家出なんてするもんじゃない・大学生なふたり。・ヤマもオチもないです。#ブル遊 #現代パラレル 続きを読む 切符を左手の人差し指と親指で弄びながらブルーノは電車の座席に深く腰掛けた。所々削れたように表面が捲れた布地を撫でると、動物の舌のようなざらざらとした感触が掌にひろがった。向かいの席には誰も居ない。その上の窓から見える夕日に照らされた少し低めのビルや家々が通り過ぎていくのを眺めつつ、ブルーノはこれから帰る場所について考えた。同居人と住んでいる部屋についてだ。同じ大学に通っているわけではないが、互いの利害の一致によって一緒に住み始めてから一年が経った昨日、喧嘩をした。初めての喧嘩だった。今まで皆無と言っていいほど衝突もなく上手く生活してきたブルーノにとって、遊星という同居人の青年と口論まで発展したことは新聞の一面を飾るくらいの一大事だった。 はぁ。ブルーノの重苦しい溜息が人気の少ない車内に漏れた。次の駅で降りなければ。このまま降りずに何処か遠くへ行きたい。そう考えてもみるが、そんな余裕もなければ実行する勇気もなかったので、ブルーノは駅名を告げる車掌の声に従って仕方なく立ち上がった。降り立ったいつもの駅のホームはいつものように人がまばらに居る程度で静かだ。改札を通り、夕暮れに沈む商店街を横目に見ながら彼は歩いた。十分もしないうちに到着したアパートの前には遊星がいつも乗っている赤い大型のバイクが停まっていて、同居人が帰宅していることをブルーノに知らせる。二階にある自室の窓を見上げると、閉められたカーテンの向こうに明かりが灯っているのが確認できた。何処からか漂ってくる醤油の匂いが気落ちしている彼の鼻を擽った。 怒っているだろうか。昨晩の遊星との口論を思い出してブルーノは視線を落とす。しかしこのままじっとしている訳にもいかないのは明白である。一度白いスニーカーの爪先を見詰めてから、ブルーノは意を決して階段を駆け上がった。斜めに掛けたメッセンジャーバッグが重く感じる。ジャケットの裾をはためかせながら上がり切った先には五つの扉が並んでいて、手前から三つ目が自分達の部屋だ。触れたドアノブはきんきんに冷えていた。泥棒のように慎重に、ゆっくりとそれを回す。玄関に整列した遊星のブーツを見て、ほ、とブルーノは息をついた。自分は安堵したのだ、遊星が出て行かずに居てくれたことに対して。そう思うとブルーノは無性に遊星に対して申し訳なさが溢れてきて、急かされるように少し早足で部屋へと上がった。「た、ただいま……」 遊星はリビングで胡坐を掻いてパソコンを触っていた。画面は黒いTシャツに身を包んだ彼の身体に隠れていて玄関横のキッチンからはよく見えない。かち、かち、とマウスを操作する音が、家電の稼動している音に重なって部屋に響く。「お帰り」 ブルーノの方を向かずに遊星は返事をした。声色がやけに冷たく思えてしまって、ブルーノの足が止まる。先へ進めない。やっぱり怒ってる?「あの、遊星」「悪かった」「え」 相変わらずこちらを向かないまま、遊星は謝罪の言葉を述べた。表情は伺えないもののその背中が少し項垂れているように見えて、ブルーノは急いでリビングへと足を踏み入れた。そうして画面を見詰めている(ように思える)遊星の背中へと飛び付いて、「ごめんね、ごめんね」と、親にこっ酷く叱られた子供のように謝った。ぐ、と遊星の息が詰まる音が聞こえるまで。「あっわぁぁごめん遊星!」「っ、げほっ……いい、もういいから」「お、怒ってない?」「あぁ」 ようやく見えた遊星の顔には僅かだが笑みが浮かんでいて、あぁ本当だとブルーノはやっと心底安心した。喉につっかえていたものが下りたようにすっきりとした気持ちでもう一度「ごめんね」と言うと、今度は逆に「もう聞き飽きた」と言われてしまう。いつもの遊星だ。「腹が減った。飯にしよう」「うん!」畳む 5Ds 2023/06/09(Fri)
