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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

火花
・遊作と同居人のAiと、遊作の友人である尊の夏。
・転生のようにも見える。
#Ai遊 #現代パラレル

 俺に対して滅多に怒らないAiが珍しく怒った時のことが、この時期になると思い出される。閉め切られた部屋いっぱいに水蒸気を充満させたような、その中で窒息するような、夏の日の夜叉。
 「花火やろうよ」と尊が連絡をくれたことが、嬉しくなかったわけではない。無邪気な子どものようにきゃあきゃあ喜ぶような感情ではなかったが、昇りたての朝日へ一歩踏み入れた心地に近い、自分の内側に小さな明るさが灯されたことを感じた。友人がいなかった俺にとって尊は希少価値の高い人物だ、本人にこう言ったら「化石みたいに扱わないでよ」と返されそうだが事実だ。なにせ他人が俺のなかの友人枠に振り分けられていることが稀なのだから。なお、Aiは特例だ。肉親でもない兄貴分の同居人なんて、ソースコードの例外処理や割り込み処理のようなものだろう。
 Aiには尊と出かけてくるということ、夜が少し遅くなるが深夜にはならない二点を告げてアパートを出る。尊とは街に流れる川沿いの河川敷で待ち合わせた。スマホの画面に並ぶ、イチ、ハチ、ゼロ、ゼロ。ジャージのポケットに仕舞い直す。この時、Tシャツで来たが虫よけを忘れたことに気付く。
 五分後。いやに赤い夕焼けの、太陽が地球に未練がましくしがみついている空の下から尊はやってきた。自分と似たような恰好で少し安心する、こういう出来事が初めてなので勝手が分からなかったから。彼の右手にはスーパーのビニール袋がひとつあって、しかも結構大きかったので、開口一番に「いくらだ? 半分出す」と言ったら彼に苦笑された。そこまで金銭面に細かく生きてきたわけではなく、互いに学生なのだから、こういった場合は割り勘が常だろうと判断しただけだ。
「大丈夫、貯まってたポイント使ったから実質ゼロ円」
「すごいな」
「何年分だろ、これですっきり使い切れたよ」
 飲み物とかも買ってきたんだ、と袋の中を見せてくれた。夕日で一層赤みを増した紅茶とジンジャーエールのボトルが入っていた。「あとお菓子」「不摂生だな」「今日は良いんだよ」もう片方の手にはバケツがあって、反対に何も持参せずやってきた自分を申し訳なく思う。そう述べると「気にすることないから」と彼は笑って眼鏡を直した。金具が小さく、かちゃりと鳴った。
 尊からバケツを受け取って、二人で砂利を踏み荒らし進む。河川敷はだんだんと足元から涼しくなってきていた。待ち合わせた駐車場から川の流れの傍まで移動する時、スニーカーの靴底が大きな石を踏んで僅かに痛みを感じたものの、慣れない足場に戸惑うのはその程度で済んだのは幸いだ。俺は行動派ではないので、ここに来るまで不安でなかったと言えば嘘になる。
 到着した場所は既に他方にも先客がおり、俺達はそれらの集団から適当な距離を取ることのできる場所を陣地と決めた。秘密基地というのはこういうものを指すのかもしれなかった。地球はようやく太陽を引っぺがすことに成功したらしく、西の空は徐々に深い紫色に染まりつつある夏休み。前を行く尊の背中に書かれたU2という文字が、どういう意味か分からない。俺はいつも何も書かれていない服ばかり選んでいたので。
 消火用に川の水を汲んでいる間、一緒に購入したというマッチと太いロウソクで、尊は器用にもロウの土台を石の上へと築いていた。その上にロウソクの根元を固定したところで少し風が吹き抜ける。風よけにロウソクの周囲を大きめの石で囲ってみたものの、高さが足りなくて風よけの意味をなさず、二人で笑う。火が消えそうになるたびに石を足したが、石を積んでも途中から崩れるのでやめた。炎を揺らす風は湿っていて、明日はもしかしたら雨が降るかもしれないと勝手に思う。
「火の用心、火の用心」
 呪いの言葉みたいに何度も繰り返すので「十分理解している」と答えたのだが、それでも尊は何度も繰り返した。ボヤでも何でも、油断からすべては始まるのは分かっている。が、それにしても呟きすぎであるのから、炎が親の仇のように思えてきた。そんなわけがあるか。
