春の馬鹿者・了見→幼児遊作の倫理観やばい話です。・誘拐話です。#了遊 #現代パラレル 続きを読む 春のなかに幻を見ていた。了見にとって今年で二度目のことだった。 桜が咲き誇る光景がそれを見せていたのかもしれない。あれからもう一年が経過したのか、仕込みに時間が掛かってしまったな――茫洋とした過去に思考が囚われそうになる。しかしながら了見の右手に繋がれた小さな手が引力を以てそうはさせなかった。歩みを進めるのが丘まで続く遊歩道で、二時間前にその小さい手をひいて事を始めたのだと思い出させる。 再び右手が微かに揺れた。「お兄ちゃん」「少し待て」青年を自分に近づけんとする一切の努力が、それが無駄になるさまが、彼にとっては堪らなかった。蟻が大木を運ぶがごとく圧倒的な差があるにもかかわらず、子どもはいつも了見を引き寄せる。だが引き寄せると言っても、幼い力では青年の指先をほんの少し引くことしかできない。にもかかわらず諦めず、何度も何度も行われるのは芸術的な様式美に似ていた。水泡に帰すための。そこに了見が見出すのは愛おしさの類では到底なかった。焼き潰した自身の精神を幾度も練って、固め、ぎとぎとした欲望に混ぜ合わせたものだった。蓋をこじ開けてくるのはいつも、この非力な子どもを自分ひとりしか知らない世界に留めておきたい、そんな馬鹿げた庇護欲である。少なくとも了見は、それらが客観的事実として異常であり、自らが正しい人間の規範から外れていることを理解していた。 この遊歩道が人の道ならば、本日をもって私は逸脱し、解脱したのだ。いいや正しくは、一年前のあの日からだったかもしれぬ。 人でなしと蔑まされることなど了見にとっては問題にはなり得ない。問われれば「だから?」と返すだろう。裏付けるように、今日に至るまでの三百六十五日、この計画をやめるという選択肢が青年の中に浮かぶことは一度もなかった。「お兄ちゃん、お腹すいたの?」「何故そう思った」「ここにシワがあるから」 おとうさんはお腹すいた時いつもそうしてる。遊作の右手がその眉間を指差す。無論、遊作の眉間には皺などなく、了見の顔にだ。眉間を撫でて皺を伸ばす。ついでに笑顔のひとつでも浮かべられれば良かったかもしれないが、あいにく青年の表情にはその機能が付与されていない。「腹が減ったわけではないが、喉が乾いたかもしれんな。座って何か飲むか」「うん」 嘘だった。了見は遊作の希望を汲んだまでだ。途中「足がちょっと痛い」と訴えることはあっても、ほとんどを自分の足で歩いていた。花、花、花の遊歩道を休まずに進んできたから、子どもの体力から鑑みるにそろそろ喉の渇きを訴える頃合いだろうと踏んだに過ぎない。春の昼下がりが輪をかける。この時期にしては例年よりも気温が高かった。 振り返れば、もうどこにも人など居ない。桜の香りが彼らを覆い隠していた。遊作がいた公園からここまで大人の足で三十分以上は必要で、それを見込んで青年の計画は進んでいる。遊作の両親が子どもの不在に気付いているかもしれない、しかしすべてが遅かった。焦燥や不安が、幼児の父と母に襲いかかっていたとしてもどうでもよく、どうでもいい人間に対して思案する時間など了見にとって意味のない行為に等しく、彼の脳は再び目の前の事柄を捉えた。 丘の頂上まで僅かだ。越えれば、その向こう側から降りて停めてある車に乗ればよい。時間的猶予は残されている、ここらで休んでも何ら問題はあるまいと判断して芝生に腰を下ろす。「来い」膝の間に遊作を座らせ抱き込むと「眠いの?」と声がした。「何故そう思った」「おかあさん、いつも寝るまえにこうしてる」 それは眠いからではなく愛おしさからであろうな、一般的に親は子を抱き締めたりするらしい――言葉は了見の口から出ることはなかった。