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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

無きにしも非ず(ある馭者の話)
・幽霊のサイテリと修道女のオフィーリア。
#サイテリ #IF

 その時、馬車に乗せたお二人は、確かにまぁ素敵な出で立ちでいらっしゃいましたよ。
 背の高い男性は、フロックコートと言うんですかね、裾の長いコートをそれはそれは着こなしてみえて、冬だというのに、雪解けが来たのかと思うくらい、そこらじゅうが熱くなるのを感じました。
 もうお一方は、白いシャツが、ピンと張っていて。肌が少し浅黒いのは、南方出身なのかしらと。そのお方は、対比がね、とても目に鮮やかでしたよ。なんでかって、大きな宝石が飾り付けられていたのです。聖火で炙ったようなルビーでした。人の目玉よりは大きかったでしょうかね。それを、鎖を通して、ベルトがわりに腰に巻いておられて。寒い日でしたけども、上着はお持ちではなくて。でも、毛足の長い、大きな肩掛けがございました。そのお方には、それで十分だったのでしょうね。
 時々、背の高い方が、それを直すのが、何とも――あぁ申し訳ございやせん。何とも、もうお一方自身が宝石のような、そんな手つきだったもので。
 思い出すと、まぁ不思議なお二人でした。旧ストーンガード方向まで、そう言われたのですが、あちらに何の御用があったのでしょうね。あそこにはもう、誰も居ないでしょうにね――。

 馭者は目尻に懐かしさを滲ませながらそう話した。彼の瞳にはおそらく、かつてのストーンガードが描かれているのであろう。
 初老の男が、かなり前の出来事を昨日のことのように思い出せたのを見て、話のなかの二人がいかに印象深かったのかをオフィーリアは感じ取る。彼女に舞い込んだ依頼のひとつ、『除霊』についての調査の途中で、オフィーリアの疑念が強くなる。対象は除霊すべきものではなく、遺すべきものではなかろうか、と考え始めたのだ。
 あらオフィーリア、珍しく迷っているのね。
「シィッ! 駄目ですよプリムロゼさん、まだ……!」
「んん? 神官様、何かありましたかな?」
「いいえ何でも! お話、ありがとうございました。あなたに聖火神のご加護がありますよう――」
 両手を組み、馭者の前で祈りを捧げる。それだけで気が引けるほど有難がられるのは、この世界がもう寄る辺をなくしかけているのを暗示しているようだった。
「もうっ! びっくりしました……」
 馭者の小屋をあとにして、石畳を進む。かつては整備され美しかったであろう路も、今ではほとんどが割れ、修復する者も居ない。小石に躓かないよう足元を確認するたび、オフィーリアの心に後悔とも無念ともつかぬ感情が湧き出る。かつてのゴールドショアを見てみたかった。
「わたしにしか見えないはずですが、気を付けてくださいね」
 あら、ごめんなさいオフィーリア。――その二人が悪いものじゃないって、思っているんでしょう?
「ええ……でもそれだけじゃなくて、まだ何か引っかかっていて……」
 オフィーリアの視線が、何もない彼女の右肩、その背後を捉えた。通常、そこに在るのは空白のみ。だが彼女の目にははっきりと、妖艶な踊子の女性が映っている。
 なら、まだ調査を続けなきゃいけないわね。そうでしょう、オルベリク?
 ふふっ。その女の唇が、紅くあやしげな弧を描くのを受けて、オフィーリアの左肩で少々重たげな溜息が聞こえた。
 ……仕方あるまい。ともかく、危険なことになる前に、躊躇わず俺を呼ぶのだ。
「はい! ありがとうございます!」
 おふたりを頼りにしてます! 力強い声が瓦礫の山に反響する。
 並みの修道女は持ち得ぬ妙な力のおかげで、幼い頃からオフィーリアの周りは『見えないもの』で騒がしい。子どもの頃は居るはずのない姉妹で、成長してからは古めかしい剣士と踊子の男女で。
 さて、この依頼が導く結末は何だろう。手袋ごしに古地図を確かめ、前を向く。ブーツの踵が石畳を蹴る。湿った風が、ゆるゆると彼女の金髪を撫でた。
畳む
お題『サイテリさんはコートに雪の結晶がついていた冬のある日、ありふれたコーヒースタンドでおみくじの結果についての話をしてください。』
・「エーテルの青年」番外編3。
#サイテリ #現代パラレル