 スーパーで買ったという花火は手持ちのものから爆竹型など色々な種類が一袋にパッキングされていた。たった二人で使い切れるのか疑問に思ったのも束の間、尊の手が次から次へと着火しては手渡してくるので所謂わんこそば状態の花火リレーが始まった。風に乗ってやってくる肉の焼ける匂いに対抗しているのだろうか。人の目が少し気になったが(悪目立ちして注目を浴びるのは嫌だ)たった二人、しかも大声で騒ぐわけでもなくただ粛々と花火をしていたので、すぐにそんな心配は無用だったことを知る。その時、自分が思いのほか他人を気にしていることを実感し、できれば明日から空気になりたいと馬鹿なことを考えた。こういう思考をAiはいつも馬鹿にしていたからきっと馬鹿なことなのだろう。ただ今日に限って言えばその思考すら許されなかった、尊が「はいっ」と掛け声付きで手持ち花火を寄越すから空気は熱く発火するしかなくなる。こういうのが楽しいという感情なのだろうと思う、おそらくは――俺はしばしば感情の辞書を欲した。尊はといえば、火付け役の合間に自分の分の花火もちゃんと燃やしていたらしく、円を描いたり煙にむせたり忙しい。俺が火をつける側に回ろうとしても「いいから」と制されてしまうので、今度から花火奉行と呼ぶことにする。
 手持ち花火が尽きれば次は打ち上げや爆竹が待っていた。俺達は飲み物や菓子をつまみながらひたすら花火を消費した。これが夏休みの課題なら楽勝だよね、と笑う友人の周りはいま、二匹のねずみ花火が踊り狂っている。完全に太陽が去って、半月が半端な位置に貼り付けられた空は星があまり見えない。前に尊から聞いた、彼の実家があるというところならばきっと、とても多くの星が浮かんでいるのだろう。

 ちょうど二十一時になった時、尊のスマホが鳴ったことを契機に小さな花火大会は幕を閉じた。
「うわやば、ごめんねもう帰らないと」
「俺もそろそろ帰ろうかと思っていたところだ」
 本当のことだ。空になった飲み物のボトルや菓子の袋を片付けていたら俺のスマホも震えたのだ。きっと同居人からの催促だろうことは想像に難くない。バケツの中、焼けて半身が炭になった花火。少しも残らなかったロウソクの跡。過ぎ去った祭りの静けさが集約された陣地に別れを告げ、少し離れたところで別のグループが騒いでいるのを後目に集合した時と同じ場所へ戻る。
「また連絡するよ、じゃあね!」
「尊」
「ん? どうかした?」
「今日は楽しかった。ありがとう」
 友人との会話においてこれが正しい文章であったのか判断がつかなかった、しかしながら尊が一瞬停止したのちに「うん!」と笑みを浮かべてくれたことで助かった。嬉しい、楽しい、良かった、またな。別れたあと、そんな気持ちを引き連れながら帰路につく。閉店作業中の商店街も静まり返ったオフィスビルも、蒸し暑い夜を越えるために準備をしている。太陽が沈んでいる今だけが安息の時であると言いたげな影が、街灯を背負ってアパートまでの道に長く伸びていた。足早になっていることには自覚があった、今日はAiを甘やかしてもいいかと思うくらいには。
「ただいま」
「おかえりー! なあ連絡したんだけど返事、」
 鍵を差し込み自宅の扉を開けた瞬間、出迎えたAiの表情が笑顔から急転直下、文字通り転げ落ちるかのように変貌していくのには流石に驚愕を隠せなかった。帰宅を喜んでいたはずの目元は僅かではあるが、見るからに硬直し、口元は中途半端に開いたままで呆けている。どうしたってその様子はおかしかった、あたかも生気がするりと抜けてしまったみたいな。
「Ai」
 何があったか問う前に腕を引っ張られる。ぐっと、痛みが走る。靴裏を刺す石を思い出す。掴まれた手首の血が止まるイメージが浮かぶ。「おい!」連れていかれたのは風呂場だった。玄関からすぐの、シャワーと狭い浴槽しかないそこへ押し込まれて扉を閉められ、まるで俺を見たくない隠したいと言わんばかりの行動に理解が追い付かない。
「Ai!」
 扉を殴る。しかし自分の手が余計に痛くなっただけだった。拳を二度打ち当てたその時、遊作はやく風呂入って、と張りのない声がした。ふにゃふにゃのくせに低く、どこか悲しくなる声を、Aiから聞いたことはない。
「一体どうした」
「何でもない、何でもいいから風呂はいって」
 向こう側で扉を背に立っているのだろう、開けようとしたところでびくともしないため、結局諦めて風呂を決め込んだ。こんなAiは見たことがなく、自分の中の『Ai対応マニュアル』には頁すら存在しない。何がどうしたのか理解できないまま浴びる湯はそうそう心地良いものとは言い難く、耐え切れず溜息をつきながら全身を泡まみれにしていく。身体を擦るたび、帰り道に引き連れていた感情がぽろぽろ落ちていくようで、折角の今日というものがすっかりあやふやになってしまったことが悔やまれた。俺には友達付き合いというものはどこまでも向いていないのかもしれない、とさえ思う。面倒なことに、喜怒哀楽のうち怒と哀を感じるアンテナは異常に発達していて、混線したうえにいつも喜と楽をかき消すのだ。
