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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

希求する
・「新世界より」後日譚。
#サイテリ #現代パラレル

 全体を統率するのは、あのカノンと同じコード進行。少し哀しみを帯びた美しい曲調は耳馴染みが良い。音階の渦の中へと放り込むように、聴く者の心を誘い出して、その身体から引っぺがす。魂が肉体の同居人であるならば、家のドアをこじ開けて、閉じこもっていた引きこもりを強制的に連れ出すようなものだろう。
 その中で、ある一つのキーワードがいっそう強く、私の中に跡を残す。歌詞としては存在しない、間奏部分のバックコーラス。彼自身が歌っているそれを、ひとつひとつ丁寧に、化石を掘り起こすように拾い集めれば、この世界では誰一人として知らぬ言語のある言葉に成り代わる。彼と私を除いて、誰も知らない。
『手紙が欲しい』
 古代ホルンブルグ語なんて、どうして知っていたんだろうか。
 驚きのあまり、記憶の蓋を開けそびれるところだった。遠い昔、あの世界の中で、私はかつてオルベリクと古代ホルンブルグ語の話をしたことがあったのだ。あれは確かダスクバロウで遺跡を見つけたあとのことだったか。今はもうない母国の、その古い言語について、オルベリクが興味を持った。
 言語の成り立ち、文法、単語。酒のつまみのような簡単なものではあったが、話が弾んだ。空気の澄んだ夜のこと。
 火の番をするテリオンの後ろ姿を覚えている。一言も発することはなかったが、確かに私達の輪の中に居た。オルベリクもそれを感じ取っていた。だから最後、彼に話しかけたのだ。
「ほう、古代ホルンブルグ語では『手紙』はそのように言うのだな――テリオン、レイヴァース家に手紙で近況報告でもしたらどうだ?」
「……何で俺が」
「きっと相手も喜ぶ。それに、相手を喜ばせるためだけに出しても、バチは当たらんだろう」
 オルベリクの言葉にも、彼は振り向かなかった。ただ、どう返すべきか迷ったのだろう、戸惑いと恥じらいを紛らわせるかのように薪をくべて、エールの瓶をあおった。火の粉が深い海のような天で泳いで、紅い星となるのを、私はじっと眺めていた。
 夜は長く、彼との時間は非常に短くて、神が私に与えたもうた時の尺度があっけなく狂っていく。いつだって止まることを知らず、気が付けば指の隙間から流れ落ちている運命が、この手に戻ることはなかった。
 今はどうだろう。私は。キミは。
 手紙を書くとして、さて何を書こうか? 普通に出したとしても恐らく届くまい。私はただの教師。テリオンは一流のシンガーソングライター。
「まるで雲の上の存在……高嶺の花だな」
 独り言の向こう側で、配信されたばかりの彼の曲がリピートされている。何度目かは数えていないが、朝から晩までずっと流しっぱなしであるから、もうすぐ記念すべき百回目かもしれない。スマートフォンの充電をすべきだろうか。
 一介のファンを装って手紙を出すか。いやいや、それならいつ相手に届くことか。せめて自分がもっと彼に近しい存在であれば、しかし有名人でもあるまいに――。
「……そうか、成程」
 戦いにおいては常に、相手と同じ土俵に立つ必要がある。虎穴に入らずんば虎子を得ず、とは何処の国の言葉だったかな。

   *   *   *

 レコーディングを終えた後、出迎えていたのはマネージャーのアーフェンだった。見知った顔が満足げに頷くのを横目で見やりながらボトルを手に取る。冷たい水が喉を通り過ぎていく感覚の、寒気を覚えるようなそれが、去年の自分の状況を思い起こさせた。
 少し前。自分は、病院のベッドの上で生死の境界線を行ったり来たりしていた。そう聞いた。新聞の隅で目にする事故欄のように、他人事にしか感じられないが、紛れもない事実。
 そのあたりの記憶はひどく曖昧だ。ずいぶん長く旅行をしていたような気もするし、そうでないような気もする。終わらない映画を観続けていたようにも思う。だが、ずっと隣に居た感触が、身体全体に残っていた。目が覚めた時、隣には誰もいなかったけれども、その正体が何なのか理解した。
 冬のプラットホームで見たあいつの驚く顔が、忘れられない。
「あの状態の後に作った曲がラブソングだなんて、しかもすれ違った末に離ればなれになる筋書きだなんて、一体どういう神経だよ」
 出来上がったばかりの曲を聴かせた時の、アーフェンの苦笑を思い出す。
 それから一年。いまだ求めるものは届かない。
 その間、物語の続きをせがむ子供みたいに、俺は溢れてくる音と言葉を貪ってひたすら曲をリリースし続けた。どれもこれも、あの事故のあとに書いた曲の派生もので、しまいにはアーフェンに「悲恋小説家にでもなったのか?」と呆れられたほどである。 
 だが現在、少なくとも腕を組んで笑みを浮かべている様子を見る限り、外れではなかったのだろう。今にも「これはまた売れるぞ」なんてどうでもいい言葉を口にしそうな。路上で歌っていた頃に戻りたいとは思わないが、金の算段に悩まないのも考えものだな、と思うばかりだ。
「だけどよ、バックコーラスも自分で歌うのは珍しいな。そもそもコーラスなんて、今まであんま入れなかったじゃねえか」
「……別に、気が向いただけだ」
「ふうん?」
 それきり興味がなくなったようで、アーフェンは向かいのベンチに腰を掛けてタブレット端末をいじくり始めた。次回のスケジュール調整に、雑誌へのコメント寄稿。宣伝への顔出しについて。「仕事なら何でもやる」と言うと「そういうところは助かるぜ」と同じく仕事人の面構えで応じた。
「そういえば珍しい仕事が来てたな」
「……珍しい仕事?」
「こないだベストセラーになった本の作家がサイン会をやるんだが、そのオープニングアクトだ。えーっと、サイラス・オルブライト? っていう新進気鋭の。ほらよ、ご丁寧にも本人から直々に依頼の手紙が、うわっ!」
「貸せ」
「何だよいきなり!」
 手紙。手紙。白いカードと美しい文字の羅列。オルベリクの声が蘇る。相手を喜ばせるためだけに出したって、そんなもの。こんなカード一枚で、俺は。
 紛れもなく望んでいた。求めていた。否定することはできない。
「この仕事、俺が直接返事をする。セッティングしろ」
「はあ? まあいいけどよ。知り合いか? あ、この作家のファンか?」
「黙って仕事をしろ」
 俺はあれから、物語の続きを聞きたくて、ずっと生きてきたのだ。畳む