カレーは甘いか中辛か・Aiの夢の話。#Ai遊 #現代パラレル 続きを読む 牛肉鶏肉豚肉合挽き肉ベーコンシーフードその他もろもろのタンパク源を提示したもののAiはすべてに首を振る。くたびれたTシャツに描かれた『Go to Hell.』の文字を見るたびに、遊作は「新しい服を買ったほうがいい」と言っているのだが、今日もAiは同じシャツを着ていた。青年が気に入っているらしい黒のジーンズはとても似つかわしいので文句が言いづらい。「無理、マジで決まらねえ。なんかどれも同じっていうか違い? 美味さ? そういうの分かんない」「なら何も入ってないカレーでいいな。尊に殴られるのはお前だ」「ごめんオレが悪かったそれは虚無過ぎるし殴られたくもない」 閉店間際の『蛍の光』に遊作は焦っていた。「さっさとしろ! 尊に怒られる」「ごめんってばえーとじゃあ牛肉、この高いやつ!」間もなく金曜夜二十一時、何故これからカレーを作る予定が入っているのか遊作は先週の自分を思い出し、その面を思い切りはたいた。何を、尊が食べたいと言ったからだろう! どうにも尊とAiには甘いのが遊作の弱点だった。 冷蔵ケースの中で最もグラム単価が高い肉をマラソン選手の給水ポイントよろしく引っ掴み、足早に会計へと向かう。無人レジどころか店内のどこにも客はいない、もうすぐ自動防犯機能で出入口のシャッターが下されるだろう。そうなれば今夜の食事は無し――それは絶対に阻止しなければならない。アパートでは尊が下ごしらえをして待っている(二人は包丁所持禁止令が出ていた)はずなのだから。「鴻上了見のIDで支払っちゃお」 スマートウォッチをレジの端末へ掲げるのを、遊作は横目で見ていた。ベルト横にぼこっと出た手首の骨が、実のところ好みである。Aiの体格は一般的な青年のものと比較して決して筋肉質というわけではないが、そのわりに例えば胸板を押しても全く倒れないところや、買い出しの荷物持ちで段ボール箱を抱え上げるところが遊作にとっては端的に言って良かった。羨ましいと言い換えてよい、自分にないものを相手に求めるというのは遊作の悪癖のひとつであった――そしてAiはその癖を熟知している。肌寒い今日、Aiがわざわざ半袖のTシャツを着ているのはそのためだ。「あとでお前が了見に自己申告しろよ」「そこで止めないのが遊作様だよな」 からから笑うAiの掌でレシートが潰された。目もくれず、ぐしゃっという音とともにごみ屑になった紙に、遊作の頭には先日Aiによって処理された害虫が思い起こされる。 Aiの中には『大切なもの』ボックスと『それ以外』ボックスがあるらしかった。価値がないものだと認定されると、迷惑メールが迷惑メールボックスに振り分けられるように『それ以外』ボックスへと入れられる。そこへ入れられたら最後、人物事象にかかわらず死ぬまで(あるいは消えるまで)存在しないことと同義だ。Aiにとっては目の前に現れるものを仕分けするだけの単純作業。生きる価値を己で示せられるものだけが、青年の矛から逃れられる。 そうして遊作は自分が『大切なもの』ボックスに入れられていることを理解していないまま、Aiを拾ってもう半年になる。いまだに「こいつの収入源はどこなんだろうか」と思いながらも、また多方面から忠告を受けながらも、狭いアパートに青年が居座ることを許容している。 『蛍の光』は店内に流れ続けていた。尊のバイトが終わる時間に合わせるとどうしても遅くなるものの、こういう時間が遊作は嫌いではない。ただこの同居人が毎度保護者面でついてくることはどうにかしたい、と思っている。「十八歳未満は夜間に出歩いちゃいけませーん」と言われてしまえば反論できないのを分かっていて、Aiはいつもついてくる。「あ」 同居人が肉のパックをエコバッグに突っ込むのと同時に、遊作のスマートフォンが鳴った。ジーンズのポケットから取り出す。画面を確認し、再び「あ」という短い声。「何だよ」「了見からだ……『不正利用するのはいい加減にやめろ訴えるぞ。こんな時間に肉だけを買うとはどんな生活をしているのか理解できない。今から向かう。』……だそうだ」「は? コメ足りる?」 言い終わると同時に、蛍の光が終わった。金属板をチェーンソーで切ろうとしているようなけたたましい音に、Aiの叫び声が重なる。「やべ閉まる!!」遊作はゴールテープを切る最終ランナーの気分で全力疾走した。 開いたAiの目には何も映っていなかった。何処かの安全な国で、何も悩まず何にも苦しめられないただの青年Aiはいない。遊作と尊に怒られながら生活費を工面したり、鴻上了見に時々本気で遊作のアパートから出ていくよう言われたり、雨が降った日に濡れた遊作の頭をタオルで拭いたりした自分は瞼のなか、データとして消えてしまった。広がる暗闇には自分の虚像が、朧げなのに確かな存在感をもって寝そべっている。ネットワーク上の画像にあった、象に似ていると思った。それを端から切り取って食し、自分の中身全てとそっくり入れ換えることができたなら、自分は自ら作り上げた夢のAiになれるかもしれない。そう思ってみるが、本当に自分であるのか保証できないまま第二のAiが生まれるだけだ。新たな『Ai』に遊作との記憶を導入したところで、ただのコピーとなった自分が『それ以外』ボックス行きになることは確実だった。 カレー食いたいなぁ。 0か1の世界の中で、Aiは再び目を閉じることにした。データはここにある。カレーは甘口が良いと、あの遊作に伝えないと。なにせ食べたことがないのだ。畳む VRAINS 2023/06/10(Sat)