 思考をやめる。シャワーを止め、適当に頭を拭き上げる頃にはアンテナの受信感度は上々で、本日の秘密基地情報はすっかり過去のものと化していた。
 風呂場から出たところで(今度は簡単に扉が開いた)ダイニングにAiが座り込んでいるのを見つける。シャツとスウェットを身に着けている間も微動だにしなかった。うちには椅子なんてものはなく長方形の机が床に置いてあるだけだったが、そこに突っ伏し、比較的大きい肉体をうまいこと折り畳んでいる。長い髪の隙間からいつもの流線形のピアスが覗いているくらいで、表情は伺えない。他、よくよく見れば家を出た時の服と違って既にルームウェアに着替えていることが確認できて、さっき風呂場が既に熱かったのはこいつのせいかとどうでもよいことに合点がいった。
「上がったぞ」
 声をかけたところで動かない。まるで電池が切れた人形そのものである。そういえばAiは時々「バッテリー切れ」とか何とか冗談を言うのだった――横を通り過ぎて窓際のベッドへ行こうとした瞬間、急にスイッチを入れられたかのようにAiが動いた。俊敏すぎる動きに対応が遅れる。座ったまま、横からぎゅうっと抱きついてきたAiから聞こえたのは「おかえり」という呟きだった。
「あ? ああ、ただいま」
 拍子抜けする声をしていた。先ほど出迎えた時の、風呂へ突っ込んだ時の波が消え失せた声はどこにいったのか、いつものAiだ。
 腰から太腿にかけてしがみつかれているせいで、これ以上歩みを進めることができない。とんだ肩透かしを食った気分にしゃがみ込むほかなく、ずるずると座って胡坐をかいた。股の間で塞ぎ込む男の頭を軽く撫でてやると、ぐす、と鼻をすする音がした。音で分かる、これはわざと出しているものだ。
「……結局何だったんだ」
「火薬の匂い」
「は?」
「嫌だ、この匂い。何してきたんだよ」
「え、……花火をした」
「ああ、そう、そうか」
 それだけ言って再び動かなくなったAiは常よりもずっと重く圧し掛かった。そのまま地面を突き抜け、星の中心へ向かって俺を道連れにするつもりなのかと思うほどの重量に立ち上がることを忘れた。代わりにただ、Aiを撫でた。少しずつ軽くなっていくように願って、ひとすじ、ひとすじ髪を梳いた。時々顔を腹へと押し付けてくるのが面白く、僅かな喜をアンテナが受信する。
 そのうち俺の背後に眠気がやってきた。足音をたてず襲い掛かる化け物みたいに、ぬうっと身体を床へ押しやる。分からない、けれども重要な何かを知ることができないまま、眠さに耐えられない二人は目を閉じた。
 現実から飛び立った先の空間で、花火が俺の身体を貫いた――夢の中、胸の奥で火薬が弾けて、煙から溢れた香りが体内を満たした。撃ち込まれたようだった。確かにこれは嫌だと思う。Aiも嫌うはずだ、と。
 苦々しく、甘く、肺を破壊する匂いで火花が散った。



 夜が明け切らないうちに目が覚めた時、全身が痛かった。床からベッドの中へと場所が変わっていた。抱え込んでいたはずが反対に抱え込まれていて、だから右腕が痛かったのかと理解する。互いに向き合いながら布団をかぶる時、どうしても身体が重なり合う体勢になるからだ。無理な姿勢とは言わないものの、この狭いベッドで引っ付いていればどこかしら固まったままになる。身体の下で縮こまった右腕を動かすと痺れを感じた。そのさらに下に別の腕の存在を認め、その腕も痺れているのではないかと勝手ながら思う。
 Aiの瞼は瞳を隠していた。その上を長い前髪が流れて、つい、退けてしまう。正面から見る顔は昨夜出迎えた時の不自然なものではなくなり、見覚えのあるものに戻っている。それだけのことに何故、こんなにも安心するのだろう。
 眺めていると、何も悪いことをしていないのに無性に謝りたくなった。夢のせいかもしれなかった。自分の中で爆発するあの匂いがAiに届く前に一言、悪かった、と告げる必要があった気がしてならない。
 けれども今は夜明け前だから、声は出さないでおく。その分も詫びたい気持ちを上乗せして、誰にも気付かれないようにキスをした。合わさるだけのものではあったけれども、普段ならばそうそうしないことなのでやけに気恥ずかしくなってすぐ離した――はずが離れていなくて、先ほど認めた腕が背に回っていることに気付く。こいつ起きてたな、いつからだ、くそ!
