擬態生活・「色のない狐」前日譚?#サイテリ #IF 続きを読む 面倒を見てもらいたい奴がいる。 知り合いからそう言われた時、私の脳裏には何ら疑問は浮かばなかった。王立学院の端、研究室の椅子に屈強な肉体を何とか収めて、オルベリクは腕を組んだ。「あなたがそう頼みに来るのは珍しいね」「他に頼る人間もいなくてな」「ふむ。まずはお茶でもいかがかな」 返答を待たずして、私の手は既にティーポットを手に取っていた。立ったままでいたのはそのためだ。陶器の表面は、先ほど湯を注いだばかりだからまだ熱い。傾けると、カップの中に褐色の湖が拡がった。水面にはランプの灯が小さな小さな月となって浮かぶ。「まずはあなたの眉間の皺をどうにかしなくてはね」「む……うむ、いい香りだ」 すん、とオルベリクの鼻が鳴る。「そうか、良かった。頂き物なんだけれど、私も気に入っている茶葉なんだ」 応接机へカップを二つ並べて、私も向かい側へと腰かけた。応接机とは名ばかりで、端々に本や羊皮紙が積み重なる様は、客人を迎え入れるには適していないことは明白である。「せっかく夜にアトラスダムまで来てもらったのだから、美味しい酒のひとつでもご馳走したいのだけど」「いや、事前に知らせなかった俺が悪い。すまん、突然」「ああ違うんだ、そういう意味ではないよ。さあどうぞ。葡萄酒には敵わないかもしれないが、これも会話のお供には良いだろう」 そう茶を勧めると、彼の無骨な指がようやくカップを持ち上げた。少し遠慮がちなところに私は好感を持っている。 秋風のせいか、部屋の蝋燭が時々揺らめき、我々の影がぼうっと滲む。それが落ち着く頃合を見計らっていたと思われる、オルベリクの口がようやく開いた。「牢から出所する、ある男がいてな。身寄りがない」「……それで?」「ここで、お前の手伝いをさせてやってくれないか」「あなたのことだから、自分が引き取ると言い出すかと」「お前がほうが適任だと思ったんだ、サイラス。人の生には、師が必要だ」「成程。あなたなりの哲学には私も同意する」 けれども。そう発して、私は一口紅茶を含んだ。甘味も酸味もない、苦味特有の美味。「王立学院には試験があってね」 一寸前に喉を通り過ぎた熱さの余韻を楽しみながら、オルベリクを見据える。「それを受けてもらうよ。無論、簡単なものではない。ええと、今年の試験官は……そうだ、私だった。忘れていたよ」 お前は自分のこととなると忘れやすい。そう苦笑されれば、何も返せない。いつものことだった。 翌月、試験当日。休学日で人気の少ない学院に、青年がひとりと、女性がひとりやってきた。青年のほうがテリオン君、オルベリクの紹介でやってきた元罪人。女性のほうがオフィーリア君、フレイムグレースからやってきた神官。「よろしくお願いします」 陽光のなか、低い声と高い声が見事な調和を生み出して、私の耳を揺さぶる。あまりに綺麗だったからだろう、女性のほうが隣の青年を見て、ふふ、と笑みをこぼした。彼はと言えば、女性の視線を躱しきれずに、ばつが悪いといった感じで顔をそむけただけ。 確かにこれは扱いが難しいやもしれぬ。 その雰囲気は女性のほう、オフィーリア君にも伝わって、彼女の目が残念そうな色を漂わせたまま私に戻った。それを契機に、小脇に抱えていた紙を彼らに手渡す。「さて、試験を始めよう」 ――テリオンには身寄りがない。せめてお前が兄代わりになってやってくれないか。頼む。 オルベリクの言葉を思い出しながら、私は青年を観察していた。兄、兄か。テリオン君は二十二だという。私とは親子までいかない、確かに兄という立ち位置が最も彼に近い。 教師は道しるべを示すことはできても、完全なる師には不相応だ。それは自ら見つけるものであるから。 サイラス兄さん。 そう呼ばれて、むずがゆく心地よいと感じるまで時間がないことを、私は知らなかったのだ。畳む OCTR 2023/06/09(Fri)
・「色のない狐」前日譚?
