エクスプローラ(ジム十)
・四期のふたり。
・帰国前捏造。
#ジム十
生存確率を上昇させる為に最も手本となる人物はおそらくオブライエンであろうがそれとは別に生きていく上で必要とはされない知識を得る教師として適任なのはきっとジムだ。地質学も考古学もともすれば一度も活用されることなく脳味噌から消え失せる情報に違いない、しかし十代は役に立つか分からないそれらを記憶の中へと収納したかった。目の前で細長い指が赤茶色の土をいじり工具を手にし岩を丁寧に掘り起こしていくジムの姿から何かを学びたかった。あまり性能が良いとは言えない自分の頭に叩き込みたかった。こんな島でも古代と呼ばれる時があったのだとジムが教えてくれている気がした。しっとりと静かな眠りの殻に守られて三年間も存在を知らぬままであった地層を十代に気付かせてくれたのは彼である。上手に切り崩せなかったチョコレートケーキのような岩肌に隠れた化石を初めて目にした時、十代は興奮のあまりジムに何度も「すげえ」を連呼し言い過ぎだと笑われた。まだ先週のことだ。
この国の人間とは異なる色をした手は本日グローブに覆われまるで手術を行う医者のようである。切り裂く肉はなくとも気高き古代の獣の怒りを買わぬようゆっくりと殻を剥がしていくのがジムの手術だ。その指先をじっと見つめていた時、徐に青年は「君もやってみるといい」と左隣から工具を差し出した。作業のひとつひとつから学べるものを探していた十代は思わずえっと声を上げる。見学ならまだしも実践には甚だ早いと思ったからだ。
「俺、まだ全然何も分かっちゃいないぜ。さすがにまずいって」
「ノー。今朝からずっと、十代、君は俺のことを見ていた筈だ。見たままトライしてみれば良いんだ」
「ええ? 本当に大丈夫かよ……壊したりしたらどうすんだよ……」
「そんなにヤワじゃないさ。それに十代ならそんなことはしないと、俺は考えているからね」
過大評価だ、と思った。けれども工具を向けるジムの手が、節々のくっきりとした雄々しくもすらりと伸びるそれが触れるものとは一体どんなものなのか、以前から十代の内側に非常に興味が湧いていたのだ。宝石のような輝きを持つわけでもない、ばらばらであったり隙間だらけの時すらある骨でしかない化石達を見る青年の瞳はいつも熱に浮かされていた。いつまでも初恋を忘れられず追い続ける男のように。青い鳥を探し求めるように。自分を見る時のように。
少し恐々した手つきで十代は工具を受け取った。「さあ、ほら」ジムの声に従い何十にも重なった層へと構える。だが青年と同じくグローブをした自分の手は発掘者に似てもにつかなくて最初の一打でさえ放つ権利を持たぬように思えた。この手が青年の大切な炎の源を破壊してしまうのではないか――興味の裏に恐怖がゆらゆら顔を出す。気まぐれな悪魔に十代の指先が固まった。暗い場所に居たもの同士お前だって分かるだろう、俺達は掘り起こされる側なんだってことくらい。殻を割るのは俺じゃない。俺はジムみたいにあんなに優しく起こしてあげられないんだ。影から声が聞こえた。
「十代、大丈夫だ。スローペースでやろう」
握り締めていたらしい右手を緩めたのはジムの掌であった。重ねられた手、グローブの下でじわりとかいた汗が途端に引いていく。一回り大きなぬくもりに覆われると、糸が引き抜かれたように頑なに閉じていた指の力が抜けるのがいかに自分が常から青年の手より安堵を受け取っているのか理解出来て少し気恥ずかしかった。「悪い、サンキュ」笑って誤魔化し、離れた手の甲に残る温度に背中を押されて十代はもう一度眼前を見た。
自然の棺に閉じ込められた古き竜は岩石の間からその端くれだけが覗く姿で眠っている。僅かに現れた部分を傷付けぬように注意を払いながら十代の手がその周りをなぞった。形を確かめるかの如く撫でるのはジムが何度も行っていたことだと記憶していたのだ。薄いガラスを扱うようにそろりそろり、しかし恐れの所為ではなく愛撫に近しい。そうやって十代は、たった一つしかないジムの瞳を煌めかせるいにしえの使者に挨拶をした。お早う、夜の底から俺が分かるか? 此処はとても明るくてきっと目が眩む。でもきっと其処より騒がしく孤独じゃなくなる素晴らしい世界なんだ。胸の奥でそう伝えてからジムに視線を投げ掛けると、彼は水晶の反射にも似た輝きをその目に抱いて頷きを返した。彼の中にある炎が昂ぶっているのが手に取るように分かって、化石に嫉妬すらしてしまいそうで十代は思わず苦笑した。
工具を小さく掲げて目標を射程範囲内へ入れる。急に闇を取り払っては驚くだろうから少しずつ、カーテンをゆっくり開けていかねばならない。狙いを定めた十代の手が、深い深いまどろみを解きほぐす一筋の光を棺へと打ち込んだ。畳む
・四期のふたり。
・帰国前捏造。
#ジム十
生存確率を上昇させる為に最も手本となる人物はおそらくオブライエンであろうがそれとは別に生きていく上で必要とはされない知識を得る教師として適任なのはきっとジムだ。地質学も考古学もともすれば一度も活用されることなく脳味噌から消え失せる情報に違いない、しかし十代は役に立つか分からないそれらを記憶の中へと収納したかった。目の前で細長い指が赤茶色の土をいじり工具を手にし岩を丁寧に掘り起こしていくジムの姿から何かを学びたかった。あまり性能が良いとは言えない自分の頭に叩き込みたかった。こんな島でも古代と呼ばれる時があったのだとジムが教えてくれている気がした。しっとりと静かな眠りの殻に守られて三年間も存在を知らぬままであった地層を十代に気付かせてくれたのは彼である。上手に切り崩せなかったチョコレートケーキのような岩肌に隠れた化石を初めて目にした時、十代は興奮のあまりジムに何度も「すげえ」を連呼し言い過ぎだと笑われた。まだ先週のことだ。
