを選ばなかった。十代を手放さずにいるのはあくまでジムの意志だった。それは他の相手もきっとそうで、ヨハンにしても未だに関係を断たないのは自分のように頭の天辺からつま先まで十代に取り憑かれてしまっているからなのだろう。
皆がどこか狂っている。もしかしたら最も正常なのは十代なのかもしれないとすら思うことがある。その度にジムの頭は正当性を求めぬよう忠告する。何が正しいか決めることは、この関係を根底から否定することと同じような気がしている。
「ご馳走様」
「オー、飲み切ったのか」
「もう俺、あの時の俺じゃないんだぜ。ブラックコーヒーなんてちょろいさ」
「一年前は無理だったのに?」
「へへ、成長したんだよ」
得意気な十代から空のマグカップを受け取ると、陶器にはまだ温もりが残っていた。ジムの目が細められる。淋しさの入り混じった嬉しさが全身に拡がって自分を毒していくのが分かった。好きだ。好きだ十代。アイラヴユー。ドントゴーエニウェア。何処にも行かずに此処に居てくれたらどんなに幸福か分からない。だがそう縋れば十代は困ってしまうだろうから願わない。それは本意ではないのだ。自分の有する幸福が全て十代から齎されたものであるなら良いじゃないか。不幸とは違うさ、たとえはぐらかしているとしても。
「なあジム、来週の水曜さ、何時に大学終わる? いつもと同じ?」
すっかりいつもの調子に戻った十代は期待に満ちた眼差しを向けてくる。何か面白いことを企んでいるらしい、スケジュール表を頭に書き出すジムを待つ間も落ち着きを欠いていた。隠し事の出来ない子供と同じで微笑ましさを覚える。
「イエス、変わりはないよ」
「よっしゃあ! 早く帰ってくるからさ、何か作って一緒にワイン開けようぜ! この間良いの買っといたんだ、ジムが好きそうなやつ!」
名案だろ? 人差し指を立てる十代の瞳に自分が映る。無邪気な少年の姿をした彼が自分だけを見ているこの時、真実自分の方が捕まえられているのだとジムは気付かない。十代が見つめる先の全ては十代に囚われる。素朴なキャンバスに感情を描き出す彼は魔力に満ちた瞳を持っている。ジムがきらきらと輝く二つの球を覗き込むと、惚けた顔の男が映っていた。その瞳は一つ、魂の抜けたものだけ。畳む