 私は運気を持ち帰った。
 元日にこれほど冷え込んだのは何年ぶりか。トレンチコートの肩を払えば、サイラスの周りに粉雪が舞い散った。偶然立ち寄ったコーヒースタンドは人が居なかった。正月特有だろうか? 店先の小さな机でサイラスは考える。思考の合間にも暗い天井から白いものが降りてきて、店の照明がそのひとつひとつを映し出すたび、ほろほろと踊る。絶え間ない雪の舞踏会を、しばらく眺めていた。
 サイラスの視界の端で、信号が赤になった。その色にはっとして視線を落とす。薄い、細長い紙切れ。タンブラーの下敷きになっている「大吉」の文字に、昼間の光景を思い出した。彼が有する数少ない非日常、正月の光景だ。
 人人人。サイラスにとって、初詣は特段行きたかったわけではなかった、かと言って同僚の誘いを断るほどの理由を持ち合わせてもいなかった、立ち位置の分からない行事であった。御神籤の行列に並んだのも同様で、彼にとっては「どちらでもよかった」のである。が、手にした短冊状の紙切れを丁寧に折り畳んで財布にしまい込んだのは、やはり雰囲気に酔ってしまった結果かな、と彼はひとりごちた。正月を締めくくるコーヒーのお供は、スコーンでもチョコレートでもなく、味気ない御神籤だった。
 酔っただけかもしれない。でも、願掛けかもしれない。
 ひゅうっ。雪とともに風が走り去る。コーヒーよりも先に身体が冷え切ってしまいそうだな。彼はつい目を閉じた。
「……大凶なのは当たってたってわけか」
 その一瞬が過ぎた時、聞き覚えのある声がした。だがサイラスはこの声を久しく耳にしていなかった、あの春先の日からずっと。何故ならこの声を発する者を、ついぞ見つけ出すことが出来ずにいたからだ。いや途中までは、「彼」の輪郭を捉える程度までは、出来ていたかもしれぬ。だがこの目に再び収めることはもっと先の未来のことだと考えていた。サイラスにとってはそれくらい想定外で、世界が一気に真っ白くなる感覚が彼を襲った――目の前の男に、五感がすべて引っ張られるような。
「スリには気を付けろ、と言ったはずだがな」
 大きめのモッズコートは、夜のせいでカーキから墨色に変色していた。だが、脱色したような髪はあの時から変わらずに白い。こんな冬の日だから、あたたかい動物の毛皮と勘違いしそうな。
 その手には紙切れ。ひらひらと弄んで、「フン」とつまらなさそうに一瞥する。
「おたくは大吉か」
「……案外、当たっていると、思うよ」
 サイラスの喉から上擦った声が出たので、男――サイラスがひそやかに「彼」と呼ぶ青年は、怪訝な顔をするしかなかったとみえる。睨みつけるようではなくとも、眉をひそめてこちらを見た。
「……そうかもな」
 おたくに会ってしまうくらいだしな、と付け加えて、青年の手が御神籤を机に置いた。元のように、サイラスのタンブラーをペーパーウェイトがわりにして。
 少し伏せた顔が再び上がる時、前髪で隠れていないほうの目に、コーヒースタンドの光が反射した。きらりとした輝きに、サイラスの心中はまるで明け方の太陽を目の前にした心地になる。きっと「彼」が存在している空間は、自分にとっていつもまばゆい。音が身を潜める時刻でも、大雨のなか突っ立っていたとしても。サイラスがそう結論づけるほどに、「彼」がサイラスを占領する割合は大きく、その他大多数と比較できぬほどの価値があった。
 その価値が今夜、紙切れひとつでもたらされたのであれば、来年からは必ず初詣に行き御神籤をひこうとサイラスが誓うのは自明の理であった。
 私は運気を持ち帰った。それは今日この瞬間のためにあった。
 サイラスの視界の端では、信号が何度目かの反転を試みていた。赤から青へ、青が点滅し始めたら次は――。畳む
擬態生活
・「色のない狐」前日譚?
#サイテリ #IF