#サイテリ #IF
面倒を見てもらいたい奴がいる。
知り合いからそう言われた時、私の脳裏には何ら疑問は浮かばなかった。王立学院の端、研究室の椅子に屈強な肉体を何とか収めて、オルベリクは腕を組んだ。
「あなたがそう頼みに来るのは珍しいね」
「他に頼る人間もいなくてな」
「ふむ。まずはお茶でもいかがかな」
返答を待たずして、私の手は既にティーポットを手に取っていた。立ったままでいたのはそのためだ。陶器の表面は、先ほど湯を注いだばかりだからまだ熱い。傾けると、カップの中に褐色の湖が拡がった。水面にはランプの灯が小さな小さな月となって浮かぶ。
「まずはあなたの眉間の皺をどうにかしなくてはね」
「む……うむ、いい香りだ」
すん、とオルベリクの鼻が鳴る。
「そうか、良かった。頂き物なんだけれど、私も気に入っている茶葉なんだ」
応接机へカップを二つ並べて、私も向かい側へと腰かけた。応接机とは名ばかりで、端々に本や羊皮紙が積み重なる様は、客人を迎え入れるには適していないことは明白である。
「せっかく夜にアトラスダムまで来てもらったのだから、美味しい酒のひとつでもご馳走したいのだけど」
「いや、事前に知らせなかった俺が悪い。すまん、突然」
「ああ違うんだ、そういう意味ではないよ。さあどうぞ。葡萄酒には敵わないかもしれないが、これも会話のお供には良いだろう」
そう茶を勧めると、彼の無骨な指がようやくカップを持ち上げた。少し遠慮がちなところに私は好感を持っている。
秋風のせいか、部屋の蝋燭が時々揺らめき、我々の影がぼうっと滲む。それが落ち着く頃合を見計らっていたと思われる、オルベリクの口がようやく開いた。
「牢から出所する、ある男がいてな。身寄りがない」
「……それで?」
「ここで、お前の手伝いをさせてやってくれないか」
「あなたのことだから、自分が引き取ると言い出すかと」
「お前がほうが適任だと思ったんだ、サイラス。人の生には、師が必要だ」
「成程。あなたなりの哲学には私も同意する」
けれども。そう発して、私は一口紅茶を含んだ。甘味も酸味もない、苦味特有の美味。
「王立学院には試験があってね」
一寸前に喉を通り過ぎた熱さの余韻を楽しみながら、オルベリクを見据える。
「それを受けてもらうよ。無論、簡単なものではない。ええと、今年の試験官は……そうだ、私だった。忘れていたよ」
お前は自分のこととなると忘れやすい。そう苦笑されれば、何も返せない。いつものことだった。
翌月、試験当日。休学日で人気の少ない学院に、青年がひとりと、女性がひとりやってきた。青年のほうがテリオン君、オルベリクの紹介でやってきた元罪人。女性のほうがオフィーリア君、フレイムグレースからやってきた神官。
「よろしくお願いします」
陽光のなか、低い声と高い声が見事な調和を生み出して、私の耳を揺さぶる。あまりに綺麗だったからだろう、女性のほうが隣の青年を見て、ふふ、と笑みをこぼした。彼はと言えば、女性の視線を躱しきれずに、ばつが悪いといった感じで顔をそむけただけ。
確かにこれは扱いが難しいやもしれぬ。
その雰囲気は女性のほう、オフィーリア君にも伝わって、彼女の目が残念そうな色を漂わせたまま私に戻った。それを契機に、小脇に抱えていた紙を彼らに手渡す。
「さて、試験を始めよう」
――テリオンには身寄りがない。せめてお前が兄代わりになってやってくれないか。頼む。
オルベリクの言葉を思い出しながら、私は青年を観察していた。兄、兄か。テリオン君は二十二だという。私とは親子までいかない、確かに兄という立ち位置が最も彼に近い。
教師は道しるべを示すことはできても、完全なる師には不相応だ。それは自ら見つけるものであるから。
サイラス兄さん。
そう呼ばれて、むずがゆく心地よいと感じるまで時間がないことを、私は知らなかったのだ。畳む