炬火・本編後IF設定。・キャンプに行くAiと遊作。・食事がしたいAi。#Ai遊 #IF 続きを読む ただれた菓子を見つめている数十秒の間に、矢継ぎ早に焼きマシュマロを生産するAiは、さながら焼きマシュマロ工場専門のAIである。『効率的な工程で、二十四時間いつでもお作りします。人気の期間限定ソルティスです。』といった架空の宣伝文句が少年の頭に浮かんだ。竹串に刺され、白いはらわたをはみ出している菓子を観察する。表面はあたり一帯を覆う落ち葉に似た色味である。そうしているうちにも隣では次々にマシュマロが焼かれているわけで、しかし遊作がいまだ口に入れていないことを確認すると、出荷待ちとなったマシュマロは焼け次第Aiの口に放り込まれていく。パッケージの半分は既に空白である。 今朝のことを思い出そうと、遊作の手が帽子の位置を調節した。ポリエステルの生地がざりざりと音を立てた。Aiが通販で「色違い!」として購入したものだ。 キャンプ。キャンプは週末だったはずだ。しかし早朝から相棒が何やら荷物を車に積み込んでいるのは知っていた。ああまた何処か出掛けるのか、そして自分も連れていかれるのであろう、と遊作が思ったところで案の定Aiが「行くぞー!」と少年の手を引いたのだった。こうなればやりかけの家事も受託している開発の仕事も放置して外出することになるのは必至で、助手席に突っ込まれた後は高速道路でのドライブ、サービスエリアでの休憩を経て、三時間程度走ったあとに着いたのがこの山だ。管理地ではあるらしい、だが人の手はあまり入っていないと思われる、つまり野営をするのだと知ったのは到着した時だった。キャンパーでもない自分たちは大人しくキャンプサイトに行くべきものと思っていたため、流石の遊作も驚く。荷物に水が多かったことにも納得がいった、ここは水辺から幾分離れている。 結局は「ここは電波も入ってるし大丈夫!」との言葉で押し切られ、いつの間にダウンロードしておいたか知らないキャンプ知識を披露したAiが火をおこし終えた頃には、既に軽食の時間に差し掛かっていた。 甘い匂いに、遊作の頭は検索を実行する。マシュマロの主成分は「砂糖に卵白、ゼラチン、水あめ、あとコーンスターチ」――考えを読まれたのかと思うタイミングで右隣から声がした。「有害物質は含まれてねえって。時々気にするよなあ」「構成要素は何かと思っただけだ」「だからーそういうのを気にするっていうのよ遊作チャン」 ほい。少年の前にまたひとつ、火あぶりの刑に処された菓子の死体が渡される。手に持った先客を急いで口へと放り込みつつ受け取ると、男はまた袋からマシュマロを一つ取り出し、焼き始めた。 初秋の本日、午後の日照りは良好。ウインドブレーカーを羽織った程度でちょうどよい気温は約二十度。一人掛けの折り畳み椅子が二脚、八の字に置かれた前では逆三角錐の焚火台が炎を躍らせていた。その橙色に縁どられた表面を撫でるようにマシュマロが行き来する。ひらけたこの場所を取り囲む山林の影に、雲のそれも時折被さっていた。山は山でも登山のように山中ではなく麓であるから(キャンピングカーが通行可能なところは限られている)非日常を味わうにはちょうど良いのだろう、来るまでの道には比較的新しいタイヤの跡があった。Aiのことであるから、おおよそ『キャンプ、山、いい感じの場所、キャンプサイト以外』といったキーワードで検索した上位結果から選出したのかもしれない。 そこまで考えていても時間は浪費できず、手持無沙汰で他にすることもない遊作に残されたことはスマートフォンを操作するくらいだった。 上着のポケットから取り出し、ひとまず天気予報を確認して――そこでようやく気付く。Aiが今朝、急に準備を始めた理由。AIならではというべきか。五日前、つまり週の始まりに伝えられた天気予報はみるみる変わり、明日の夜から雨になることが報じられていた。秋特有の雨雲がやってくるのだ。「予報が変わってんだから、今行くしかねえだろって思って」「お前はいつも急だな」「行動的って言ってくれます? 週末の予定繰り上げただけだろ?」「別に文句を言っているわけじゃない。天候を気にしていなかったのは俺にも落ち度がある」 もうひとつ、哀れなマシュマロを食す。でろっとした食感に遊作の舌はなかなか慣れない。 