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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

Supply
・妙な訪問販売にひっかかるブルーノ。
・2014年発行のブル遊アンソロジー【StardustGazer】様へ参加させていただいた時の再録です。
#ブル遊

 そのカプセルをひとつ、飲み込んでみて下さい。そう言って、妙な白衣の男はボクの前から姿を消した。正確に言えば去っていった。
 目の前の机の上には赤色と白色が半々に塗られたカプセルが一つ転がっている。
 ボクは遊星達が出掛けている間の留守番をしていた。ひたすらデバッグ作業を続けていた時、こんこんとノックの音が聞こえて、あれ宅急便かなと思って応対すればそこに立っていたのは見知らぬ男だった。一見ヤブ医者のような感じで、けれども高尚な学者のようにも見える。彼はボクに前述のようなカプセルを一つ手渡して、さっさと立ち去っていった。
 訪問販売には気を付けろ。
 遊星の言葉を思い出す。でもボクは何かを売られたわけじゃない、押し付けられはしたけれど。だから販売はされていない、と思われる。
 再び机の上に目をやった。カプセルの半分を染める血を一滴たらしたような色はボクには珍しく映った。何故ならボクは自分の血を見たことがなかったからだ。ここに住み始めてからまだ包丁を使ったことはないし、工具で怪我をしたこともない。強いて言うならばカップラーメンを食べる時にポットのお湯で指先を少し火傷したくらいか。
 白衣の男はこんなことを付け加えていったっけ。
「それを飲めば、貴方は人間に最も必要なものを手に入れることが出来ます」
「もっともひつようなもの?」
「はい。やさしくて脆くて、いついかなる時にも奪われることのない自分だけのもの、尊いもの――愛ですよ」

 あの訪問販売の人が言った言葉が、何故か何処までもついて回るのだ。
 カプセルはかれこれ三十分くらい放置されたままだった。デバッグ途中のプログラムも同じく、処理途中に置かれたカーソルだけが点滅を繰り返している。
 腕を組んで首を捻った。傾いた頭が、ういいん、と思考をし始める音が聞こえた気がした。まるで機械のように唸るのは結構真剣に悩んでいる証拠だ。
「愛、あい、かぁ」
 あんなに小さなカプセルに? 不思議だ。
 ボクは人間だから愛だってあると思う。でも足りていないならこれで補充できるのかもしれない。ビタミン不足を解消する為に、ドラッグストアでタブレットを買うみたいに。
 愛って何だろうか。
見たことがないのに、人は皆信じている。猫を撫でる時に感じるほわりとした心の温度も、愛の温度と呼ぶのだろうか。この世に山ほどある感情の中で、多分一番複雑でややこしい、扱いづらい、沢山枝分かれする大きなカテゴリ。ボクはどれくらい持っているだろう。
 例えばジャックに今より優しくしてあげられる愛。
 例えばクロウの仕事を手助けしようとするような愛。
 例えば遊星に、今以上の気持ちを渡すことの出来る愛。
 カプセルを飲むだけでこれらを増やすことが出来るのなら、とても素晴らしいことだと思う。
 けれどもどうしても勇気が湧かなかった。カプセルを飲んでもしボクの中の愛が本当に増えたりしたら、何だかそれはまるでボクには愛が無かったんだと証明してしまうみたいで。