 面倒を見てもらいたい奴がいる。
 知り合いからそう言われた時、私の脳裏には何ら疑問は浮かばなかった。王立学院の端、研究室の椅子に屈強な肉体を何とか収めて、オルベリクは腕を組んだ。
「あなたがそう頼みに来るのは珍しいね」
「他に頼る人間もいなくてな」
「ふむ。まずはお茶でもいかがかな」
 返答を待たずして、私の手は既にティーポットを手に取っていた。立ったままでいたのはそのためだ。陶器の表面は、先ほど湯を注いだばかりだからまだ熱い。傾けると、カップの中に褐色の湖が拡がった。水面にはランプの灯が小さな小さな月となって浮かぶ。
「まずはあなたの眉間の皺をどうにかしなくてはね」
「む……うむ、いい香りだ」
 すん、とオルベリクの鼻が鳴る。
「そうか、良かった。頂き物なんだけれど、私も気に入っている茶葉なんだ」
 応接机へカップを二つ並べて、私も向かい側へと腰かけた。応接机とは名ばかりで、端々に本や羊皮紙が積み重なる様は、客人を迎え入れるには適していないことは明白である。
「せっかく夜にアトラスダムまで来てもらったのだから、美味しい酒のひとつでもご馳走したいのだけど」
「いや、事前に知らせなかった俺が悪い。すまん、突然」
「ああ違うんだ、そういう意味ではないよ。さあどうぞ。葡萄酒には敵わないかもしれないが、これも会話のお供には良いだろう」
 そう茶を勧めると、彼の無骨な指がようやくカップを持ち上げた。少し遠慮がちなところに私は好感を持っている。
 秋風のせいか、部屋の蝋燭が時々揺らめき、我々の影がぼうっと滲む。それが落ち着く頃合を見計らっていたと思われる、オルベリクの口がようやく開いた。
「牢から出所する、ある男がいてな。身寄りがない」
「……それで?」
「ここで、お前の手伝いをさせてやってくれないか」
「あなたのことだから、自分が引き取ると言い出すかと」
「お前がほうが適任だと思ったんだ、サイラス。人の生には、師が必要だ」
「成程。あなたなりの哲学には私も同意する」
 けれども。そう発して、私は一口紅茶を含んだ。甘味も酸味もない、苦味特有の美味。
「王立学院には試験があってね」
 一寸前に喉を通り過ぎた熱さの余韻を楽しみながら、オルベリクを見据える。
「それを受けてもらうよ。無論、簡単なものではない。ええと、今年の試験官は……そうだ、私だった。忘れていたよ」
 お前は自分のこととなると忘れやすい。そう苦笑されれば、何も返せない。いつものことだった。

 翌月、試験当日。休学日で人気の少ない学院に、青年がひとりと、女性がひとりやってきた。青年のほうがテリオン君、オルベリクの紹介でやってきた元罪人。女性のほうがオフィーリア君、フレイムグレースからやってきた神官。
「よろしくお願いします」
 陽光のなか、低い声と高い声が見事な調和を生み出して、私の耳を揺さぶる。あまりに綺麗だったからだろう、女性のほうが隣の青年を見て、ふふ、と笑みをこぼした。彼はと言えば、女性の視線を躱しきれずに、ばつが悪いといった感じで顔をそむけただけ。
 確かにこれは扱いが難しいやもしれぬ。
 その雰囲気は女性のほう、オフィーリア君にも伝わって、彼女の目が残念そうな色を漂わせたまま私に戻った。それを契機に、小脇に抱えていた紙を彼らに手渡す。
「さて、試験を始めよう」
 ――テリオンには身寄りがない。せめてお前が兄代わりになってやってくれないか。頼む。
 オルベリクの言葉を思い出しながら、私は青年を観察していた。兄、兄か。テリオン君は二十二だという。私とは親子までいかない、確かに兄という立ち位置が最も彼に近い。
 教師は道しるべを示すことはできても、完全なる師には不相応だ。それは自ら見つけるものであるから。
 サイラス兄さん。
 そう呼ばれて、むずがゆく心地よいと感じるまで時間がないことを、私は知らなかったのだ。畳む
希求する
・「新世界より」後日譚。
#サイテリ #現代パラレル