この国の人間とは異なる色をした手は本日グローブに覆われまるで手術を行う医者のようである。切り裂く肉はなくとも気高き古代の獣の怒りを買わぬようゆっくりと殻を剥がしていくのがジムの手術だ。その指先をじっと見つめていた時、徐に青年は「君もやってみるといい」と左隣から工具を差し出した。作業のひとつひとつから学べるものを探していた十代は思わずえっと声を上げる。見学ならまだしも実践には甚だ早いと思ったからだ。
「俺、まだ全然何も分かっちゃいないぜ。さすがにまずいって」
「ノー。今朝からずっと、十代、君は俺のことを見ていた筈だ。見たままトライしてみれば良いんだ」
「ええ? 本当に大丈夫かよ……壊したりしたらどうすんだよ……」
「そんなにヤワじゃないさ。それに十代ならそんなことはしないと、俺は考えているからね」
過大評価だ、と思った。けれども工具を向けるジムの手が、節々のくっきりとした雄々しくもすらりと伸びるそれが触れるものとは一体どんなものなのか、以前から十代の内側に非常に興味が湧いていたのだ。宝石のような輝きを持つわけでもない、ばらばらであったり隙間だらけの時すらある骨でしかない化石達を見る青年の瞳はいつも熱に浮かされていた。いつまでも初恋を忘れられず追い続ける男のように。青い鳥を探し求めるように。自分を見る時のように。
少し恐々した手つきで十代は工具を受け取った。「さあ、ほら」ジムの声に従い何十にも重なった層へと構える。だが青年と同じくグローブをした自分の手は発掘者に似てもにつかなくて最初の一打でさえ放つ権利を持たぬように思えた。この手が青年の大切な炎の源を破壊してしまうのではないか――興味の裏に恐怖がゆらゆら顔を出す。気まぐれな悪魔に十代の指先が固まった。暗い場所に居たもの同士お前だって分かるだろう、俺達は掘り起こされる側なんだってことくらい。殻を割るのは俺じゃない。俺はジムみたいにあんなに優しく起こしてあげられないんだ。影から声が聞こえた。
「十代、大丈夫だ。スローペースでやろう」
握り締めていたらしい右手を緩めたのはジムの掌であった。重ねられた手、グローブの下でじわりとかいた汗が途端に引いていく。一回り大きなぬくもりに覆われると、糸が引き抜かれたように頑なに閉じていた指の力が抜けるのがいかに自分が常から青年の手より安堵を受け取っているのか理解出来て少し気恥ずかしかった。「悪い、サンキュ」笑って誤魔化し、離れた手の甲に残る温度に背中を押されて十代はもう一度眼前を見た。
自然の棺に閉じ込められた古き竜は岩石の間からその端くれだけが覗く姿で眠っている。僅かに現れた部分を傷付けぬように注意を払いながら十代の手がその周りをなぞった。形を確かめるかの如く撫でるのはジムが何度も行っていたことだと記憶していたのだ。薄いガラスを扱うようにそろりそろり、しかし恐れの所為ではなく愛撫に近しい。そうやって十代は、たった一つしかないジムの瞳を煌めかせるいにしえの使者に挨拶をした。お早う、夜の底から俺が分かるか? 此処はとても明るくてきっと目が眩む。でもきっと其処より騒がしく孤独じゃなくなる素晴らしい世界なんだ。胸の奥でそう伝えてからジムに視線を投げ掛けると、彼は水晶の反射にも似た輝きをその目に抱いて頷きを返した。彼の中にある炎が昂ぶっているのが手に取るように分かって、化石に嫉妬すらしてしまいそうで十代は思わず苦笑した。
工具を小さく掲げて目標を射程範囲内へ入れる。急に闇を取り払っては驚くだろうから少しずつ、カーテンをゆっくり開けていかねばならない。狙いを定めた十代の手が、深い深いまどろみを解きほぐす一筋の光を棺へと打ち込んだ。畳む
メデューサの少年
・大学生なふたり。
・交際事情がガバガバな二十代。
#ジム十 #現代パラレル
「ラストナイト、ユーはどこに」
「ごめん。ヨハンち泊まってた」
「ノーウェイ……来ると思って朝まで待ってたんだが」
「わりぃ、拗ねるなよ」
「拗ねてない」
「拗ねてるよ。だってこのコーヒー、いつもより苦いもんな」
呟いて、十代は困ったような顔でジムの隣に腰掛けた。ソファに並んだ彼の茶色い髪の隙間からは申し訳なさそうに自分を見る瞳が覗いている。叱られた子犬より弱々しいその目は見た者に得も言われぬ感情を抱かせる魔力を持った目である。心の中がざわつき始めてジムはつい視線を下に外した。この国のアジア人の手が二つ、マグカップを包んでいるのが目に入る。普段より濃い色をしたコーヒーからもくもくと上がる湯気は十代の鼻先を通り過ぎて消えていく。白黒のボーダーに飾られたカップはジムと同じメーカーのものが良いからと十代がわざわざ買ってきたものだった。その日、カップを使って初めて自分のコーヒーを口にした時のことを視線を戻して目の前の十代に重ねてみる。彼が苦さに驚き思わず固まったこと。次からミルクを混ぜてやったこと。ブラックで飲めるのが羨ましいと言われたこと。その度に十代から発せられるひとつひとつの反応がまるで少年のままで見ていて飽きなかった。
純朴さを失わない十代がとても好きだった。心に真っ白なキャンバスを持った彼の交友関係がどれ程常識と呼ばれる規範に準じていなくとも構わないから自分と居て欲しい。誰であろうと求められるまま受け入れる十代を欲したのは他ならぬ自分自身だ。ジムはもう何度目になるのか知れない確認をした。
ず、と十代の唇から音がする。熱いものが苦手な彼は、それでもいつも冷めるまでにカップを空にする。「勿体無いだろ。ジムが折角淹れてくれたのに、冷たくなるまでほっとくなんて!」そのマグカップを使った最初の日に言われた言葉が今でも自分を喜ばせていることを知ったら笑うだろうか、それでも忘れ難い記憶だった。十代が与えた小さな光の欠片は消えずに過去を彩り続けている。
