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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

ある幽霊について
・ブルーノが幽霊です。
#ブル遊 #現代パラレル

「ちょっと重いんだが」
「あ、ごめん」
 色の剥がれ落ちたトタン屋根のガレージの中は、錆と油と工具の音に満ちている。人一人がバイクの修理用に使用するには十分な広さのその真ん中には、真っ赤に彩られた中型のバイクが鎮座していた。
 赤いボディを丹念に磨き上げる青年、遊星の首には、後ろから両腕が回されている。彼の背後には深緑色の髪を持つ青年がほんわかと微笑みを湛えていた。遊星の右肩に顎を置き、すりすりと犬が甘えるように顔を擦り寄せる。
「……ブルーノ、集中できない」
「はいはい分かったよ。でも遊星って結構残酷なんだね」
「何がだ?」
「重いとか集中できないとか言っちゃって、本当は何も感触はないだろ?」
 その言葉に、遊星の両目が微かに見開かれる。それから伏せて、「気を悪くさせたなら済まない」と、ぽつりと呟いた。

 ブルーノの存在を最初に認識したのは、遊星がこのガレージを見つけて作業所としてから一カ月が経った頃であった。
 学生である遊星は、夜間か休日しか趣味のバイクの整備をすることができない。その日もいつものように深夜近くになってもガレージで作業を行っていた。けれどもそこで一つ困った出来事が起こった。購入してきた部品を一つ失くしてしまったのである。一時間ほどガレージ内を探しても出てこない。もう諦めようと思った時、おずおずと、積み上げられたタイヤの影から青年が出てきたのである。こんな時間にこんな場所で知らない人間と出会うなんて、不審者と捉えるには十分な条件が揃っていた。窃盗犯か、はたまた放火犯か。
「だ、誰だ!!」
「ごごごごごめんなさい! えっと、その、あの、ここ、」
 怪しさ満点の男に臨戦態勢に入っていた遊星であったが、その青年の慌てふためく様子と床のある箇所を指差していることに気付き、その先に視線を動かした。
「……部品?」
 青年の指差した先には、まさに探しものが隠れていたのである。驚愕に部品と青年を何度も見た遊星は、ふと、青年の足元から後ろの壁にかけて違和感を感じた。何かがおかしいはずなのに、その正体が分からない。答えが喉まで出掛かっているのに、あと一つ決定的なスパイスが足りない。さっぱりしない頭に、電球が映し出すタイヤの影と青年が一緒に入り込んだ。その瞬間、遊星は違和感の根源を突き止めたのであった。
 青年には、影がなかった。
 ブルーノという青年は、自分の事を地縛霊だと自己紹介をしてきた。自分はレーサーで、数年前にバイク事故で死んだらしい、と、まるで新聞の隅っこの記事を読み上げるように彼は話した。遊星がバイクをいじっているのを見て、生前の記憶と元来のバイク好きの気持ちが湧き上がってきたのだとも言った。そういえば何時だったかレーサー事故のニュースをバイク雑誌で見た気がする。記憶の奥底から情報を引っ張り上げてきた遊星は、こっそりとその事故について調べることにした。結果、当時の事故現場がガレージの近くであったことが分かり、あの青年霊が記事に掲載されていた写真の人物と相違ないことも判明した。
 それから今年で一年。ブルーノは今や遊星のアドバイザーのような存在になっている。

 ブルーノは度々遊星を驚かしては遊んでいた。ガレージに来る遊星の後ろから突然声を掛けたりというのは日常茶飯事であったが、そうしているうちに慣れてきた遊星に対し、今度は物質に触れないという幽霊特有の能力を使って遊星の身体に触れるふりをするようになった。最近ではじゃれ合うように構ってきて、その様子は犬小屋に留守番させられている犬のようであった。離れていた主人が帰ってくれば犬は甘えるという構図である。もちろん、当人らにはそんな意図は全く有りはしないのだが。
「ボクは今の生活に不自由はしてないよ。君という良い友達もできたしね。ただ、やっぱり未練が強いみたいで、まだまだ成仏できる感じじゃないけど」
 そう言ってブルーノは遊星の隣に胡坐を掻いた。バイクの調整は終わる手前である。最後に工具一式を片付けて、遊星は大きな道具箱をばたんと閉めた。
「俺も、ブルーノが居ると楽しい」
「あはは、幽霊が友達なんてなかなかできない体験だよね。でも、ボクも楽しいよ」
「そうか」
 照れくさそうに笑いながら、ブルーノは白いジップアップジャケットに顎を埋めた。こちらまで照れてしまいそうで、遊星は面映しさを紛らわそうと道具箱を片付けるため立ち上がった。何ともない会話であるのにむず痒くなってしまうのは、ブルーノが持ち合わせているあどけない雰囲気のせいであろうか。
 ガレージの時計は夜中の一時を指している。もう家へ帰らなければならない。遊星はガレージの入り口横のスイッチを押した。かちりという音と共に明りが落とされる。タイヤも、バイクも、遊星の足元からも、室内にある全ての物からは影が消え去った。
 外はひっそりと初秋の空気を抱き抱えていた。僅かながら冷えた風は寂寞とした感覚をもたらしてくる。見上げると空はすっかり高くなっていた。カーディガンに袖を通す遊星の後ろでは、ガレージの入り口でブルーノが「綺麗だなぁ」と声を弾ませている。
「星は見ていて飽きないね」
「星が好きなのか?」
「好きとかって言うよりは、君が居ない時によく見てるから」
 ブルーノはガレージから離れず、活動している間はガレージで過ごしていた。そのため遊星はガレージの入り口で彼と別れる。消灯した室内を確認して扉を閉め、鍵をかければ遊星の一日が終わる。
「バイクに悪戯するなよ」
「酷いなぁ、したくてもできないって。じゃあお休み。寝坊しないようにね」
「あぁ、お休み」
「気を付けて帰ってよ」
 遊星は右手を、ブルーノは左手を掲げてお互い軽く手を振った。遊星の姿が闇夜に溶けるまで、ブルーノは彼を見送っていた。
 扉をすり抜け、今日も役目を無事終えた部屋へと戻る。四角く囲まれた部屋には一つだけ窓があった。ガラスの奥には秋の星座が佇んでいる。常闇に散りばめられた輝かしい欠片も、朝には光に飲み込まれて見えなくなってしまう。それを見る度にブルーノは思った。いつか自分も、こんな風にすぅっと溶けてしまって、遊星の中から失われてしまうのだろうか。
 本来自分はイレギュラーな存在だ。しかし遊星は居なくなれなど一度も言ったことがなかった。ブルーノの存在を完全に受け入れているのである。
「寂しいって、思っちゃ駄目なんだろうか」
 触れたくても触れられないことを。同じ月日を重ねられないことを。楽しいと思う以外に、もうひとつ言えない感情があることを。
 存在しないボクを存在させてくれるなんて、反則だよ。そう呟いて、ブルーノは瞳を閉じた。
 虚空の星が一つ、消えた気がした。畳む