 全体を統率するのは、あのカノンと同じコード進行。少し哀しみを帯びた美しい曲調は耳馴染みが良い。音階の渦の中へと放り込むように、聴く者の心を誘い出して、その身体から引っぺがす。魂が肉体の同居人であるならば、家のドアをこじ開けて、閉じこもっていた引きこもりを強制的に連れ出すようなものだろう。
 その中で、ある一つのキーワードがいっそう強く、私の中に跡を残す。歌詞としては存在しない、間奏部分のバックコーラス。彼自身が歌っているそれを、ひとつひとつ丁寧に、化石を掘り起こすように拾い集めれば、この世界では誰一人として知らぬ言語のある言葉に成り代わる。彼と私を除いて、誰も知らない。
『手紙が欲しい』
 古代ホルンブルグ語なんて、どうして知っていたんだろうか。
 驚きのあまり、記憶の蓋を開けそびれるところだった。遠い昔、あの世界の中で、私はかつてオルベリクと古代ホルンブルグ語の話をしたことがあったのだ。あれは確かダスクバロウで遺跡を見つけたあとのことだったか。今はもうない母国の、その古い言語について、オルベリクが興味を持った。
 言語の成り立ち、文法、単語。酒のつまみのような簡単なものではあったが、話が弾んだ。空気の澄んだ夜のこと。
 火の番をするテリオンの後ろ姿を覚えている。一言も発することはなかったが、確かに私達の輪の中に居た。オルベリクもそれを感じ取っていた。だから最後、彼に話しかけたのだ。
「ほう、古代ホルンブルグ語では『手紙』はそのように言うのだな――テリオン、レイヴァース家に手紙で近況報告でもしたらどうだ?」
「……何で俺が」
「きっと相手も喜ぶ。それに、相手を喜ばせるためだけに出しても、バチは当たらんだろう」
 オルベリクの言葉にも、彼は振り向かなかった。ただ、どう返すべきか迷ったのだろう、戸惑いと恥じらいを紛らわせるかのように薪をくべて、エールの瓶をあおった。火の粉が深い海のような天で泳いで、紅い星となるのを、私はじっと眺めていた。
 夜は長く、彼との時間は非常に短くて、神が私に与えたもうた時の尺度があっけなく狂っていく。いつだって止まることを知らず、気が付けば指の隙間から流れ落ちている運命が、この手に戻ることはなかった。
 今はどうだろう。私は。キミは。
 手紙を書くとして、さて何を書こうか? 普通に出したとしても恐らく届くまい。私はただの教師。テリオンは一流のシンガーソングライター。
「まるで雲の上の存在……高嶺の花だな」
 独り言の向こう側で、配信されたばかりの彼の曲がリピートされている。何度目かは数えていないが、朝から晩までずっと流しっぱなしであるから、もうすぐ記念すべき百回目かもしれない。スマートフォンの充電をすべきだろうか。
 一介のファンを装って手紙を出すか。いやいや、それならいつ相手に届くことか。せめて自分がもっと彼に近しい存在であれば、しかし有名人でもあるまいに――。
「……そうか、成程」
 戦いにおいては常に、相手と同じ土俵に立つ必要がある。虎穴に入らずんば虎子を得ず、とは何処の国の言葉だったかな。