「十代、別の予定が入った時はコールでもメールでもいいから連絡をくれ」
「うん、気を付ける」
「俺以外の誰と居ようが、口出しはしないから」
「うん」
「だから」
「うん、分かってる。ありがとな、ジム」
苦味の染みた十代の口元が緩む。その端から喜びが零れ落ちてきて、拾い上げたジムの心を瞬く間に覆い尽くした。綻んだ顔に嬉しくなって、水曜の夜は一緒に居るという約束を反故にされたことなどもうどうでもよくなってしまったので、つくづく自分も駄目な奴だと思う。
特定の人間と恋愛関係にならない十代はその代わりに男女の誰とでも交際した。好意をどこまでも彼のキャンバスに受け止める。そしてまた白色で更地にして他の誰かのところへ行く。嫌になって去っていく者も居たらしいが今ではそんな関係でも良いという変わった人間だけが十代と関わり合っているのだから、世の中には大層な物好きがいるものだとジムは時折天を仰いだ。そのうちの二人が自分と、同じくこの国に留学してきた共通の友人であるヨハンであることからしても。
ただ他に何人居るのかジムは知らない。それでも十代がそれぞれの相手を心より大切にして対等に付き合うので、誰かと居る時間は確かにその誰かだけの十代なのである。物好きが主張する独占欲なんてものは彼には理解出来ない。故に十代を詰問したり糾弾するなんてことは全くの無意味だ。彼に関わる人間の間に取り決められた紳士協定は幸いにして今まで破られたことはなかった。
恐らく皆が皆、こんな関係は奇妙でおかしいと本当は分かっている。分かっていないのは十代だけで、一人に縛られない風のような彼だけがいつまでも自由なまま捕まえておくことが出来ない。誰のものでもあって誰のものでもない酷い博愛主義者を愛したのは愚かな行いかもしれない、だがジムはこの歪な同盟から抜け出すことを選ばなかった。十代を手放さずにいるのはあくまでジムの意志だった。それは他の相手もきっとそうで、ヨハンにしても未だに関係を断たないのは自分のように頭の天辺からつま先まで十代に取り憑かれてしまっているからなのだろう。
皆がどこか狂っている。もしかしたら最も正常なのは十代なのかもしれないとすら思うことがある。その度にジムの頭は正当性を求めぬよう忠告する。何が正しいか決めることは、この関係を根底から否定することと同じような気がしている。
「ご馳走様」
「オー、飲み切ったのか」
「もう俺、あの時の俺じゃないんだぜ。ブラックコーヒーなんてちょろいさ」
「一年前は無理だったのに?」
「へへ、成長したんだよ」
得意気な十代から空のマグカップを受け取ると、陶器にはまだ温もりが残っていた。ジムの目が細められる。淋しさの入り混じった嬉しさが全身に拡がって自分を毒していくのが分かった。好きだ。好きだ十代。アイラヴユー。ドントゴーエニウェア。何処にも行かずに此処に居てくれたらどんなに幸福か分からない。だがそう縋れば十代は困ってしまうだろうから願わない。それは本意ではないのだ。自分の有する幸福が全て十代から齎されたものであるなら良いじゃないか。不幸とは違うさ、たとえはぐらかしているとしても。
「なあジム、来週の水曜さ、何時に大学終わる? いつもと同じ?」
すっかりいつもの調子に戻った十代は期待に満ちた眼差しを向けてくる。何か面白いことを企んでいるらしい、スケジュール表を頭に書き出すジムを待つ間も落ち着きを欠いていた。隠し事の出来ない子供と同じで微笑ましさを覚える。
「イエス、変わりはないよ」
「よっしゃあ! 早く帰ってくるからさ、何か作って一緒にワイン開けようぜ! この間良いの買っといたんだ、ジムが好きそうなやつ!」
名案だろ? 人差し指を立てる十代の瞳に自分が映る。無邪気な少年の姿をした彼が自分だけを見ているこの時、真実自分の方が捕まえられているのだとジムは気付かない。十代が見つめる先の全ては十代に囚われる。素朴なキャンバスに感情を描き出す彼は魔力に満ちた瞳を持っている。ジムがきらきらと輝く二つの球を覗き込むと、惚けた顔の男が映っていた。その瞳は一つ、魂の抜けたものだけ。畳む
・大学生なふたり。
・交際事情がガバガバな二十代。
#ジム十 #現代パラレル
「ラストナイト、ユーはどこに」
「ごめん。ヨハンち泊まってた」
「ノーウェイ……来ると思って朝まで待ってたんだが」
「わりぃ、拗ねるなよ」
「拗ねてない」
「拗ねてるよ。だってこのコーヒー、いつもより苦いもんな」
呟いて、十代は困ったような顔でジムの隣に腰掛けた。ソファに並んだ彼の茶色い髪の隙間からは申し訳なさそうに自分を見る瞳が覗いている。叱られた子犬より弱々しいその目は見た者に得も言われぬ感情を抱かせる魔力を持った目である。心の中がざわつき始めてジムはつい視線を下に外した。この国のアジア人の手が二つ、マグカップを包んでいるのが目に入る。普段より濃い色をしたコーヒーからもくもくと上がる湯気は十代の鼻先を通り過ぎて消えていく。白黒のボーダーに飾られたカップはジムと同じメーカーのものが良いからと十代がわざわざ買ってきたものだった。その日、カップを使って初めて自分のコーヒーを口にした時のことを視線を戻して目の前の十代に重ねてみる。彼が苦さに驚き思わず固まったこと。次からミルクを混ぜてやったこと。ブラックで飲めるのが羨ましいと言われたこと。その度に十代から発せられるひとつひとつの反応がまるで少年のままで見ていて飽きなかった。
