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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

弔辞
・いちおう了→←遊←尊です。
・二期くらいのイメージ。
・なんか急にお墓を買いに行こうと言い出した尊。
#尊遊

 高校生だから大金なんて持っていない。分かりきった事実を前に、尊は一歩も引かなかった。「見に行くだけならいいじゃん、契約しなかったら良いんだろ?」胸を張る様は清々しく、今のうちに墓を買いたい、とのたまった後とは思えなかった。その上「遊作も行くんだよ」と急に腕を引かれたので二の句を継げない。仰いだ夏の空は朝っぱらから宇宙まで透けている。湯気の上澄みを思わせる熱風が二人の背中を押していた。いま、この圧力に誰もが抗えないのだろう。だから衝動というものがこの世にあるのかもしれないな、とは声に出さずに、遊作は取られた右手の中へ隠した。しなやかな弓から放たれる、尊のそういうところが心の底から好ましかった。

「何で墓を買いたいと思ったんだ」
 仮病で学校を休むのが嬉しいのか楽しいのか、尊の機嫌は上昇気流に乗っている。彼は米神から流れる汗を手の甲で拭うと、あー、と間延びした声を出してから「何でかなぁ、もうすぐ盆だからかな」と答えた。まるで他人事だ。盆が近付くと墓を衝動買いしたくなる、なんて頓珍漢な諺でもあるまいし、毎年こんな風に突然変異を起こされてはたまったものではない。尊の思考回路はこんなにも複雑怪奇であっただろうか? 先週に課題を失念して大慌てで縋りついてきたことや、ひと月前にカフェインの過剰摂取で眠れないと通話を繋いできたことを思い出してみるが、今日の尊と即座に結びつかなかった。
 既に遊作の右手は自由で、先ほどまで引っ張られていた腕はだらんと垂れ下がっているだけである。ただ、一歩分の距離を挟んで横並びに歩くのは遊作と尊にとってよくある立ち位置であるのに、学校でそうしている時と何処かしら違っているように感じられる理由が遊作には分からないでいた。妙に落ち着かない心地なのは、今日が気温三十五度に近い猛暑だからか、これから墓石を買いに行くからなのか、尊と二人だけで登校途中に逃げ出したからなのか――考えても結局、本当の理由は掴めないままで街なかを歩き続けることになった。
「あっついなぁ」
「……そうだな……」
 口に出さなければ暑くないのと同じ。以前に草薙が言っていた言葉を思い出し、遊作もそれに倣おうとしたがやはり暑いものは暑くて、汗は変わらず彼の背骨を伝い落ちていく。先ほど引き抜いてしまったネクタイは、丸めてポケットへと突っ込んだ。尊も同感であったようで(彼は今朝会った時からネクタイをしていなかった)彼の場合は今にも舌打ちをしそうなほどだ。
「太陽なんか燃え尽きて炭になれば良いのに」
「いっそお前が燃やせば良い、Soulburner」
「はは! 遊作にしては結構面白い冗談だね」
 だが現実はそうはいかない。ただの高校生に太陽は遠すぎて、誰に頼まれたわけでもないのに煌々と熱を発する球体に毒づくことしかできない。絶対的なルールの前で足踏みする愚か者に恵みの雨が降るわけがなく、乾いた喉を潤すため遊作は途中見つけた自動販売機で水を買うことにした。
「お前は何にする」
「スポドリ」
「あとで少しくれないか」
「積極的じゃん」
 にやつく口元を遊作の指がつねった。ひはひ、と泣き言をこぼす尊は何故か嬉しそうだ。
 眠りから覚め始めた街はどこへ行くのか分からない人達が交錯し、時折聞こえるクラクションで寝起きの悪さを露呈している。その中を突っ切って尊の足は進み続けた。名もなき誰かが視界に入れば切り捨てる勢いで、だが進めば進むほどその人々も減り、喧噪は次第に静かになっていく。強く刺す日光は道路に彼らの影を色濃く映し出した。まだ長いそれらは時折重なり、ひとつになってはまた離れ、またひとつになって、どこまでも陽炎に揺れていた。
 張り付いて心地が悪いのか、時々眼鏡を取って前髪をかき上げる尊が遊作の目には見知らぬ存在に映る。仮想空間の彼と現実世界の彼が混ざり合って『第三の穂村尊』がいるような――そのどれもが『本当の穂村尊』なのが、遊作の意識に波紋を広げていく。その輪をいっそう拡大せんと、彼の中にぽとぽとと雫が落ちた。ここに居るのは確かに尊である。しかし彼の後ろには自分の知らない彼が確かにいて、永遠に推し量ることはできない。過去を見ることなどできやしないのだ。不可逆の世界は遊作のなかに時折立ち寄っては一筋の悲しみを残していった。思い出をふるいにかけた残り滓は、いつも苦々しい後味がする。それでも、欠片だけでも知りたいと思った。自分の計り知れない穂村尊を知ることが、自らを知ることのように思えた。彼の一部分を確かに共有した、十年前の小さな自分のことを。