「う、ん……あ、Ai、んっ……」
 繰り返されるたびに深まる。ちゃり、ちゃり、Aiのピアスが踊る。俺とこいつの接点が面になって、強張っていた場所がふやけて、柔らんでいくのが耐えられない。ついでに言えば、しばしば吸い付く音をわざとらしく立てるので、今すぐここから抜け出して暴れたくなった。が、Aiが抱きついてくるので、どこにも行けない手がしがみつくようになるのがまた恥ずかしい。
 そうでもしなければ駄目になっていくのだ、俺が。
「ん、ゆうさく、……ほら」
 唇の隙間で呟かれると、声を咀嚼している気分になる。口開けて、と言外に滲ませる男が怖い。濡れた舌で、俺の舌を探られるのが怖い。あの花火の匂いが伝わってしまうのではないか、俺の内側に飲み込んでおいたものが引きずり出されるのではないか。緊張感に似た感情が、折り重なるキスの合間を縫って滲み出ていく。
 先に至るのはやめてほしい、あの夢がまだ真新しいうちは。
 口角に口付けられたり、唇を食まれたりされて、このまま受容してしまいたい欲が出てくる。だが心臓の近くで、肋骨の隙間から火花がちかちかと不規則に点滅しているのが見え隠れしていた。昨夜燃やした線香花火みたいだった。ぐっ、と抱かれても、早く早くと急かされても、いつもなら折れてしまうところだが今日は駄目だ。この光を知られないようにする義務があるのだと、神から、あるいは夢の中の俺から命じられている確信があったのだ。
 祈りが通じたのか、なかなか舌を許さない俺に痺れを切らしたのか、深まるばかりだった唇がそろそろと離れた。去り際に、れろ、と舐めていったけれど。
「んー残念……でもま、ありがとな遊作。かわいーことしてくれて」
「もう二度としない」
 そう言うとまたキスされた。「遊作がしなくてもオレからするって」にやつく男を拒否することは、できそうにない。
 口付けられている間、霧がかったような意識の隅で思ったことがあった。昨夜の重さの根源は確かに、この男が隠していた怒りだったのだろう。俺に見せたことのない、ともすれば見せたくなかった感情の切れ端は波長となって、アンテナに引っ掛かった。怒りの根っこがどこにあったのか、本当のところは知ることができなかった。
 そうして時間が経過して甘く苦い匂いが完全に消えても、季節が変わっても波長だけが残っている。再びやってきた夏の、血を薄く延ばしたような赤い空を見上げながら考える。今年もし、尊から花火に誘われたらどう理由をつけて断ろう? どう断っても怪しまれそうであったけれど、尊のことだから深追いはしてこないのだろう。おそらくもうすることのできない花火大会をひとり追悼した。
 俺がこんなに色々思案しているというのに、当の本人は「プレゼント」と言って火薬を使用した香水を渡してくるのだから困りものだ。七夕のことだった。あんなに嫌がっていた記憶はどこへ捨ててきたのか、苦手を克服したいのかはたまた諦めが悪いのか、判断できない奴である。俺に渡したくせに自分もつけるというので、それでは贈り物の意味がないのでは、と言及したら拗ねられたのでもう言わない。
 それでも、互いに同じ匂いになった日から、火花散る煙たい夢を見ることはなくなった。



(了)畳む