純朴さを失わない十代がとても好きだった。心に真っ白なキャンバスを持った彼の交友関係がどれ程常識と呼ばれる規範に準じていなくとも構わないから自分と居て欲しい。誰であろうと求められるまま受け入れる十代を欲したのは他ならぬ自分自身だ。ジムはもう何度目になるのか知れない確認をした。
ず、と十代の唇から音がする。熱いものが苦手な彼は、それでもいつも冷めるまでにカップを空にする。「勿体無いだろ。ジムが折角淹れてくれたのに、冷たくなるまでほっとくなんて!」そのマグカップを使った最初の日に言われた言葉が今でも自分を喜ばせていることを知ったら笑うだろうか、それでも忘れ難い記憶だった。十代が与えた小さな光の欠片は消えずに過去を彩り続けている。
「十代、別の予定が入った時はコールでもメールでもいいから連絡をくれ」
「うん、気を付ける」
「俺以外の誰と居ようが、口出しはしないから」
「うん」
「だから」
「うん、分かってる。ありがとな、ジム」
苦味の染みた十代の口元が緩む。その端から喜びが零れ落ちてきて、拾い上げたジムの心を瞬く間に覆い尽くした。綻んだ顔に嬉しくなって、水曜の夜は一緒に居るという約束を反故にされたことなどもうどうでもよくなってしまったので、つくづく自分も駄目な奴だと思う。
特定の人間と恋愛関係にならない十代はその代わりに男女の誰とでも交際した。好意をどこまでも彼のキャンバスに受け止める。そしてまた白色で更地にして他の誰かのところへ行く。嫌になって去っていく者も居たらしいが今ではそんな関係でも良いという変わった人間だけが十代と関わり合っているのだから、世の中には大層な物好きがいるものだとジムは時折天を仰いだ。そのうちの二人が自分と、同じくこの国に留学してきた共通の友人であるヨハンであることからしても。
ただ他に何人居るのかジムは知らない。それでも十代がそれぞれの相手を心より大切にして対等に付き合うので、誰かと居る時間は確かにその誰かだけの十代なのである。物好きが主張する独占欲なんてものは彼には理解出来ない。故に十代を詰問したり糾弾するなんてことは全くの無意味だ。彼に関わる人間の間に取り決められた紳士協定は幸いにして今まで破られたことはなかった。
恐らく皆が皆、こんな関係は奇妙でおかしいと本当は分かっている。分かっていないのは十代だけで、一人に縛られない風のような彼だけがいつまでも自由なまま捕まえておくことが出来ない。誰のものでもあって誰のものでもない酷い博愛主義者を愛したのは愚かな行いかもしれない、だがジムはこの歪な同盟から抜け出すことを選ばなかった。十代を手放さずにいるのはあくまでジムの意志だった。それは他の相手もきっとそうで、ヨハンにしても未だに関係を断たないのは自分のように頭の天辺からつま先まで十代に取り憑かれてしまっているからなのだろう。
皆がどこか狂っている。もしかしたら最も正常なのは十代なのかもしれないとすら思うことがある。その度にジムの頭は正当性を求めぬよう忠告する。何が正しいか決めることは、この関係を根底から否定することと同じような気がしている。
「ご馳走様」
「オー、飲み切ったのか」
「もう俺、あの時の俺じゃないんだぜ。ブラックコーヒーなんてちょろいさ」
「一年前は無理だったのに?」
「へへ、成長したんだよ」
得意気な十代から空のマグカップを受け取ると、陶器にはまだ温もりが残っていた。ジムの目が細められる。淋しさの入り混じった嬉しさが全身に拡がって自分を毒していくのが分かった。好きだ。好きだ十代。アイラヴユー。ドントゴーエニウェア。何処にも行かずに此処に居てくれたらどんなに幸福か分からない。だがそう縋れば十代は困ってしまうだろうから願わない。それは本意ではないのだ。自分の有する幸福が全て十代から齎されたものであるなら良いじゃないか。不幸とは違うさ、たとえはぐらかしているとしても。
「なあジム、来週の水曜さ、何時に大学終わる? いつもと同じ?」
すっかりいつもの調子に戻った十代は期待に満ちた眼差しを向けてくる。何か面白いことを企んでいるらしい、スケジュール表を頭に書き出すジムを待つ間も落ち着きを欠いていた。隠し事の出来ない子供と同じで微笑ましさを覚える。
「イエス、変わりはないよ」
「よっしゃあ! 早く帰ってくるからさ、何か作って一緒にワイン開けようぜ! この間良いの買っといたんだ、ジムが好きそうなやつ!」
名案だろ? 人差し指を立てる十代の瞳に自分が映る。無邪気な少年の姿をした彼が自分だけを見ているこの時、真実自分の方が捕まえられているのだとジムは気付かない。十代が見つめる先の全ては十代に囚われる。素朴なキャンバスに感情を描き出す彼は魔力に満ちた瞳を持っている。ジムがきらきらと輝く二つの球を覗き込むと、惚けた顔の男が映っていた。その瞳は一つ、魂の抜けたものだけ。畳む
デッドオアドライブ
・十代とジムと可哀想なオブライエン。
・書いてる本人はジム十のつもり。
#ジム十 #現代パラレル
右を見ても左を見ても荒野が地平線まで続き、更には切り立った岩山が連なる大自然。その中を只管一直線に進むのなら爽快で楽しかろう。まるで洋画のエンドロールのように。
しかし此処は何処だ? ご覧の通りビル街だ。歩道に溢れるのは風に巻き上げられた草の塊ではなくスーツに身を包んだ人々だ。車の窓から垣間見える彼らの表情は訝しげなものばかりでお騒がせして申し訳ないと謝りたくなる。その間もボトルホルダーのペットボトルががたがたと揺れて五月蝿かった。今にも飛び跳ねてしまうのではないかと心配で、オブライエンは仕方なくそれを手の中に収めることにした。膝の上で持っておくのが最も安全だろうと思ったのだ。そうしているうちに今まで車窓をひゅんひゅん過ぎていた人々の影がのろくなり、かと思っていたら唐突なブレーキと共に車は停止した。視界の端に赤信号が見える。毎度この停まり方はやめてほしい、と信号毎に深まっていく溜息をついて、後部座席からの光景をオブライエンの目が捉えた。