 歩き続ける間、暑さゆえに無言だった。どうすればこの熱気が消えるのだろうか、遊作の頭は思案する。例えば全ての熱をかき集めて点火したら即座に吹き飛ぶかもしれない。だがおそらく自分達も一緒に散り散りになるだろうから却下だな――ビル街を抜けても商店街を抜けても、この季節のまま世界が停止したように終わらない夏が二人を待ち構えていた。尊の目的地がどこなのか知らないけれども、終着点まできっとこのまま歩き続けるだろう。尊が行くのなら自分も行く、尊の中にいる自分を追い掛けるように。そんな夢想の真っ只中を、遊作は泳いでいた。
 汗だくになった遊作の足が止まったのは潮の匂いが風に混じっていることに気が付いた時である。先に足を止めたのは尊のほうであったが、彼が進まなければ遊作にも進む理由はないので必然的に二人同時に止まることになった。「どうした」遊作の疑問に答えるべく、尊の指が道路の先を示している。
「今日のところは、下見ってことで」
 いつも草薙が店を出す場所とはまた違う、水面がほど近い河口の堤防に彼らは立っていた。向こう側に木に囲まれた共同墓地があるのが見えて、あれを見に来るためだけにここに連れてこられたのかと思うと、誰かの墓を前にしても(死者に対して不躾にも)腹立たしい。不貞腐れそうな気持ちは僅かながら涼しい風が通り抜けたことで持ち直す。はーっと長い溜息を押し出してシャツの胸元をはためかせる。風を送っても体内は一向に冷めやらない。一方で尊は「あー暑い暑い」と言うものの、それ以外は普段とあまり変わらない様子で遊作の小さなプライドが少し傷つく。
「……本当に墓石を買いに行くのかと思った」
「そんなわけないでしょ。遊作って冗談が通じるのか通じないのか、たまに分かんないよね」
「おい」
「おっと! 怖い怖い」
 つい手が出たのは尊の影響かもしれなかった。大げさに避けるその襟足を子猫よろしく捕まえて説教する。「ぐえっ」シャツの襟を後ろから引っ張れば、汗で湿った髪が指に触れる。そこがまさか氷のごとく冷たくなっているとは想定しておらず、指先との温度差に一瞬だけ遊作の手が止まった。なんだこの体温――墓地の風景に、尊の首筋がいやに冷たく重なって、不意に脳裏をよぎったのは幽体になった尊だった。視界いっぱいに広がる白い日差しへほどけていく輪郭だった。
「……行き先は、最初に言っておけ」
 堤防を取り囲むコンクリートの壁に、遊作がどっと背を預ける。少し痛みを感じる程度の勢いをつけて、その衝撃でこびりついたイメージを消し去りたかったのに、うまくいかない。「遊作?」覗き込む尊はいつもと変わらず、急に声の沈んだ遊作を訝しんでいる。
「疲れた?」
「そんなにやわじゃない」
「どうかなぁ、少なくとも僕よりは体力ないんじゃない?」
 からから笑う友人に、ふっと、居座っていた空恐ろしい想像も薄まっていく。安堵した。尊が楽しげであればあるほど、遊作はいつも自分の心が引き上げられる感覚を覚えていた。純粋に感謝していた――いつだったか「お前が楽しそうだと俺も楽しいように感じる」と言った時、尊は声を上げて笑いながら泣いた。その時ばかりは遊作も困り果てた。以来、実直な気持ちを言う時は時と場合を選ぶようにしている。人目を憚らずに泣かれては、遊作には右往左往するだけしかできないので。
「まぁ僕も、見ず知らずの人の墓参りなんかする気はないんだけど」腕を天に向かって目一杯伸ばし、尊が身体の中で縮んだバネを一気に解放する。「そんなことしてもね」
「ならどうして来たんだ。暑くてこっちが墓地送りになりそうだぞ」
「やめなよそういう冗談」
 誰が言わせていると思ってるんだ! 遊作の反論は熱気に霞んで音にならない。溌剌さではいつも尊に敵わなかった。
「あ! あっちの階段から降りてみよう、砂浜行けそう」
「おい、尊」
 野放しにしておくと何をしでかすか分からないところは、猫というより犬かもしれなかった。今日のように目的に向かって脇目もふらず突き進むところも。
 海に沿ってのびる堤防には申し訳程度に街灯が並んでいる。塩害のためか錆びて崩れそうなものもあり、この場所だけは時計の針がぐんぐん進んでいるのかもしれない。どこか心許なくて、遊作の目は尊を探す。堤防の間、切り取られた空間に尊はいた。浜辺へ降りる階段があるらしかった。先を行く尊と遊作の間に一等強い風が吹く。ざあざあと波の音が際立って、追い立てられて、追い掛ける。
「尊」
 走っているわけでもないのに、尊はどんどん離れていく。