先週、キャンプ前の試作品だとアパート内でマシュマロを焼き始め、焦げに焦げた『何らかの物体』を錬成した時には、Aiに結構な辛辣さをもって注意したものだ。それでも強く叱ることができなかったのは、相棒や同居人という関係を差し引いても、彼の「楽しみでたまらない」という気持ちがオーバーフローしたさまを炭になった何かに見出したからだろうか。それを捨てることはできず口にしたところ、世辞であっても褒めることはできない味にしかめ面になり(予想外だったらしい、Aiは慌てた)胃の中と部屋から暫くのあいだ砂糖の匂いが消えなかったことを思い出す。 もく、もく、とマシュマロを食み、飲み込む。隣のソルティスいわくキャンプの代表的なメニューらしいが、マシュマロは焼いたところで単なるマシュマロであった、遊作にとっては。「成分を確認しておく必要があるのは、お前も分かっているだろう。変わらず、問題なく稼働しているのか」 それ、と串で示した。行儀の良し悪しについては不問だ、この場に持ち込まれていないルールであるから。先端の指す先にはAiの腹があった。「ああ、ちゃんとオレだってチェックしてから口にしてるぜ。ま、オレ達二人で設計したものに失敗はありえねんじゃね?」「過信は良くない」「確率論の話を言ってんの。オレと遊作なら不具合はないだろ」 腹の周り、正確にはみぞおちのあたりを男の左手が撫で回す。 紫色のウインドブレーカーの下に、彼らがバイオエタノールの小型製造システムを組込んだのは半月前である。 アンドロイドは食事を受け付けない。構造上、食事ができない。にもかかわらずAiが希望したのは「食事ができること」であったから、はじめのうち遊作は眠れないほどには悩んだ。悩ませている自覚があっても、今回Aiは譲らなかった。生への執着のように見えるその願望は、少年に「叶えてやりたい」という感情と「何故そこまで?」という感情を対に与えたが、少年も譲らなかった。Aiの願いを叶えることをだ。 目的達成にはAi自身の改造が必須事項である。しかしどうすれば実現できるか? という手段の模索には季節がひとつ変わるくらいには時間を費やした。稼働のためのエネルギーを摂取したいわけではない、食事がしたいのだ。例えば「ガソリンを飲む」というような手法は軒並み却下であって、あくまで人間が行うような食事の形式に則ったものでなくてはならない。 結果、最終的に採用されたのが現在Aiの内部で稼働しているユニットであった。「あま」「食い過ぎじゃないのか」「良いじゃん良いじゃん、食ったことないんだからよ」 糖質をもとにエタノールを生成し、ユニット内のスピッツへ蓄積、燃焼させてソルティスの稼働エネルギーへと転換するよう施した。難点は摂取可能なものが糖類に限定されることである。「甘い! って感覚、なんか癖になりそうだわ……」「それで最近の出費が、菓子に偏っているわけか」「あ、ばれた?」「砂糖は依存症になることが確認されている。気をつけろ」「それってオレは対象から外されてるんじゃねえの? AIなんだし」 帽子の後ろで結われた髪の先端を、くるりと弄ぶ。ハイブリッド式改造ソルティスとなったAiは今、マシュマロからエネルギー充填を行っている最中というわけである。その様子は一見すれば食事を楽しんでいるようではある――ただ食事という行為を完全に代替できない点に遊作は不満を抱いた。それを何とか宥めているのは、不完全な部分が人間みたいで良い、というAiの言葉である。そう言われてしまえば内なる反論も鳴りを潜める。Aiが良いと言うなら及第点でよいとする。遊作の日常は、そう続いていた。 さて次いで解決すべき対象は二つ目の感情へと移行する。完全に電力のみで稼働しても問題は発生しないのに、何故食事を求めるのか? 遊作の疑問は至極当然の、言い換えてみれば「必要のないことを求める理由」を問うものだったろう。だが遊作から訊ねられた時、喜びと悲しみの間に立ちすくむAiを見て「この質問は墓場まで持っていくべきだな」と少年は考えを改めることにした。仮定の話、自分が肉体を捨ててソルティスになったとして、何故それを選択したのかと問われたらおそらく同じ表情をするだろうと思った。 以降、遊作がその質問をしたことはない。感情は収束し、かたく小さな宝石となって、彼の『墓場行き最速便』にパッキングされた。 Aiは行動が早い。 