一般的な親がどうするか知識として知っていても経験として知らぬ、研究に執心する自身の父親は一般的な親ではなかったので。 答える代わりに鞄の中からペットボトルを取り出し、蓋を開けて手渡す。「水?」「水ではない、砂糖とカリウムが入った水だ」「水なんだ」子どもは笑う。つられて笑いそうになるが、青年の表情が機能不全であるがゆえにうまく実行されなかった。鞄を開けた時、仕分けられた空間に『一般的』とはかけ離れたものが見えて、そういえば自分も同類なのであったなと再認識した。薬、ナイフ、工具にロープ。そして足のつかない資金洗浄済の現金。一気に現実が目に入ってきて、了見は無意識に視線を外した。彼にとって防衛反応だったかもしれない、幻を守るための。夢を見るための。 再び正面を向くと遊作の頭がある。うなじに鼻を埋めた。すん、と嗅いでみると、不快さの入る隙間などこれっぽっちもない体臭がして、了見の肺を内側からくすぐる。大人ならばこうはいくまい、汗や脂の匂いが混じって悪臭になる(青年はそれを嫌悪していた)。初めて体感する匂いに青年のこめかみは震えた。鼻先に触れる柔らかい髪。腕が触れている至る所から感じる体温。五感すべてで遊作を味わう。瞬間、喉から腰にかけて悪寒にも似た感覚が走り抜けて、中毒死するなら今が良いとまで思った。だが死ぬわけにはいかない。飴色の痺れに、青年は幻がようやくかたちを持ったことを実感したのだった。 去年。遊作が自分に声を掛けなければこうはならなかった、今日を迎えることなかった、今日を迎えようと思うこともなかった。私に関わるからこうなる。関わらなければ良かったのだ。ひとらしい感情、ひとらしい人格を何ひとつ教えられてこなかった私に――。 すべてが遅かったのはどちらであったろう。「一年前の今日、私に言ったことを覚えているか」「んん?」 ペットボトルから口を離して、遊作が了見を振り返る。瞬きをした瞳から翡翠を砕いたような輝きが溢れて、春の光に反射した。こんなにも近くで見るのは初めてで、了見の脳はくらりと揺れた。光の中には自分しか映っていなくて、これからも自分しか映らないのだと思うと、心臓が俄かにやかましくなる。その時彼の脳は、これが歓喜によるものだと理解した。まったく遊作は常に新たな知見をもたらす。歓喜! 歓喜とはこれほどのものか!「……覚えてない」「君は『お兄ちゃんになって』と言ったのだ、思い出せ」「そうだっけ?」「それから毎週、ひと月に約四回、十二ヶ月間、あそこの公園で遊んだな。合計で四十八回だ」 麓の公園を指差す。青年には取り残された小さな楕円にしか見えなかった。「そうなの?」「そうだ」「かけ算まだちゃんとできない」「安心しろ、私が教えてやる。勉学だけではない、すべてだ」「了見お兄ちゃんはかしこいよね」「当然だ、君の本当の兄になるのだからな」「えっ? それってどう……い……あ、れ……」 おもむろに遊作の手からペットボトルが落ちた。緩慢、かつ一瞬間のことである。草むらに跳ね、液体を撒き散らしながら転がるそれを了見の足がぞんざいに止める。拾って中身を捨てると手元で水が跳ねた。薬とは存外効くものだな、と少し感心し、乱雑に鞄へと突っ込む。「こういうことだ、遊作」 幸福の塊に頬を寄せる。目尻へ口付けると子ども特有の柔らかい肉感が伝達され、あたかも成熟した果実のようにかぐわしく、甘美で、了見を惑わせた。脱力した子どもの重みに、この中には魂の重量は含まれているのだろうか? と逡巡する。答えはすぐに出た。そうでないと困るからだ。遊作を構成する一部たりともすり抜けてはならない。深い眠りに溺れた子どもを、青年の腕が抱きかかえた。水面に映る景色を掬いあげ、瓶詰にして閉じ込めるように。 風が吹く。桜が散る。春の幻はとうに見えなくなっていた。畳む VRAINS 2023/06/10(Sat)