右には鰐のカレンが居て、その前の助手席にはハンバーガーを袋から出す十代が居て、買ったばかりのそれを彼から受け取るジムは運転席から不思議そうに自分を振り返っている。「どうした、オブライエン? 眠いのか?」どうしたもこうしたも、前を向け前を! 愉快で堪らないといった風なジムの隣で十代が指差す。
「あ、信号青だぜ」
「早いな。ブレイクを取るのはやはり高速に乗ってからかもしれない」
時速百キロを越す中での休憩など勘弁願いたい。オブライエンの心中などこれっぽっちも察することなく、彼ら三人と一頭を運ぶクーパーは標識に従って高速道路を目指していく。
映画のように、或いは自分の母国のように開けっ広げの道を疾走するならばこんなにも心臓に冷や汗を掻くこともあるまいが、アクセルを踏む時もブレーキを踏む時もジムの運転はダイナミックであるから落ち着く暇を与えてくれない。けれども十代やカレンは慣れたものなのか動じずにいてそれどころか食事を楽しむ有様なので、驚きを通り越して一種の畏怖をオブライエンに抱かせたくらいだった。落ち着く為にペットボトルの口を開け、烏龍茶を一口、二口喉へ注ぐ。その間もジムは容赦なくスピードを上げるので、せめて料金所を抜けるまでは落ち着いて走ってくれと飲みながら願った。
そもそも本日快晴の元にオブライエンがこうしているのは十代から「良い天気だから駅前に九時集合な」とメールがあったからで、突然の呼び出しだが十代のやることといえば多少奇天烈な内容でも総じて面白いものに違いないと判断したから来たまでだ。だがジムが加われば事情は異なる。都合が悪いという意味ではない、奇天烈さが格段に上がるのだ。例えば先月はフィールドワークと題して一泊二日の登山に連行されたし、その前は暑いから川に行くと言われてついて行ったらせせらぎが美しい川ではなく互いの声を聴き取るのがやっとというくらい轟音を響かせる滝だった。活動的なのが十代とジムの共通点なので二人が合わさると相乗効果となるらしい。
さてここで本日待ち合わせ場所に現れたのが、制限速度を明らかに超えていると思われる青のクーパーだった時の俺の気持ちを想像してもらいたい。十代は車を持っていない。ということは他の誰かが運転し十代を連れてきたということだ。その誰かが誰だと特定するのにものの一秒もかからなかった。
「ヘイ! 十代からコールされて来たぜ!」
左ハンドルの運転席、その窓に長身を無理やりねじ込んでいたのはオブライエンの予想通りの人物で、ああ畜生! と彼が顔を覆ったのも致し方あるまい。
「このまま暫く道なりだなあ」
広げていた地図を閉じ、十代はハンバーガーに食らいつきながらもごもごと言った。トラックを追い抜きつつ平日の高速道路を駆け抜けて、この車が一体何処へ向かうのか、オブライエンにはまだ知らされていない。これが十代一人なら遠慮なく訊ねていただろうがそうではないので、このまま到着まで知らずにいる方がかえって幸せかもしれないという考えがオブライエンの頭に浮かんでいた。山だろうが川だろうが、その名称に騙され安心してしまっては後々後悔するだろうから。
「オブライエンほんとに昼飯いらねえの?」
「ああ……腹は減ってないから代わりに食え」
「じゃあ有難く」
「アーユースリーピー? 寝てても良いぜ」
「分かったからお前は安全運転を心掛けろジム」
「オーライ!」
返事とは反対にスピードが更に上がる。「安全運転だと言ってるだろ!」これでは眠気を感じるどころではないというのに!
その後、三時間もの高速運転から解放されたオブライエンを待ち受けていたのは、山でもなければ川でもない、太陽の反射が眩しい大海原だった。まるで光の粒をちりばめたようなきらめきに車から降りた時は目が眩んだが、それを一粒残らず吹き飛ばしたのが直後十代から渡されたフェリーのチケットである。記されていたのは離島の名前。財布と携帯電話だけでは身軽過ぎるだろう目的地。だが今更引き返して荷物を取りに帰るなんて出来ない距離で、加えて十代もジムも(カレンも)荷物なんてあってないようなものだったから、離島に行ったってどうにかなる気がした。根拠は無いがこの顔ぶれだ、旅は道連れである。
出航の汽笛に乗せて再び呟く。「ああ畜生」今度は一週間は帰れそうにない。畳む
・十代とジムと可哀想なオブライエン。
・書いてる本人はジム十のつもり。
#ジム十 #現代パラレル
右を見ても左を見ても荒野が地平線まで続き、更には切り立った岩山が連なる大自然。その中を只管一直線に進むのなら爽快で楽しかろう。まるで洋画のエンドロールのように。
しかし此処は何処だ? ご覧の通りビル街だ。歩道に溢れるのは風に巻き上げられた草の塊ではなくスーツに身を包んだ人々だ。車の窓から垣間見える彼らの表情は訝しげなものばかりでお騒がせして申し訳ないと謝りたくなる。その間もボトルホルダーのペットボトルががたがたと揺れて五月蝿かった。今にも飛び跳ねてしまうのではないかと心配で、オブライエンは仕方なくそれを手の中に収めることにした。膝の上で持っておくのが最も安全だろうと思ったのだ。そうしているうちに今まで車窓をひゅんひゅん過ぎていた人々の影がのろくなり、かと思っていたら唐突なブレーキと共に車は停止した。視界の端に赤信号が見える。毎度この停まり方はやめてほしい、と信号毎に深まっていく溜息をついて、後部座席からの光景をオブライエンの目が捉えた。