・Aiの夢の話。
#Ai遊 #現代パラレル
牛肉鶏肉豚肉合挽き肉ベーコンシーフードその他もろもろのタンパク源を提示したもののAiはすべてに首を振る。くたびれたTシャツに描かれた『Go to Hell.』の文字を見るたびに、遊作は「新しい服を買ったほうがいい」と言っているのだが、今日もAiは同じシャツを着ていた。青年が気に入っているらしい黒のジーンズはとても似つかわしいので文句が言いづらい。
「無理、マジで決まらねえ。なんかどれも同じっていうか違い? 美味さ? そういうの分かんない」
「なら何も入ってないカレーでいいな。尊に殴られるのはお前だ」
「ごめんオレが悪かったそれは虚無過ぎるし殴られたくもない」
閉店間際の『蛍の光』に遊作は焦っていた。「さっさとしろ! 尊に怒られる」「ごめんってばえーとじゃあ牛肉、この高いやつ!」間もなく金曜夜二十一時、何故これからカレーを作る予定が入っているのか遊作は先週の自分を思い出し、その面を思い切りはたいた。何を、尊が食べたいと言ったからだろう! どうにも尊とAiには甘いのが遊作の弱点だった。
冷蔵ケースの中で最もグラム単価が高い肉をマラソン選手の給水ポイントよろしく引っ掴み、足早に会計へと向かう。無人レジどころか店内のどこにも客はいない、もうすぐ自動防犯機能で出入口のシャッターが下されるだろう。そうなれば今夜の食事は無し――それは絶対に阻止しなければならない。アパートでは尊が下ごしらえをして待っている(二人は包丁所持禁止令が出ていた)はずなのだから。
「鴻上了見のIDで支払っちゃお」
スマートウォッチをレジの端末へ掲げるのを、遊作は横目で見ていた。ベルト横にぼこっと出た手首の骨が、実のところ好みである。Aiの体格は一般的な青年のものと比較して決して筋肉質というわけではないが、そのわりに例えば胸板を押しても全く倒れないところや、買い出しの荷物持ちで段ボール箱を抱え上げるところが遊作にとっては端的に言って良かった。羨ましいと言い換えてよい、自分にないものを相手に求めるというのは遊作の悪癖のひとつであった――そしてAiはその癖を熟知している。肌寒い今日、Aiがわざわざ半袖のTシャツを着ているのはそのためだ。
「あとでお前が了見に自己申告しろよ」
「そこで止めないのが遊作様だよな」
からから笑うAiの掌でレシートが潰された。目もくれず、ぐしゃっという音とともにごみ屑になった紙に、遊作の頭には先日Aiによって処理された害虫が思い起こされる。
Aiの中には『大切なもの』ボックスと『それ以外』ボックスがあるらしかった。価値がないものだと認定されると、迷惑メールが迷惑メールボックスに振り分けられるように『それ以外』ボックスへと入れられる。そこへ入れられたら最後、人物事象にかかわらず死ぬまで(あるいは消えるまで)存在しないことと同義だ。Aiにとっては目の前に現れるものを仕分けするだけの単純作業。生きる価値を己で示せられるものだけが、青年の矛から逃れられる。
そうして遊作は自分が『大切なもの』ボックスに入れられていることを理解していないまま、Aiを拾ってもう半年になる。いまだに「こいつの収入源はどこなんだろうか」と思いながらも、また多方面から忠告を受けながらも、狭いアパートに青年が居座ることを許容している。
『蛍の光』は店内に流れ続けていた。尊のバイトが終わる時間に合わせるとどうしても遅くなるものの、こういう時間が遊作は嫌いではない。ただこの同居人が毎度保護者面でついてくることはどうにかしたい、と思っている。「十八歳未満は夜間に出歩いちゃいけませーん」と言われてしまえば反論できないのを分かっていて、Aiはいつもついてくる。
「あ」
同居人が肉のパックをエコバッグに突っ込むのと同時に、遊作のスマートフォンが鳴った。ジーンズのポケットから取り出す。画面を確認し、再び「あ」という短い声。
「何だよ」
「了見からだ……『不正利用するのはいい加減にやめろ訴えるぞ。こんな時間に肉だけを買うとはどんな生活をしているのか理解できない。今から向かう。』……だそうだ」
「は? コメ足りる?」
言い終わると同時に、蛍の光が終わった。金属板をチェーンソーで切ろうとしているようなけたたましい音に、Aiの叫び声が重なる。「やべ閉まる!!」遊作はゴールテープを切る最終ランナーの気分で全力疾走した。
開いたAiの目には何も映っていなかった。何処かの安全な国で、何も悩まず何にも苦しめられないただの青年Aiはいない。遊作と尊に怒られながら生活費を工面したり、鴻上了見に時々本気で遊作のアパートから出ていくよう言われたり、雨が降った日に濡れた遊作の頭をタオルで拭いたりした自分は瞼のなか、データとして消えてしまった。広がる暗闇には自分の虚像が、朧げなのに確かな存在感をもって寝そべっている。ネットワーク上の画像にあった、象に似ていると思った。それを端から切り取って食し、自分の中身全てとそっくり入れ換えることができたなら、自分は自ら作り上げた夢のAiになれるかもしれない。そう思ってみるが、本当に自分であるのか保証できないまま第二のAiが生まれるだけだ。新たな『Ai』に遊作との記憶を導入したところで、ただのコピーとなった自分が『それ以外』ボックス行きになることは確実だった。
カレー食いたいなぁ。
0か1の世界の中で、Aiは再び目を閉じることにした。データはここにある。カレーは甘口が良いと、あの遊作に伝えないと。なにせ食べたことがないのだ。畳む