・大学生なふたり。
・ヤマもオチもないです。
#ブル遊 #現代パラレル
切符を左手の人差し指と親指で弄びながらブルーノは電車の座席に深く腰掛けた。所々削れたように表面が捲れた布地を撫でると、動物の舌のようなざらざらとした感触が掌にひろがった。向かいの席には誰も居ない。その上の窓から見える夕日に照らされた少し低めのビルや家々が通り過ぎていくのを眺めつつ、ブルーノはこれから帰る場所について考えた。同居人と住んでいる部屋についてだ。同じ大学に通っているわけではないが、互いの利害の一致によって一緒に住み始めてから一年が経った昨日、喧嘩をした。初めての喧嘩だった。今まで皆無と言っていいほど衝突もなく上手く生活してきたブルーノにとって、遊星という同居人の青年と口論まで発展したことは新聞の一面を飾るくらいの一大事だった。
はぁ。ブルーノの重苦しい溜息が人気の少ない車内に漏れた。次の駅で降りなければ。このまま降りずに何処か遠くへ行きたい。そう考えてもみるが、そんな余裕もなければ実行する勇気もなかったので、ブルーノは駅名を告げる車掌の声に従って仕方なく立ち上がった。降り立ったいつもの駅のホームはいつものように人がまばらに居る程度で静かだ。改札を通り、夕暮れに沈む商店街を横目に見ながら彼は歩いた。十分もしないうちに到着したアパートの前には遊星がいつも乗っている赤い大型のバイクが停まっていて、同居人が帰宅していることをブルーノに知らせる。二階にある自室の窓を見上げると、閉められたカーテンの向こうに明かりが灯っているのが確認できた。何処からか漂ってくる醤油の匂いが気落ちしている彼の鼻を擽った。
怒っているだろうか。昨晩の遊星との口論を思い出してブルーノは視線を落とす。しかしこのままじっとしている訳にもいかないのは明白である。一度白いスニーカーの爪先を見詰めてから、ブルーノは意を決して階段を駆け上がった。斜めに掛けたメッセンジャーバッグが重く感じる。ジャケットの裾をはためかせながら上がり切った先には五つの扉が並んでいて、手前から三つ目が自分達の部屋だ。触れたドアノブはきんきんに冷えていた。泥棒のように慎重に、ゆっくりとそれを回す。玄関に整列した遊星のブーツを見て、ほ、とブルーノは息をついた。自分は安堵したのだ、遊星が出て行かずに居てくれたことに対して。そう思うとブルーノは無性に遊星に対して申し訳なさが溢れてきて、急かされるように少し早足で部屋へと上がった。
「た、ただいま……」
遊星はリビングで胡坐を掻いてパソコンを触っていた。画面は黒いTシャツに身を包んだ彼の身体に隠れていて玄関横のキッチンからはよく見えない。かち、かち、とマウスを操作する音が、家電の稼動している音に重なって部屋に響く。
「お帰り」
ブルーノの方を向かずに遊星は返事をした。声色がやけに冷たく思えてしまって、ブルーノの足が止まる。先へ進めない。やっぱり怒ってる?
「あの、遊星」
「悪かった」
「え」
相変わらずこちらを向かないまま、遊星は謝罪の言葉を述べた。表情は伺えないもののその背中が少し項垂れているように見えて、ブルーノは急いでリビングへと足を踏み入れた。そうして画面を見詰めている(ように思える)遊星の背中へと飛び付いて、「ごめんね、ごめんね」と、親にこっ酷く叱られた子供のように謝った。ぐ、と遊星の息が詰まる音が聞こえるまで。
「あっわぁぁごめん遊星!」
「っ、げほっ……いい、もういいから」
「お、怒ってない?」
「あぁ」
ようやく見えた遊星の顔には僅かだが笑みが浮かんでいて、あぁ本当だとブルーノはやっと心底安心した。喉につっかえていたものが下りたようにすっきりとした気持ちでもう一度「ごめんね」と言うと、今度は逆に「もう聞き飽きた」と言われてしまう。いつもの遊星だ。
「腹が減った。飯にしよう」
「うん!」畳む