右には鰐のカレンが居て、その前の助手席にはハンバーガーを袋から出す十代が居て、買ったばかりのそれを彼から受け取るジムは運転席から不思議そうに自分を振り返っている。「どうした、オブライエン? 眠いのか?」どうしたもこうしたも、前を向け前を! 愉快で堪らないといった風なジムの隣で十代が指差す。
「あ、信号青だぜ」
「早いな。ブレイクを取るのはやはり高速に乗ってからかもしれない」
時速百キロを越す中での休憩など勘弁願いたい。オブライエンの心中などこれっぽっちも察することなく、彼ら三人と一頭を運ぶクーパーは標識に従って高速道路を目指していく。
映画のように、或いは自分の母国のように開けっ広げの道を疾走するならばこんなにも心臓に冷や汗を掻くこともあるまいが、アクセルを踏む時もブレーキを踏む時もジムの運転はダイナミックであるから落ち着く暇を与えてくれない。けれども十代やカレンは慣れたものなのか動じずにいてそれどころか食事を楽しむ有様なので、驚きを通り越して一種の畏怖をオブライエンに抱かせたくらいだった。落ち着く為にペットボトルの口を開け、烏龍茶を一口、二口喉へ注ぐ。その間もジムは容赦なくスピードを上げるので、せめて料金所を抜けるまでは落ち着いて走ってくれと飲みながら願った。
そもそも本日快晴の元にオブライエンがこうしているのは十代から「良い天気だから駅前に九時集合な」とメールがあったからで、突然の呼び出しだが十代のやることといえば多少奇天烈な内容でも総じて面白いものに違いないと判断したから来たまでだ。だがジムが加われば事情は異なる。都合が悪いという意味ではない、奇天烈さが格段に上がるのだ。例えば先月はフィールドワークと題して一泊二日の登山に連行されたし、その前は暑いから川に行くと言われてついて行ったらせせらぎが美しい川ではなく互いの声を聴き取るのがやっとというくらい轟音を響かせる滝だった。活動的なのが十代とジムの共通点なので二人が合わさると相乗効果となるらしい。
さてここで本日待ち合わせ場所に現れたのが、制限速度を明らかに超えていると思われる青のクーパーだった時の俺の気持ちを想像してもらいたい。十代は車を持っていない。ということは他の誰かが運転し十代を連れてきたということだ。その誰かが誰だと特定するのにものの一秒もかからなかった。
「ヘイ! 十代からコールされて来たぜ!」
左ハンドルの運転席、その窓に長身を無理やりねじ込んでいたのはオブライエンの予想通りの人物で、ああ畜生! と彼が顔を覆ったのも致し方あるまい。
「このまま暫く道なりだなあ」
広げていた地図を閉じ、十代はハンバーガーに食らいつきながらもごもごと言った。トラックを追い抜きつつ平日の高速道路を駆け抜けて、この車が一体何処へ向かうのか、オブライエンにはまだ知らされていない。これが十代一人なら遠慮なく訊ねていただろうがそうではないので、このまま到着まで知らずにいる方がかえって幸せかもしれないという考えがオブライエンの頭に浮かんでいた。山だろうが川だろうが、その名称に騙され安心してしまっては後々後悔するだろうから。
「オブライエンほんとに昼飯いらねえの?」
「ああ……腹は減ってないから代わりに食え」
「じゃあ有難く」
「アーユースリーピー? 寝てても良いぜ」
「分かったからお前は安全運転を心掛けろジム」
「オーライ!」
返事とは反対にスピードが更に上がる。「安全運転だと言ってるだろ!」これでは眠気を感じるどころではないというのに!
その後、三時間もの高速運転から解放されたオブライエンを待ち受けていたのは、山でもなければ川でもない、太陽の反射が眩しい大海原だった。まるで光の粒をちりばめたようなきらめきに車から降りた時は目が眩んだが、それを一粒残らず吹き飛ばしたのが直後十代から渡されたフェリーのチケットである。記されていたのは離島の名前。財布と携帯電話だけでは身軽過ぎるだろう目的地。だが今更引き返して荷物を取りに帰るなんて出来ない距離で、加えて十代もジムも(カレンも)荷物なんてあってないようなものだったから、離島に行ったってどうにかなる気がした。根拠は無いがこの顔ぶれだ、旅は道連れである。
出航の汽笛に乗せて再び呟く。「ああ畜生」今度は一週間は帰れそうにない。畳む
エデンの双子
・双子の高校生のふたり。
#覇十 #現代パラレル
これで性格が似通っていたら仲の良い双子として揃って微笑ましく接してもらえたかもしれないが、そうはならなかったのだから人生は不公平から始まっているとしか言えない。そもそも十代のような天真爛漫という言葉以外に当てはまるものが見当たらないくらい笑顔の絶えない、裏表のない(これはただ馬鹿なだけかもしれない)人間が、俺の存在の所為で近寄り難いものとして扱われるのが到底許せなかったのは事実だ。だから高校ではなるべく俺とは行動を共にしないよう距離を取るようにと入学前から耳にタコができるほど言い聞かせてきたのだが、そこは俺の双子の弟、言って聞くような性格ではない。誰もが遠巻きに見てくる中で弟だけは満面の笑みで俺を呼ぶのであった。
十代はすぐに高校に慣れた。社交性に富んだ彼は友人を作ることにも長けていて、しかも相手の顔色を伺うことなどせずとも自然体でいるだけで他人が寄ってくるのだから、彼の魅力は彼自身にあるのだろうと思う。彼のどこそこが、等ではなく。それなのに一年の半分が過ぎた頃になるとその友人達は十代の元を訪れなくなってしまった。十代が違うクラスの俺の元へと通い続けていたからだ。十代と異なり友人と呼べる存在を作らずに成長してきた俺には他人への関心が皆無で話題を提供することなど到底なく、ただ出来ることといえば人間関係を拗らせることだけだと幼い頃からよく分かっていた。だから学校では俺に引っ付くなと言っておいたのだ。俺と居れば十代の友人らは敬遠するに違いないから。とこしえの春のような十代とは似ても似つかぬ性格であるから。雪崩に巻き込まれ死にそうな深い雪山に誰が望んで侵入するだろうか。かけ離れた俺達が双子として生まれたのは、どこまでもこの世の天秤がアンバランスだという証明のように思えた。