件のユニットだって今回のキャンプだって、言い出したのは例に洩れずAiで、そのために事前にキャンピングカーを予約しておくあたり準備に抜かりがなかった。ただし借りるにあたり身分証明書を偽造したと知り、遊作は次回から草薙に助けてもらうよう指示した。 これ以上誰かから目をつけられるのはごめんだった、Aiがソルティスとして生活することが幅広く受け入れられるまでは。「テント持ってきたけどさあ、やっぱクルマで寝ようぜ? 遊作が風邪でも引いたらAiチャン泣いちゃうー」「そんなに弱々しいのか、お前の中の俺は」「まあ、そりゃあ」 ぼきっ、と木を折って焚き火にくべる。結構な太さの、枝というにはいささか立派過ぎるものを容易くへし折るところは、ソルティスらしいと感じる部分のひとつだった。それが枯れ木で比較的折れやすいものであったとしても、力の面では人間など全く比べ物にならない。ナイフを持たせれば薪として適したサイズに加工できるし、何なら彫刻を作ることもできるだろう。 そのアンドロイドが、何を思い描いて弱々しいと定義したのかは、対象者本人には分からない。強靭な肉体(例えば鬼塚のような)ではないからなのか。少年が風呂上がり、鏡に映る自分の身体が薄っぺらいとは、何度か思ったことがあったが。 ふーっ、と細長い息を吐いたのは遊作の口だ。「Ai、俺が最後に風邪を引いたのは?」 椅子に腰を掛け直し、深く沈む。右からは「ええ? 何よ急に」という疑念の声が上がる。「それって、オレが見守り始めてから?」「ああ」見守るという表現は適していないが、目を瞑った。「その期間を含んでだ」「なら去年の夏風邪がラストだぜ。あの日は草薙のアドバイスをガン無視したお前が案の定夕立にあって、濡れ鼠ならぬ濡れハッカーの姿で頭の天辺からびっしょびしょになってさあ、制服の下まで、」「分かったもう黙れ」「あーん、それゾクゾクするう!」「無駄な説明は不要だ」「えーケチ」 唇を尖らせて抗議するAiをあしらって、遊作は続ける。「……つまり俺はそれから風邪を引いていない。ハノイと戦うためにも自己管理は怠っていなかった。この意味が分かるだろ」 人差し指をずいっと向け、「だからこの程度で風邪を引くわけがない」と示してみせた。「理由としても根拠としても適当だ」まるで戦いの最中のような目をして。 その顔つき。獲物を捉えた時の鋭い眼光――Aiは非常に好んでいるのだが、今はそういう話ではないことを理解している――を受け止めて、言ったら怒るかも、という可能性も踏まえて、敢えて口にする。 プライドの高いお前も好きだけどよ。「……あのさあ、素直にテントで寝てみたいって言ったら?」 駄々をこねる子どもを前にして、どうしようか考えあぐねている親は、こんな気持ちなのだろうか。Aiにとっては反対で遊作が親(に相当する存在)にあたるわけなのだが、今は真逆であった。 じとり、としたAiの視線に動じる遊作ではない。「Ai……」「遊作……」 互いの名前を呼び合う。ただそこには甘さなど到底なく、それどころか一触即発の空気さえある。 そして遊作の人差し指の延長には、ゆうに十秒をかけて「あああ」だとか「くそお」などという呻き声を上げながら、徐々に苦しげな顔つきに変化していく一体のソルティスが確かにいた。「……もー! 分かった! テント張ってやるからやめろその目!」 参った参った! 両手を上げる男に、少年は小さく笑う。勝った――いつでもどこでもこのAIは自分に甘いのだ。「助かる」「風邪引いても面倒見てやんないからな!」 そう言っていても本当に風邪を引いたなら、きっとAiはとことん世話を焼くのだろうな、と遊作は予想する。それはそれで見てみたい、とも。だからと言って敢えて体調を崩すわけではないけれど。 Aiがテントを購入した時、実のところ遊作の心は少し躍った。まず彼はテントを一度も利用したことがなかった。そして一度は経験してみたかった。 いつだったか草薙の昔話、確か弟との思い出を聞いてから、どんなものか体験してみたかったのだった。草薙の言葉を借りるならば『秘密基地』とはどんなものか――誰にも邪魔されない俺達だけの場所だったんだ、と草薙は懐かしげに目を細めていた――興味が湧いて、今日まで消えることはなかったので。畳む VRAINS 2023/06/10(Sat)