   *   *   *

 レコーディングを終えた後、出迎えていたのはマネージャーのアーフェンだった。見知った顔が満足げに頷くのを横目で見やりながらボトルを手に取る。冷たい水が喉を通り過ぎていく感覚の、寒気を覚えるようなそれが、去年の自分の状況を思い起こさせた。
 少し前。自分は、病院のベッドの上で生死の境界線を行ったり来たりしていた。そう聞いた。新聞の隅で目にする事故欄のように、他人事にしか感じられないが、紛れもない事実。
 そのあたりの記憶はひどく曖昧だ。ずいぶん長く旅行をしていたような気もするし、そうでないような気もする。終わらない映画を観続けていたようにも思う。だが、ずっと隣に居た感触が、身体全体に残っていた。目が覚めた時、隣には誰もいなかったけれども、その正体が何なのか理解した。
 冬のプラットホームで見たあいつの驚く顔が、忘れられない。
「あの状態の後に作った曲がラブソングだなんて、しかもすれ違った末に離ればなれになる筋書きだなんて、一体どういう神経だよ」
 出来上がったばかりの曲を聴かせた時の、アーフェンの苦笑を思い出す。
 それから一年。いまだ求めるものは届かない。
 その間、物語の続きをせがむ子供みたいに、俺は溢れてくる音と言葉を貪ってひたすら曲をリリースし続けた。どれもこれも、あの事故のあとに書いた曲の派生もので、しまいにはアーフェンに「悲恋小説家にでもなったのか?」と呆れられたほどである。 
 だが現在、少なくとも腕を組んで笑みを浮かべている様子を見る限り、外れではなかったのだろう。今にも「これはまた売れるぞ」なんてどうでもいい言葉を口にしそうな。路上で歌っていた頃に戻りたいとは思わないが、金の算段に悩まないのも考えものだな、と思うばかりだ。
「だけどよ、バックコーラスも自分で歌うのは珍しいな。そもそもコーラスなんて、今まであんま入れなかったじゃねえか」
「……別に、気が向いただけだ」
「ふうん?」
 それきり興味がなくなったようで、アーフェンは向かいのベンチに腰を掛けてタブレット端末をいじくり始めた。次回のスケジュール調整に、雑誌へのコメント寄稿。宣伝への顔出しについて。「仕事なら何でもやる」と言うと「そういうところは助かるぜ」と同じく仕事人の面構えで応じた。
「そういえば珍しい仕事が来てたな」
「……珍しい仕事?」
「こないだベストセラーになった本の作家がサイン会をやるんだが、そのオープニングアクトだ。えーっと、サイラス・オルブライト? っていう新進気鋭の。ほらよ、ご丁寧にも本人から直々に依頼の手紙が、うわっ!」
「貸せ」
「何だよいきなり!」
 手紙。手紙。白いカードと美しい文字の羅列。オルベリクの声が蘇る。相手を喜ばせるためだけに出したって、そんなもの。こんなカード一枚で、俺は。
 紛れもなく望んでいた。求めていた。否定することはできない。
「この仕事、俺が直接返事をする。セッティングしろ」
「はあ? まあいいけどよ。知り合いか? あ、この作家のファンか?」
「黙って仕事をしろ」
 俺はあれから、物語の続きを聞きたくて、ずっと生きてきたのだ。畳む
お題『メール(手紙)のやりとりを楽しくしているサイテリ』
・「エーテルの青年」番外編2。
#サイテリ #現代パラレル

‪‪『もう二度と送ってくるな』‬
 そのダイレクトメッセージが届いた時、私の中でかの『威風堂々』が響き渡り、次に走り出さんほどの歓喜が大波となって私を飲み込んだことを、この世の言葉でどのように表現すればよいだろう。いや、どんな言葉をもってしても言い表せない。それほど青天の霹靂であったから、乗っていた電車の座席から突然立ち上がり周囲を驚かせたのも仕方があるまい。
 我々人間は日々言語を操っているのに、感情を代弁するに足りぬ日が来るとは!
 進行方向に重心が掛かり、身体が斜めになったところで再び座席に座り直し(何事もなかったように振る舞ったが効果は薄いだろう)もう一度手の中の端末を確認した。この数ヶ月間、何度も何度もメッセージを送り続けたあの青年からの返信が、一通だけ、ぽつねんと、確かに表示されていた。過去に送ったメッセージが既読になっていることは確認していたが、先方から反応があったのはこれが初めてだ。比率でいうと百分の一となる。私は百の懇願の上に、ようやく一の真実を得たのである。
 二度と送ってくるな、と命令口調で彼は仰るが、承服しかねるその故を、私の内情を知る者は理解してくれるであろう。内情を知る者とは、つまり万物を創造せし神である。生者にはもはや私の心は理解できまい、死者の心を理解できないように。
 私は彼に何も送らないという選択肢を有しない。不可能なのだ。それは彼へ到達する道を自ら閉ざすということであるから。いま彼は何処で何をしているのであろう? この国にいるのであれば、私は彼と同じ空気を肺に取り込んでいることになるのだろうか? であれば、私の好みでない排気ガス混じる都会の空気でさえ愛しく思えるのだから、人間の価値観とはあまりに身勝手なものだ。
 匂い。私は古びた本の匂いのほうが好きだ。だからいつか、私の好きなあの匂いを――僅かに黴の混じった、私の郷愁を駆り立てる匂いを、彼と共に愉しみたい。人目を避け、物陰に隠れてひっそりと煙草に火をつける少年のような、何か後ろめたい、けれども自分だけしか知らない瞬間を共有するような心躍る時を彼と過ごすのが、私の願望である。
 だから今日も彼へ送ろう。どうかこれ以上私の前を行かないで、私がその隣へ追いつくまで待っていてくれるように、祈りを込めて文字を打ち込もう。
 エーテルの君よ。私はいま車窓の向こう側に消えていく景色を眺めているよ。ビルの連なりばかりで味気ないが、この中にキミも見た風景があるのだろうか?
 拝啓。
『キミはいま何処にいる?』
 敬具。畳む
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