 ねぇ人ってさ、データになってもお墓の中に入れられるのかなぁ。追いついた時に聞こえた暢気な声は、自分達の行く末が燃えかすでも骨の残骸でもなく、形の残らない別の何かになることを受け入れているような調子である。
 砂浜は消波ブロックで区切られてそれほど広くない。所々で流木やら空き瓶やらビニールやら、波風によってかき集められたがらくた達が浜辺に転がっていた。互いに違うもの同士が身を寄せ合い、慰め合っている。その隣で少し離れて、尊が砂を弄ぶ。波打ち際まで数メートルといったところ、尊の足元には小さな砂の山が二つできていた。
「記録媒体に保存すればな」
「じゃあ僕の記憶を保存したい。遊作手伝ってよ」
「どうしてだ、目的が分からない」
「ここを掘ってそれを埋めて、木の棒でも立てておこうかと思って。『穂村尊、ここに眠る』って書いてさ」
「……そんなことをしてどうするんだ」
「六歳だった僕たちを眠らせてあげるんだよ」僕たち、という言葉を遊作は聞き逃さなかった。「あの頃の僕たちが、苦しみから解放されて、永遠に眠ることができるようにさ」
 砂の山は五つできあがっている。立ったままの遊作には、尊の表情を伺うことはできない。
「悪趣味だな」
「そうかも。こんなこと言う相手は遊作くらいだけど」
 話しながら、尊はかたわらに落ちていた流木を引きずり寄せた。大人の片腕ほどのそれを砂浜にずんっと突き刺して「これで即席の墓標完成」と得意げに言い放った。今日の尊はどこまでもこの調子のようだった。自暴自棄と茫然自失が同居しているようにも、しかし底抜けにおどけているようにも見える。そのせいでいつまで経っても脳裏から、あの光源を失った穂村尊は消えてくれない。薄れてもなおそこに鎮座し、ずっと遊作を見ていた。
「ねぇ、遊作も一緒のお墓に入ろうよ」
 突拍子のない言葉に「は?」と間抜けな声が出る。「入って」ではなく「入ろう」と言うところが尊らしさを滲ませている。きっと楽しいよ、と続きそうな一種の快活さを含んでいた。しかし生憎だが遊作は墓を建てる予定はないし、あったとしてもこんな場所は遠慮願いたかった。不要品の寄せ集めが行き着く場所は尊にだって似つかわしくない――黙り込んだ遊作のことを無視して尊は続ける。
「僕と遊作と、あと……仕方ないからあいつも入れてやってもいいけど」その物言いから、あいつというのが鴻上了見を指しているのだろうなと思われた。「だって遊作はあいつのことばっかりだもんな」語気の強さに加えて棘がある。だからあえて遊作は真面目な口調で返したのだ。
「尊の愛情は重いな」
「えっうそ!? これって重い!?」
 途端に顔を上げて大袈裟に悲しむ。泣いてはいなかった。良かった、と思う。尊の反応が面白くて「重い」「高校生が言う台詞じゃない」「大人でも言わない」と遊作の連続攻撃が放たれた。その度に「うっ」「そんなぁ」「きっつ」と反応するのがまた軽妙で、自分の返答はきっと本気かもしれなかった尊を躱す卑怯な手だと薄々分かっていて、狡猾さに遊作の目の奥が痛くなった。今ならあの時の尊みたいに、笑いながら泣くなんて芸当ができるかもしれないと思った。
 尊と永遠の眠りにつくことなんてできない。俺には尊の苦しみを本当に理解することができない。
 彼が失ったもの、彼が失いたくなかったもの、それらを取り除いて最後に残るものが六歳の遊作だった。誰かに救われた自分。その誰かを探し見つけた自分と、自分を探してくれていた誰かをなくした尊。尊がやりたかったことは――この唐突な生前葬は――あの頃の苦痛を火種にして過去の自分を焚き上げることなのだろう。あの頃の、ひとりぼっちの尊と遊作と、合意の得られていないもう一人を送る作業は粛々と続いている。墓標を前に、尊の手は何度も何度も砂を重ねた。砂は山になって、崩れて、また重ねて大きくなる。熱射は彼らを焼く。海の吹き曝しごときでは消えそうにない炎が、砂の墓を作り続ける尊と、遊作の周りをごうごうと囲んだ。
 どうか安らかに、僕たち。影が短くなる頃、尊の小さな声が落とされた。呟きは遊作の喉をゆっくり通り過ぎて内臓へ沈み、指先へ、つま先へ、記憶へと侵食を繰り返していく。その正体は波紋を揺らす小さな雫だった。かつて置き去りにされた彼らの、もう慰めることのできない肩だった。埋没した時間から切り離されて漂う幽霊だった。やはり俺たちは幽霊だったんだ。
「尊、たける」
 隣へしゃがんだ遊作の、迷う左手がついに尊の頭へと辿り着く。どこかで見た、子どもを甘やかす大人の真似をしようとしたのかもしれない。誰の真似か分からなかった、そこに顔はなかったから。「優しいなぁ遊作は……だから僕は……」彼は何かを伝えようとしていた。だが何も言ってほしくなかった、今日くらいは笑わずに泣いてほしかった。いつも自分の手を取る彼をひたすらに受け止めたかった。そうすればいつか尊の記憶の一部分になれるかもしれない、これが拙い模倣であったとしても。
 砂の山は巨大な望楼となって彼らを見送った。小さな足跡だけが残る空洞も、間もなく波に飲まれるだろう。その前に別れを告げる。さよなら、二度と会いませんように。



(了)畳む