・了見→幼児遊作の倫理観やばい話です。
・誘拐話です。
#了遊 #現代パラレル
春のなかに幻を見ていた。了見にとって今年で二度目のことだった。
桜が咲き誇る光景がそれを見せていたのかもしれない。あれからもう一年が経過したのか、仕込みに時間が掛かってしまったな――茫洋とした過去に思考が囚われそうになる。しかしながら了見の右手に繋がれた小さな手が引力を以てそうはさせなかった。歩みを進めるのが丘まで続く遊歩道で、二時間前にその小さい手をひいて事を始めたのだと思い出させる。
再び右手が微かに揺れた。「お兄ちゃん」「少し待て」青年を自分に近づけんとする一切の努力が、それが無駄になるさまが、彼にとっては堪らなかった。蟻が大木を運ぶがごとく圧倒的な差があるにもかかわらず、子どもはいつも了見を引き寄せる。だが引き寄せると言っても、幼い力では青年の指先をほんの少し引くことしかできない。にもかかわらず諦めず、何度も何度も行われるのは芸術的な様式美に似ていた。水泡に帰すための。そこに了見が見出すのは愛おしさの類では到底なかった。焼き潰した自身の精神を幾度も練って、固め、ぎとぎとした欲望に混ぜ合わせたものだった。蓋をこじ開けてくるのはいつも、この非力な子どもを自分ひとりしか知らない世界に留めておきたい、そんな馬鹿げた庇護欲である。少なくとも了見は、それらが客観的事実として異常であり、自らが正しい人間の規範から外れていることを理解していた。
この遊歩道が人の道ならば、本日をもって私は逸脱し、解脱したのだ。いいや正しくは、一年前のあの日からだったかもしれぬ。
人でなしと蔑まされることなど了見にとっては問題にはなり得ない。問われれば「だから?」と返すだろう。裏付けるように、今日に至るまでの三百六十五日、この計画をやめるという選択肢が青年の中に浮かぶことは一度もなかった。
「お兄ちゃん、お腹すいたの?」
「何故そう思った」
「ここにシワがあるから」
おとうさんはお腹すいた時いつもそうしてる。遊作の右手がその眉間を指差す。無論、遊作の眉間には皺などなく、了見の顔にだ。眉間を撫でて皺を伸ばす。ついでに笑顔のひとつでも浮かべられれば良かったかもしれないが、あいにく青年の表情にはその機能が付与されていない。
「腹が減ったわけではないが、喉が乾いたかもしれんな。座って何か飲むか」
「うん」
嘘だった。了見は遊作の希望を汲んだまでだ。途中「足がちょっと痛い」と訴えることはあっても、ほとんどを自分の足で歩いていた。花、花、花の遊歩道を休まずに進んできたから、子どもの体力から鑑みるにそろそろ喉の渇きを訴える頃合いだろうと踏んだに過ぎない。春の昼下がりが輪をかける。この時期にしては例年よりも気温が高かった。
振り返れば、もうどこにも人など居ない。桜の香りが彼らを覆い隠していた。遊作がいた公園からここまで大人の足で三十分以上は必要で、それを見込んで青年の計画は進んでいる。遊作の両親が子どもの不在に気付いているかもしれない、しかしすべてが遅かった。焦燥や不安が、幼児の父と母に襲いかかっていたとしてもどうでもよく、どうでもいい人間に対して思案する時間など了見にとって意味のない行為に等しく、彼の脳は再び目の前の事柄を捉えた。
丘の頂上まで僅かだ。越えれば、その向こう側から降りて停めてある車に乗ればよい。時間的猶予は残されている、ここらで休んでも何ら問題はあるまいと判断して芝生に腰を下ろす。「来い」膝の間に遊作を座らせ抱き込むと「眠いの?」と声がした。
「何故そう思った」
「おかあさん、いつも寝るまえにこうしてる」
それは眠いからではなく愛おしさからであろうな、一般的に親は子を抱き締めたりするらしい――言葉は了見の口から出ることはなかった。一般的な親がどうするか知識として知っていても経験として知らぬ、研究に執心する自身の父親は一般的な親ではなかったので。