いつもそうだ。小学校でも中学校でもそれ以外のコミュニティでも、結局残るのは俺と十代の二人だけ。もしかしたら十代には他にも何か残されたかもしれない。しかし俺には常に十代しか残されない。俺の履歴にあるのは十代との記憶のみだ。積み重ねてきた時の欠片を分かち合う相手がたった一人だなんて、俺にとっては幸福以外の何物でもなかった。故に折角の高校生活をこんな状態で弟に過ごさせてたまるかと思う一方で、十代が傍に居ることで漸く感じることの出来る生の感覚に酔い痴れる俺は、たとえ大切な弟の友人であろうとも、他人のことなど心底どうでもいいろくでもない人間であるのは間違いない。肝心なのはこうして二人で居ることなのだ。生きていくことなのだ。
二年前、僅かな懺悔を抱きながら弟と家路についたことなどはるか昔の出来事みたいに、最上級生になった俺は当然の権利として十代の隣に立っている。
「大学、どうするんだ」
「んー、なんかぱっとしないんだよなぁ。進学するのやめよっかなぁ」
「お前はやればできるんだ。必須科目は教えてやるから、今度の模試で俺が言う大学名を志望校に書いてみろ。目安になる」
「覇王が言うならそうする」
白いシャツが鮮やかな日の光を反射してその色以上に眩しく見えた。放課後にだけ満ちる、ざわめきの膜に包まれた静寂の教室。開け放した窓の上には未だ落ちようとしない光の塊が熱射を浴びせてくる。汗ばんだ制服が邪魔だ。本格的な夏になりかけた世界は蒸し暑く余計に心地を悪くしていたが、誰も近寄らない教室の片隅で小さな楽園を形成し、俺達はその中で緩やかな呼吸をし続けていた。
「進路希望の紙、出しに行くから。覇王も一緒に行こうな」
「行くのは良いがお前と共に説教をくらうのは気が進まんな」
「そんなこと言うなよ、お兄ちゃん」
そう笑う十代の唇から時折零れる湿った吐息が皮膚を撫でるたび、その下を流れる血液が熱く唸って、一層弟を愛おしく思った。お前がそうして孤独で在る限り、俺もまた生きていけるのだから。
そしていつまで経っても俺達は、完全に一人にはなれない。畳む
・双子の高校生のふたり。
#覇十 #現代パラレル
これで性格が似通っていたら仲の良い双子として揃って微笑ましく接してもらえたかもしれないが、そうはならなかったのだから人生は不公平から始まっているとしか言えない。そもそも十代のような天真爛漫という言葉以外に当てはまるものが見当たらないくらい笑顔の絶えない、裏表のない(これはただ馬鹿なだけかもしれない)人間が、俺の存在の所為で近寄り難いものとして扱われるのが到底許せなかったのは事実だ。だから高校ではなるべく俺とは行動を共にしないよう距離を取るようにと入学前から耳にタコができるほど言い聞かせてきたのだが、そこは俺の双子の弟、言って聞くような性格ではない。誰もが遠巻きに見てくる中で弟だけは満面の笑みで俺を呼ぶのであった。
十代はすぐに高校に慣れた。社交性に富んだ彼は友人を作ることにも長けていて、しかも相手の顔色を伺うことなどせずとも自然体でいるだけで他人が寄ってくるのだから、彼の魅力は彼自身にあるのだろうと思う。彼のどこそこが、等ではなく。それなのに一年の半分が過ぎた頃になるとその友人達は十代の元を訪れなくなってしまった。十代が違うクラスの俺の元へと通い続けていたからだ。十代と異なり友人と呼べる存在を作らずに成長してきた俺には他人への関心が皆無で話題を提供することなど到底なく、ただ出来ることといえば人間関係を拗らせることだけだと幼い頃からよく分かっていた。だから学校では俺に引っ付くなと言っておいたのだ。俺と居れば十代の友人らは敬遠するに違いないから。とこしえの春のような十代とは似ても似つかぬ性格であるから。雪崩に巻き込まれ死にそうな深い雪山に誰が望んで侵入するだろうか。かけ離れた俺達が双子として生まれたのは、どこまでもこの世の天秤がアンバランスだという証明のように思えた。
いつもそうだ。小学校でも中学校でもそれ以外のコミュニティでも、結局残るのは俺と十代の二人だけ。もしかしたら十代には他にも何か残されたかもしれない。しかし俺には常に十代しか残されない。俺の履歴にあるのは十代との記憶のみだ。積み重ねてきた時の欠片を分かち合う相手がたった一人だなんて、俺にとっては幸福以外の何物でもなかった。故に折角の高校生活をこんな状態で弟に過ごさせてたまるかと思う一方で、十代が傍に居ることで漸く感じることの出来る生の感覚に酔い痴れる俺は、たとえ大切な弟の友人であろうとも、他人のことなど心底どうでもいいろくでもない人間であるのは間違いない。肝心なのはこうして二人で居ることなのだ。生きていくことなのだ。
二年前、僅かな懺悔を抱きながら弟と家路についたことなどはるか昔の出来事みたいに、最上級生になった俺は当然の権利として十代の隣に立っている。
「大学、どうするんだ」
「んー、なんかぱっとしないんだよなぁ。進学するのやめよっかなぁ」
「お前はやればできるんだ。必須科目は教えてやるから、今度の模試で俺が言う大学名を志望校に書いてみろ。目安になる」
「覇王が言うならそうする」
白いシャツが鮮やかな日の光を反射してその色以上に眩しく見えた。放課後にだけ満ちる、ざわめきの膜に包まれた静寂の教室。開け放した窓の上には未だ落ちようとしない光の塊が熱射を浴びせてくる。汗ばんだ制服が邪魔だ。本格的な夏になりかけた世界は蒸し暑く余計に心地を悪くしていたが、誰も近寄らない教室の片隅で小さな楽園を形成し、俺達はその中で緩やかな呼吸をし続けていた。