・本編後IF設定。
・キャンプに行くAiと遊作。
・食事がしたいAi。
#Ai遊 #IF
ただれた菓子を見つめている数十秒の間に、矢継ぎ早に焼きマシュマロを生産するAiは、さながら焼きマシュマロ工場専門のAIである。『効率的な工程で、二十四時間いつでもお作りします。人気の期間限定ソルティスです。』といった架空の宣伝文句が少年の頭に浮かんだ。竹串に刺され、白いはらわたをはみ出している菓子を観察する。表面はあたり一帯を覆う落ち葉に似た色味である。そうしているうちにも隣では次々にマシュマロが焼かれているわけで、しかし遊作がいまだ口に入れていないことを確認すると、出荷待ちとなったマシュマロは焼け次第Aiの口に放り込まれていく。パッケージの半分は既に空白である。
今朝のことを思い出そうと、遊作の手が帽子の位置を調節した。ポリエステルの生地がざりざりと音を立てた。Aiが通販で「色違い!」として購入したものだ。
キャンプ。キャンプは週末だったはずだ。しかし早朝から相棒が何やら荷物を車に積み込んでいるのは知っていた。ああまた何処か出掛けるのか、そして自分も連れていかれるのであろう、と遊作が思ったところで案の定Aiが「行くぞー!」と少年の手を引いたのだった。こうなればやりかけの家事も受託している開発の仕事も放置して外出することになるのは必至で、助手席に突っ込まれた後は高速道路でのドライブ、サービスエリアでの休憩を経て、三時間程度走ったあとに着いたのがこの山だ。管理地ではあるらしい、だが人の手はあまり入っていないと思われる、つまり野営をするのだと知ったのは到着した時だった。キャンパーでもない自分たちは大人しくキャンプサイトに行くべきものと思っていたため、流石の遊作も驚く。荷物に水が多かったことにも納得がいった、ここは水辺から幾分離れている。
結局は「ここは電波も入ってるし大丈夫!」との言葉で押し切られ、いつの間にダウンロードしておいたか知らないキャンプ知識を披露したAiが火をおこし終えた頃には、既に軽食の時間に差し掛かっていた。
甘い匂いに、遊作の頭は検索を実行する。マシュマロの主成分は「砂糖に卵白、ゼラチン、水あめ、あとコーンスターチ」――考えを読まれたのかと思うタイミングで右隣から声がした。
「有害物質は含まれてねえって。時々気にするよなあ」
「構成要素は何かと思っただけだ」
「だからーそういうのを気にするっていうのよ遊作チャン」
ほい。少年の前にまたひとつ、火あぶりの刑に処された菓子の死体が渡される。手に持った先客を急いで口へと放り込みつつ受け取ると、男はまた袋からマシュマロを一つ取り出し、焼き始めた。
初秋の本日、午後の日照りは良好。ウインドブレーカーを羽織った程度でちょうどよい気温は約二十度。一人掛けの折り畳み椅子が二脚、八の字に置かれた前では逆三角錐の焚火台が炎を躍らせていた。その橙色に縁どられた表面を撫でるようにマシュマロが行き来する。ひらけたこの場所を取り囲む山林の影に、雲のそれも時折被さっていた。山は山でも登山のように山中ではなく麓であるから(キャンピングカーが通行可能なところは限られている)非日常を味わうにはちょうど良いのだろう、来るまでの道には比較的新しいタイヤの跡があった。Aiのことであるから、おおよそ『キャンプ、山、いい感じの場所、キャンプサイト以外』といったキーワードで検索した上位結果から選出したのかもしれない。
そこまで考えていても時間は浪費できず、手持無沙汰で他にすることもない遊作に残されたことはスマートフォンを操作するくらいだった。
上着のポケットから取り出し、ひとまず天気予報を確認して――そこでようやく気付く。Aiが今朝、急に準備を始めた理由。AIならではというべきか。五日前、つまり週の始まりに伝えられた天気予報はみるみる変わり、明日の夜から雨になることが報じられていた。秋特有の雨雲がやってくるのだ。
「予報が変わってんだから、今行くしかねえだろって思って」
「お前はいつも急だな」
「行動的って言ってくれます? 週末の予定繰り上げただけだろ?」
「別に文句を言っているわけじゃない。天候を気にしていなかったのは俺にも落ち度がある」
もうひとつ、哀れなマシュマロを食す。でろっとした食感に遊作の舌はなかなか慣れない。
