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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

人形師の家
・鬼柳さんのおつかいに行った時にアンドロイドブルーノに出会うジャックの話。
#ブル遊 #現代パラレル

 子供の頃から俺はその家をお化け屋敷と呼んでいた。外観がまるで化け物の髪のように蔦に巻かれていてそれは屋敷と呼ぶには小さすぎる家の窓まで及んでいた。そのためにガラスの半分しか確認することが出来ず、日光を避けているようにも思えるその具合が俺にとってはおぞましい何かを隠しているようにしか思えなかったのだ。
 主の男は若く玄関先に出て掃除をしたり路地裏を散歩したりする姿は時折見掛けたが、あまり老け込まない様子が更にその男を魔法使いの如く思わせた。十年経った今でも、男の様子は餓鬼の時の記憶と変わらぬように思う。
 そうして俺は今そのお化け屋敷の居間に居る。
 どうしても渡さなければならない書類があるから、と言われて町内の住民に頼まれ何故か俺が訪れることになったこの家は、意外や意外、内装は一般家庭と何ら変わらなかった。普通のキッチン、普通のソファ、普通のお茶請け。出されたクッキーを齧りながら、俺は机を挟んで向かいに座る男に目を遣った。
「町内会の委任状だったか? 記入したんだが、ここで渡せば良いだろうか」
「あぁ……」
 紺色のジャケットを羽織った黒髪の青年(と思う)は俺から受け取った紙の端をぺりりと切り取った。そう、渡すように依頼されたのは町内会議に関する委任状だった。全く下らない用事だ。主の男、不動遊星は切り取られた短冊状の紙を俺の前に差し出す。不動遊星、と男にしては整った文字が並んでいた。
 羅列を追っていた丁度その時、ひたひたと、俺の背後にあるキッチンから足音が聞こえてきた。ひたひた、ひたひた。住民は目の前の男だけだと思っていたのに、この家には本当に化け物が住んでいたのだろうか。そう背筋がひやりとしたのだが、予想外に柔らかい響きをした青年の声が聞こえてきたのだ。
「お待たせ遊星。豆から挽いてたら時間が掛かっちゃって」
「あぁ、有難うブルーノ」
 ひたりと足音が途絶えたと思うと、俺の左側にぬぅっと男が現れた。真夏の空のような色の髪を僅かに揺らして、そいつは右手に持っていた盆からカップを一つ俺の前に置いた。白地に信号機のような色彩が線を描く上着の裾に湯気が泳いで、芳醇な香りが俺の鼻を擽った。
「どうぞ」
 人の良さそうな笑みで、男は俺に珈琲を勧めた。それから遊星の前にも同様にカップを置いて、自身は再びひたひたと気味が悪い程静かな足音をさせて俺の後ろの方へと下がっていったのだった。同居人が居るとは欠片も知らなかった俺は呆気に取られながらも勧められた珈琲は口に含むことを忘れない(俺は香りの良い珈琲が好きなのだ)。舌の上に広がり、鼻に抜ける香ばしい珈琲の味は美味かった。