「進路希望の紙、出しに行くから。覇王も一緒に行こうな」
「行くのは良いがお前と共に説教をくらうのは気が進まんな」
「そんなこと言うなよ、お兄ちゃん」
そう笑う十代の唇から時折零れる湿った吐息が皮膚を撫でるたび、その下を流れる血液が熱く唸って、一層弟を愛おしく思った。お前がそうして孤独で在る限り、俺もまた生きていけるのだから。
そしていつまで経っても俺達は、完全に一人にはなれない。畳む
・大学生のジムと剣山がしゃべってるだけ。
#現代パラレル
毎度毎度もううんざりだと思っているのだが、今しがた吐いた溜息など関係ないとでもいうように今年も幹事役は剣山の元に訪れた。新入生歓迎会なんて開いたところで、酔い潰れた後輩の面倒を看る為だけに一晩を費やさなければならないのだ。想像するだけで嫌な予感しかしない。吐かせて掃除をして居酒屋の店主に謝るまでが様式美なのかと言いたいほど、春の通過儀礼となってしまっている気がする。
右手でスマートフォンをいじりメールを準備する。一斉送信する宛先に入れられたのは「化石愛好会」に登録された部員達だ。前もって口頭で連絡はしてあるが確認も兼ねてメールをしておこうと、剣山は本文に歓迎会の案内を打ち込んだ。歩きながらいじっていると人にぶつかるので止めるべきだと注意喚起をするポスターを横目に学内を進む。すると聞こえてくるのは周囲を行き交う生徒達の「新歓いつ?」という話題であった。入学式からまだ半月も経っていないこの時期、居酒屋は何処もかしこも歓迎会のおかげで満員御礼の看板だらけなのは言うまでもない。無論、予約をしていないなどという手抜きが剣山にあるわけもなく、四回目となった今年も彼の中で手順化された方法に従いセッティングが完了していた。
桜の舞う季節は強制的に眠りに誘われるのか、剣山の瞼は画面を見つつも緩い陽射しに重くなっていく。今日は用も済んだしもう帰るか。送信ボタンをタップしてジャケットのポケットにスマートフォンを仕舞った時、彼は目の前で手を上げている人物に気が付いた。
「ダイノボーイ!」
何故季節を問わずテンガロンハットを被っているのか。春の陽気の中で殊更主張している西部劇のようなファッションに、剣山は何度も問おうとして止めた質問を脳裏に思い出した。それに今ではその帽子が無ければ違和感を覚えてしまうくらい慣れてしまって、彼の立派な構成要素と化していることだし、きっとこのまま卒業まで訊ねることは無いだろう。
「その呼び方、勘弁してくれザウルス」
「君がその口調でトークしている限りドンストップ」
もうジム・クロコダイル・クックはこういう奴なのだと思うしかない。いや、留学生は全員彼のようにからから笑って受け流す人間ばかりなのか? 見ているとそう疑いたくなるが、他の留学生には必ずしもその法則は当てはまらないので彼等の名誉の為にも止した。やはりジムが少し変わっているのだと結論付けておく。家では鰐を飼っているし(彼に言わせると家族らしい)、化石愛好会の中でもずば抜けて化石を愛し、しかも考古学にも目を見張る程精通しているし、少なくとも剣山にとってジムは特殊に分類されるべき男であった。恐竜を連想させる風貌の剣山も他の学生からしてみると大概特殊なのであるが、大部分の人間は自分のことには案外気が回らないものだ。首を振って、剣山は牙を模ったピアスをちゃらちゃら揺らした。
「これは俺のアイデンティティだドン」
「じゃあノープロブレムじゃないか。そういえばサンクス、ちょうどメールが届いたよ。ウィークエンド、サタデーナイトフィーバーだな」
「何で俺が幹事をやらなきゃ駄目なんだドン? お前も同じ四回生なのに不公平ザウルス」
「俺は仕切るタイプじゃない、サポート役が似合ってるのさ」
まるで言い訳にしか聞こえない言葉だが、ジムは至って本気のようだった。確かに一回生の頃から彼がどんな飲み会でも欠かさず参加し続け、剣山を手助けしていたのは事実である。幹事が潰れるわけにはいかないと剣山が意識的にアルコールを手にしないようにしている一方、ジムは所謂ザルで、強い酒でも何のことはなくまるで歯が立たないのだ。彼と飲み比べに挑戦しては己の命が危ないとそこかしこで噂されている恐るべき男。やはり外国人だから体質が違うのか……そう何度剣山が思ったか、図の知れない留学生はメッセンジャーバッグを背負い直して浮かない顔の青年と共に歩き出した。背の高いジムと平均的な身長の剣山が並ぶと凸凹としてまた目立つ。
「幹事も今年でラストだろう? テイキットイージー。また俺がフォローするよ」
「テイキットイージーなのはいつもそっちだドン……」
「そんなことより聞いてくれ、ニュースだ! 恐竜博物館がまたニューフェイスを迎えたらしい! 会のアウティングにベストだと思うんだが、来月どうだい?」
情報の速さがまた彼の化石好きを裏付けている。花弁と一緒に下りてくる睡魔と週末を予想して先取りした疲労感が剣山の双眸を淀ませそうにしているのに対し、ジムは新しく発掘されたという化石の話題に目を輝かせて身振り手振りで伝えてくるのだが、長い両手が解説してくれる内容にもいつもなら心躍る筈がこの時期に限っては自分を興奮させるどころか嘆息させてしまうのが恐竜に申し訳ない。楽しみが増えると面倒なことが対照的に一層面倒に思えてしまう。辛気臭い顔をしていても仕方がないとは分かってはいても剣山は重い足取りを今以上軽くすることが出来ず、先を行くジムが立ち止まる度に元気付けられて大学を後にした。畳む