先週、キャンプ前の試作品だとアパート内でマシュマロを焼き始め、焦げに焦げた『何らかの物体』を錬成した時には、Aiに結構な辛辣さをもって注意したものだ。それでも強く叱ることができなかったのは、相棒や同居人という関係を差し引いても、彼の「楽しみでたまらない」という気持ちがオーバーフローしたさまを炭になった何かに見出したからだろうか。それを捨てることはできず口にしたところ、世辞であっても褒めることはできない味にしかめ面になり(予想外だったらしい、Aiは慌てた)胃の中と部屋から暫くのあいだ砂糖の匂いが消えなかったことを思い出す。
もく、もく、とマシュマロを食み、飲み込む。隣のソルティスいわくキャンプの代表的なメニューらしいが、マシュマロは焼いたところで単なるマシュマロであった、遊作にとっては。
「成分を確認しておく必要があるのは、お前も分かっているだろう。変わらず、問題なく稼働しているのか」
それ、と串で示した。行儀の良し悪しについては不問だ、この場に持ち込まれていないルールであるから。先端の指す先にはAiの腹があった。
「ああ、ちゃんとオレだってチェックしてから口にしてるぜ。ま、オレ達二人で設計したものに失敗はありえねんじゃね?」
「過信は良くない」
「確率論の話を言ってんの。オレと遊作なら不具合はないだろ」
腹の周り、正確にはみぞおちのあたりを男の左手が撫で回す。
紫色のウインドブレーカーの下に、彼らがバイオエタノールの小型製造システムを組込んだのは半月前である。
アンドロイドは食事を受け付けない。構造上、食事ができない。にもかかわらずAiが希望したのは「食事ができること」であったから、はじめのうち遊作は眠れないほどには悩んだ。悩ませている自覚があっても、今回Aiは譲らなかった。生への執着のように見えるその願望は、少年に「叶えてやりたい」という感情と「何故そこまで?」という感情を対に与えたが、少年も譲らなかった。Aiの願いを叶えることをだ。
目的達成にはAi自身の改造が必須事項である。しかしどうすれば実現できるか? という手段の模索には季節がひとつ変わるくらいには時間を費やした。稼働のためのエネルギーを摂取したいわけではない、食事がしたいのだ。例えば「ガソリンを飲む」というような手法は軒並み却下であって、あくまで人間が行うような食事の形式に則ったものでなくてはならない。
結果、最終的に採用されたのが現在Aiの内部で稼働しているユニットであった。
「あま」
「食い過ぎじゃないのか」
「良いじゃん良いじゃん、食ったことないんだからよ」
糖質をもとにエタノールを生成し、ユニット内のスピッツへ蓄積、燃焼させてソルティスの稼働エネルギーへと転換するよう施した。難点は摂取可能なものが糖類に限定されることである。
「甘い! って感覚、なんか癖になりそうだわ……」
「それで最近の出費が、菓子に偏っているわけか」
「あ、ばれた?」
「砂糖は依存症になることが確認されている。気をつけろ」
「それってオレは対象から外されてるんじゃねえの? AIなんだし」
帽子の後ろで結われた髪の先端を、くるりと弄ぶ。ハイブリッド式改造ソルティスとなったAiは今、マシュマロからエネルギー充填を行っている最中というわけである。その様子は一見すれば食事を楽しんでいるようではある――ただ食事という行為を完全に代替できない点に遊作は不満を抱いた。それを何とか宥めているのは、不完全な部分が人間みたいで良い、というAiの言葉である。そう言われてしまえば内なる反論も鳴りを潜める。Aiが良いと言うなら及第点でよいとする。遊作の日常は、そう続いていた。
さて次いで解決すべき対象は二つ目の感情へと移行する。完全に電力のみで稼働しても問題は発生しないのに、何故食事を求めるのか? 遊作の疑問は至極当然の、言い換えてみれば「必要のないことを求める理由」を問うものだったろう。だが遊作から訊ねられた時、喜びと悲しみの間に立ちすくむAiを見て「この質問は墓場まで持っていくべきだな」と少年は考えを改めることにした。仮定の話、自分が肉体を捨ててソルティスになったとして、何故それを選択したのかと問われたらおそらく同じ表情をするだろうと思った。
以降、遊作がその質問をしたことはない。感情は収束し、かたく小さな宝石となって、彼の『墓場行き最速便』にパッキングされた。