 珈琲を飲み干してから、俺は委任状と共にお化け屋敷を出た。今となっては然程おどろおどろしさを感じないその家の玄関へと振り返ると、遊星が見送りに出てきていて軽く手を振っていた。中途半端に上げられた右手が二三回左右に振られる。挨拶を返さぬのも気分が悪くなるような気がして、俺は珈琲の礼も込めて右手を上げた。上げただけで振りはしなかったが、それでも遊星は一瞬ひどく驚いた表情を浮かべてから、それはそれは嬉しそうに、そして満足気に笑って家の中へと戻っていった。
 不思議な人間だった。年齢も聞いたことがなかったし、生い立ちなんてもっと知らない。その不明さが遊星という人間を奇妙な存在にさせた。あの家だけが時間軸の外れに投げ出されたような感覚を味わいながら路地を真っ直ぐ進む。足元に浮遊感を感じるのは遊星の魔術の名残なのだろうか。そんな可笑しなことを考えながら、途中の道を曲がり、委任状を依頼した知り合いのところへ向かった。
 知り合いはノックに反応して直ぐに出てきた。爺のように白っぽく脱色した髪を掻き毟りつつ、そいつは黒いTシャツに破れたジーンズという格好で「おぉジャックか」等と能天気に言う。
「鬼柳、お前の頼みをきいてきてやったというのに!」
「え? あぁ、あぁ! 助かったわサンキュー」
 紙切れを突きつけてやると鬼柳は笑ってそれを受け取った。ふん、と一つ鼻を鳴らしてやる。
「あと、ブルーノとかいう男の分は貰ってこなかったから自分で行け」
 ぴく、と、鬼柳の指先が止まる。
「え……お前、まさか……その、見たのか?」
「は?」
 ブルーノという単語を発した途端、鬼柳の様子が変わった。そう、まさに化け物を見るような視線を泳がせて俺の返事を伺っている。面食らいながら肯定を返すと、鬼柳は溜息をついて左手を顔の正面で振った。
「そいつの分はいらねーよ。つか、もう忘れとけ」
「……どういう意味かさっぱり分からん」
 自分だけ知らない真実が目の前にちらつかされていて苛々させられる。はっきり言うよう促すと、面倒くさそうな声が返ってきた。
「あー……そうか、お前内輪以外の人間と喋るの嫌いだったから知らねんだったわ。あのな、そいつは人形だ」
「はあ?」
「だから、人形だっての。まぁロボットだ。機械人形」
「……あんな、あんなに、なめらかに、動くものが、か」
「見たやつなんて、今じゃ多分お前だけだろうよ。俺だって昔人づてに話聞いただけだ、実際見たことなんかねぇ。でも等身大の人形を家に住まわして、町民とはほとんど関わり持たない男なんて、変な話ばっか流れるに決まってんだろ。きっとどっかおかしいんだ、不動遊星さんはよ」
 ま、自分がどう思われてるかなんて本人は重々把握してるだろうがな。鬼柳はそう言って、この話は終わりだと言わんばかりに一方的に扉を閉めて家の中へと帰っていってしまった。俺はというと衝撃が全身を打ち砕いたように動けず、けれども一つ風が吹けば崩れそうな程眩暈がしていた。
 あの青年が、ロボットだ、など。
 余りに自然に動いていたものだったから、疑問を抱く隙など有りはしなかったのだ。然しながら思い返せば、ブルーノだけは珈琲を飲まず、気配という気配が薄く、見送りにも出てきていなかった。鬼柳の話を信じるならば、遊星が出させなかった、ということ以外考えらない。
 人目に触れさせるには問題がある代物。魂のない空っぽの身体。見た目だけは人間そのものの、人間ではない人形。

 ふらふらと揺れながら路地を引き返した。来た時よりも倍以上の時間を掛けて、ようやく遊星の家の玄関が確認できるところまで来た。其処には誰も居ない。閉じられた黒い扉が、今は開かずの門のように思えてしまう。もう二度とあの中へ入ることはできない気さえした。
 赤い空につられて視線を上げると、二階の窓に掛けられた灰色のカーテンが揺れていた。僅かに窓が開いているらしい。其処から侵入した夕暮れの風が、部屋を隠す境界線を捲り上げる。
 その奥に、重なった青色と黒色を見た。
 自分の視力をこれ程までに呪ったことはない。間違いでなければ、それは接吻だった。ブルーノと遊星との静寂な秘密だった。黒髪に回された手が緩やかに滑るのを、遊星は小さく身を捩って受け止めていた。暴いてはいけない箱を開けてしまったような途方もない罪悪感に責め立てられ、俺は追われる様に一目散に其処から走り去った。
 今でもあの家にはブルーノが居るのだろう。そうして恋人にするような口付けを遊星に与える。人間のように愛情に塗れた、嘘っぱちの人間が、今日も俺の眼球に焼き付いた窓枠から俺を見下ろしている。畳む