答える代わりに鞄の中からペットボトルを取り出し、蓋を開けて手渡す。「水?」「水ではない、砂糖とカリウムが入った水だ」「水なんだ」子どもは笑う。つられて笑いそうになるが、青年の表情が機能不全であるがゆえにうまく実行されなかった。鞄を開けた時、仕分けられた空間に『一般的』とはかけ離れたものが見えて、そういえば自分も同類なのであったなと再認識した。薬、ナイフ、工具にロープ。そして足のつかない資金洗浄済の現金。一気に現実が目に入ってきて、了見は無意識に視線を外した。彼にとって防衛反応だったかもしれない、幻を守るための。夢を見るための。
再び正面を向くと遊作の頭がある。うなじに鼻を埋めた。すん、と嗅いでみると、不快さの入る隙間などこれっぽっちもない体臭がして、了見の肺を内側からくすぐる。大人ならばこうはいくまい、汗や脂の匂いが混じって悪臭になる(青年はそれを嫌悪していた)。初めて体感する匂いに青年のこめかみは震えた。鼻先に触れる柔らかい髪。腕が触れている至る所から感じる体温。五感すべてで遊作を味わう。瞬間、喉から腰にかけて悪寒にも似た感覚が走り抜けて、中毒死するなら今が良いとまで思った。だが死ぬわけにはいかない。飴色の痺れに、青年は幻がようやくかたちを持ったことを実感したのだった。
去年。遊作が自分に声を掛けなければこうはならなかった、今日を迎えることなかった、今日を迎えようと思うこともなかった。私に関わるからこうなる。関わらなければ良かったのだ。ひとらしい感情、ひとらしい人格を何ひとつ教えられてこなかった私に――。
すべてが遅かったのはどちらであったろう。
「一年前の今日、私に言ったことを覚えているか」
「んん?」
ペットボトルから口を離して、遊作が了見を振り返る。瞬きをした瞳から翡翠を砕いたような輝きが溢れて、春の光に反射した。こんなにも近くで見るのは初めてで、了見の脳はくらりと揺れた。光の中には自分しか映っていなくて、これからも自分しか映らないのだと思うと、心臓が俄かにやかましくなる。その時彼の脳は、これが歓喜によるものだと理解した。まったく遊作は常に新たな知見をもたらす。歓喜! 歓喜とはこれほどのものか!
「……覚えてない」
「君は『お兄ちゃんになって』と言ったのだ、思い出せ」
「そうだっけ?」
「それから毎週、ひと月に約四回、十二ヶ月間、あそこの公園で遊んだな。合計で四十八回だ」
麓の公園を指差す。青年には取り残された小さな楕円にしか見えなかった。
「そうなの?」
「そうだ」
「かけ算まだちゃんとできない」
「安心しろ、私が教えてやる。勉学だけではない、すべてだ」
「了見お兄ちゃんはかしこいよね」
「当然だ、君の本当の兄になるのだからな」
「えっ? それってどう……い……あ、れ……」
おもむろに遊作の手からペットボトルが落ちた。緩慢、かつ一瞬間のことである。草むらに跳ね、液体を撒き散らしながら転がるそれを了見の足がぞんざいに止める。拾って中身を捨てると手元で水が跳ねた。薬とは存外効くものだな、と少し感心し、乱雑に鞄へと突っ込む。
「こういうことだ、遊作」
幸福の塊に頬を寄せる。目尻へ口付けると子ども特有の柔らかい肉感が伝達され、あたかも成熟した果実のようにかぐわしく、甘美で、了見を惑わせた。脱力した子どもの重みに、この中には魂の重量は含まれているのだろうか? と逡巡する。答えはすぐに出た。そうでないと困るからだ。遊作を構成する一部たりともすり抜けてはならない。深い眠りに溺れた子どもを、青年の腕が抱きかかえた。水面に映る景色を掬いあげ、瓶詰にして閉じ込めるように。
風が吹く。桜が散る。春の幻はとうに見えなくなっていた。畳む