 猫が猫じゃらしを捕まえるように、アキさんの右手がたしりと置かれた時、思わず冷や汗をかいてしまったのは内緒だ。Dホイールの座席に整列した指先は細長くて、こんなにすらりとした手が頑強とも呼べるDホイールを乗りこなすなんて一見想像し難い。けれど確かに彼女は黒薔薇の魔女として君臨していたのだから、美しい薔薇には棘があるなんてあながち間違ってはいないということかもしれない。
 凛とした声が駆け抜ける、夕暮れ時。
「ブルーノ、何だか集中力が欠けているんじゃない?」
「えっ……そうかな?」
「何かあったのかしら? 今週の始めには貴方、もう変だったわよ」
 それは多分、あの妙なカプセルを貰った翌日のことだ。
 子供を窘める母親のような口調に、つい心の鍵も緩んでしまう。秘密というまでもなかったけれど、ボクはあのカプセルのことを一週間誰にも言わなかった。その間工具箱の隅で、あの血液が固まったような物体は手のひらサイズの密封式ポリ袋と共に静かに眠りについていた。
 アキさんの目は大きくてぐっと迫りくるようで、ボクには到底逃げ切ることなんて出来そうになく、首根っこを捕まえられた子猫よろしく彼女と向き合った時にはすっかり事の顛末(という程のストーリーもスペクタクルもないけれど)を話す気になっていたのだ。
「……あの、アキさんは、人間に最も必要なものって何だと思う?」
「どうしたの? 急に」
 訝しげな返答は心配も含まれているのがよく分かる。けれども知りたかった。彼女がボクと同じ立場にいる人だからかもしれない。遊星のことを、きっと深く想っているから。
 伝え終えると、アキさんは少し苦笑いを混ぜた顔で「ブルーノったら」と零した。それから人差し指で軽く鼻先を突く。「いけないわね」と注意をしつつ。
「気を付けないと駄目じゃないの。全くお人好しって言うか……」
「お、お人好し?」
「そうよ。そんな怪しい人から怪しいものまで貰っちゃって。飲んでいないから良いけれど、何かあってからじゃ遅いのよ」
「う……仰る通りです……」
「でも、悩んじゃうのも分かるわ。『愛を飲んで増やせる』なんて、私だったら同じように迷うでしょうね」
「アキさんでも?」
 意外だ。ボクの声に彼女は「当たり前よ」とまた苦笑した。
「さっき、『人間に最も必要なもの』って何かって聞いたじゃない? もし絶対にこれだけは譲れない、失くしたら人間じゃなくなっちゃう……そんなものがあるなら……やっぱり、その怪しい人が言うみたいに愛かもしれないって思うもの」
「どうして?」
「私、今まで沢山の人を傷付けたの。パパもママも。その時の自分を思い出すと今でも辛くて、苦しくて、その時の自分を消したくなるくらい――でもそうして思い出す度に分かるのは、その時の私には愛とか、愛から生まれる優しさとか、今よりずっと持っていなかったってことよ」
 彼女は横顔を夕陽に紅く染めて、今度はにっこり笑ったけれど、隠し切れない寂しさが少し滲んでいた。
「アキさん――」
「愛がもっと沢山あったら、私は優しくなれていたかもしれないから」
 彼女の瞳が瞬きと同時にちかっと光った。その瞳の向こう側にはきっと遊星がいるんだろうと思う。そして光の源は、彼女が抱いている感情なのだ。組み方は異なっても、ボクと一緒のカテゴリに有る、あの気持ち。



 結局ボクはあのカプセルを飲むことはなく、翌日成分解析に出して中身を調べてもらうことにしたのだが、結果はただのビタミン剤だった。毒々しい色の見た目に反して、何の変哲もないレモンに似た味の粉が入っているだけで、興奮作用さえないのだと知った時少しがっかりしてしまった自分のことを思うと、本当は『愛のカプセル』であって欲しかったのだろうか。あの白衣の男は一体誰だったのか。本当にただの訪問販売の男だったのかそうではないのか、白昼夢だったのか、その正体を知ることはもう出来ないだろう。
 とっくに正午も過ぎた作業場は少し蒸し暑くて、換気の為に窓を開けた。緩やかな風が耳元を過ぎていくのを感じていると「ただいま」という遊星の声がして振り向く。
「どうした? ブルーノ」
 階段を下りてくる遊星はバーガーショップの袋を掲げて見せた。「腹、減り過ぎたか?」冗談めかした口調が彼をあどけなくさせる。
「あ、ごめんぼーっとしてた……おつかいありがとう」
「気にするな。休憩しよう、ジャックが帰ってくるとまた五月蠅いぞ。『俺が居ない間にハンバーガーを食うとは何事だ』ってな」
紙袋を受け取る瞬間、遊星の指先からは僅かに整備オイルの匂いがした。その油臭さも紙袋を開けた途端広がったチェダーチーズの匂いにかき消されてしまった。昼ご飯を食いはぐれたボク達の腹はずっと前から鳴りっぱなしで、早急に食糧を! と訴え続けている。
「いただきます」
「いただきまーす」
 包装紙を捲ってハンバーガーに齧り付く。じわじわ広がる肉汁が美味しい。チーズがとろっと溶けて、二つ一緒にお腹に落ちていく瞬間、身体中が「満たされていく」って叫んでいるのが分かる。もう一口噛り付いて、また堪能。
 もしも、だ。
 食欲みたいに、欲しいと思って愛を求めて、そして他の人から補給されたら、巡り巡ってそれは自分の愛に足されることになるのだろうか――肉を味わいながら考えてみた。もしそうなら、ボクはずっと遊星の愛を受け取っていたい。噛みしめて、味わって、飲み込んで、ボクの中を一周したら、きっとボクの中にもある筈のあの気持ちと混ざり合ってくれる。
 循環する愛情。ずっと枯れることを知らないままで。それならカプセルになんてしなくても、ボクは君を想い続けていけるのだ。
「ねえ、遊星」
「ん? ポテト欲しいか?」
「あ、欲しい、でもそれよりね、」
 ボクも愛をあげるから、ボクにも愛をちょうだいね。畳む