Aiは行動が早い。
件のユニットだって今回のキャンプだって、言い出したのは例に洩れずAiで、そのために事前にキャンピングカーを予約しておくあたり準備に抜かりがなかった。ただし借りるにあたり身分証明書を偽造したと知り、遊作は次回から草薙に助けてもらうよう指示した。
これ以上誰かから目をつけられるのはごめんだった、Aiがソルティスとして生活することが幅広く受け入れられるまでは。
「テント持ってきたけどさあ、やっぱクルマで寝ようぜ? 遊作が風邪でも引いたらAiチャン泣いちゃうー」
「そんなに弱々しいのか、お前の中の俺は」
「まあ、そりゃあ」
ぼきっ、と木を折って焚き火にくべる。結構な太さの、枝というにはいささか立派過ぎるものを容易くへし折るところは、ソルティスらしいと感じる部分のひとつだった。それが枯れ木で比較的折れやすいものであったとしても、力の面では人間など全く比べ物にならない。ナイフを持たせれば薪として適したサイズに加工できるし、何なら彫刻を作ることもできるだろう。
そのアンドロイドが、何を思い描いて弱々しいと定義したのかは、対象者本人には分からない。強靭な肉体(例えば鬼塚のような)ではないからなのか。少年が風呂上がり、鏡に映る自分の身体が薄っぺらいとは、何度か思ったことがあったが。
ふーっ、と細長い息を吐いたのは遊作の口だ。
「Ai、俺が最後に風邪を引いたのは?」
椅子に腰を掛け直し、深く沈む。右からは「ええ? 何よ急に」という疑念の声が上がる。
「それって、オレが見守り始めてから?」
「ああ」見守るという表現は適していないが、目を瞑った。「その期間を含んでだ」
「なら去年の夏風邪がラストだぜ。あの日は草薙のアドバイスをガン無視したお前が案の定夕立にあって、濡れ鼠ならぬ濡れハッカーの姿で頭の天辺からびっしょびしょになってさあ、制服の下まで、」
「分かったもう黙れ」
「あーん、それゾクゾクするう!」
「無駄な説明は不要だ」
「えーケチ」
唇を尖らせて抗議するAiをあしらって、遊作は続ける。
「……つまり俺はそれから風邪を引いていない。ハノイと戦うためにも自己管理は怠っていなかった。この意味が分かるだろ」
人差し指をずいっと向け、「だからこの程度で風邪を引くわけがない」と示してみせた。「理由としても根拠としても適当だ」まるで戦いの最中のような目をして。
その顔つき。獲物を捉えた時の鋭い眼光――Aiは非常に好んでいるのだが、今はそういう話ではないことを理解している――を受け止めて、言ったら怒るかも、という可能性も踏まえて、敢えて口にする。
プライドの高いお前も好きだけどよ。
「……あのさあ、素直にテントで寝てみたいって言ったら?」
駄々をこねる子どもを前にして、どうしようか考えあぐねている親は、こんな気持ちなのだろうか。Aiにとっては反対で遊作が親(に相当する存在)にあたるわけなのだが、今は真逆であった。
じとり、としたAiの視線に動じる遊作ではない。
「Ai……」
「遊作……」
互いの名前を呼び合う。ただそこには甘さなど到底なく、それどころか一触即発の空気さえある。
そして遊作の人差し指の延長には、ゆうに十秒をかけて「あああ」だとか「くそお」などという呻き声を上げながら、徐々に苦しげな顔つきに変化していく一体のソルティスが確かにいた。
「……もー! 分かった! テント張ってやるからやめろその目!」
参った参った! 両手を上げる男に、少年は小さく笑う。勝った――いつでもどこでもこのAIは自分に甘いのだ。
「助かる」
「風邪引いても面倒見てやんないからな!」
そう言っていても本当に風邪を引いたなら、きっとAiはとことん世話を焼くのだろうな、と遊作は予想する。それはそれで見てみたい、とも。だからと言って敢えて体調を崩すわけではないけれど。
Aiがテントを購入した時、実のところ遊作の心は少し躍った。まず彼はテントを一度も利用したことがなかった。そして一度は経験してみたかった。
いつだったか草薙の昔話、確か弟との思い出を聞いてから、どんなものか体験してみたかったのだった。草薙の言葉を借りるならば『秘密基地』とはどんなものか――誰にも邪魔されない俺達だけの場所だったんだ、と草薙は懐かしげに目を細めていた――興味が湧いて、今日まで消えることはなかったので。畳む