謝肉祭と胃袋の離れがたき関係・どこかの街のテリオフィ。・贈り物でした。#テリオフィ続きを読む 揚げ菓子の粉砂糖が口の端に付いて、指でぬぐってひと舐めした。甘い。「謝肉祭なので、たくさん食べないといけませんよ」 リーフの入った革袋をぎゅっと抱え込んで、神官様はそうおっしゃった。オフィーリア、あんたの気合はどこから来る。そもそも謝肉祭とは何か? という話からなのだが、それについては後ろから長い講釈が聞こえてきそうであったから、もう訊ねるのはやめる。「簡単に言いますと、聖火教会のお祭りです。来週からしばらく食事を制限するので、その前に色々食べておくんです」 そう神官が言ったとおり、立ち寄ったフレイムグレースの大通りには多種多様な店が立ち並んでいた。焼いた仔羊肉を山盛りにした店。のばしたパスタに挽肉入りのトマトソース、それにチーズをのせて焼いた料理を並べた店。その他諸々。中でも謝肉祭でひと際有名なのが、先ほど口に放り込んだ揚げ菓子らしい。これでもかというくらいに粉砂糖がまぶしてあり、甘い。のだが、レモンの風味がしてくどくない。「生地にレモンの皮が入っているんです。美味しいでしょう?」 否定する気にはなれなかった。粉雪の降る中、大人子供関係なく、皆がこの揚げ菓子を食って笑っているのを見てしまえば。 「口を開けてください」と言われた時に馬鹿正直に開けようとしたのは、こいつが買い込んだ食い物の紙袋で両手が塞がっていたからに他ならない。いい、自分で食う、あんたはあんたの分を食え。それ以外の言葉もすべて言い尽くした。しかし存外しぶとく、根負けせず、オフィーリアは俺にあれやこれや食わせようと躍起になっている。山羊のチーズも食った。シードルも飲んだ。腸詰めも食った。酢漬けのキャベツも食った。それから――これ以上、他に何を食えというのか? 神官の肩越しに薬屋と踊子が口を押さえて(無論、笑いをたずさえて)いるのが目に入り、文句の一つでも言いたくなったものの、目の前に差し出された右手を前にぐっと堪える。だが同時に、開きかけた口もいったん閉じてしまった。それを拒否と受け取ったのか、オフィーリアが残念そうに眉尻を下げたので、視界の端の二人に腹が立った。とりあえず視線で「余計なことはするな」と釘を刺しておく。「リンゴを揚げたお菓子です。さっきお肉を食べましたから、少しは口直しになるかと思って」 一寸先を見ると、親指と人差し指の間に平べったいものが挟まっていた。「衣にくぐらせて揚げてありますが、あまり甘くないと思います」どうぞ、と促す、普段は黒いグローブで隠された手の白さに内心驚く。雪の中でも分かるほどの。店主が付け忘れたのか、そもそもそうやって食うものなのか、フォークはなかった。だからって、そうしてまで食わせようとしなくとも、たとえば持ち帰って宿屋で食うだとか手段はあっただろうに。 もう一度、その手を見据えた。 神官の指先で、食われるのをただ待っている菓子の、なんとひ弱なこと。こげ茶色の生地にひそむ果実の、いまだ体験し得ない味わいへの予感。そして、俺の口が開くのを期待する、オフィーリアの目。 謝肉祭には羽目を外す人間が多くいるという。むしろそれが目的となっている節もあるようで、聖火神が嘆きと説教が今にも聞こえてきそうだった。 ならばその対象者に、俺も含んでおくことだ。そう神様に進言しておこう。しかし、真面目に聞いてやるとは限らない。「……もらっておく」 口を開いて、ばくりと一口。肉食獣が獲物に食らいつくような仕草だったろう。しかし傷つけないように、歯を立てずに、唇で挟み込む。まるで柔い甘噛みのごとく。「あ、」 口内で触れた細い指の、冷たい感触が離れる寸前、舌でひと舐めしてやった。おまけに、指先に口づけを。「ひゃあっ」と声が上がったが、安心しろ、きっと他に奴らには見えていない。何せカーニバルなのだ、皆がみんな夢の中。薬屋も踊子も、学者も剣士も、狩人も商人も、もうすっかり他のことに気を取られてこちらなんぞ見ちゃいない。あんたの食い意地に付き合ってやっているのだから、これくらい安いものだろう。 高い管楽器の音が鳴り響いた。もうすぐ仮装パレードが始まる。明日は俺達も参加するらしい、トレサは仮面の買い付けをして、ハンイットは手製の髪飾りを作ると聞いた。違う自分になれるひと時に身をゆだねれば、うたかたの夢が俺達を飲み込む。この世界から一歩、足を踏み外しても悪くない時間がやってくる。 その前に、オフィーリアに言っておくべきなのだろうか。あんたがさっき食った菓子に入っていたクリームが、口の端に付いたままだということを。 カーニバルはまだ終わらない。畳む OCTR 2023/06/09(Fri)
・どこかの街のテリオフィ。
・贈り物でした。
#テリオフィ
揚げ菓子の粉砂糖が口の端に付いて、指でぬぐってひと舐めした。甘い。
「謝肉祭なので、たくさん食べないといけませんよ」
リーフの入った革袋をぎゅっと抱え込んで、神官様はそうおっしゃった。オフィーリア、あんたの気合はどこから来る。そもそも謝肉祭とは何か? という話からなのだが、それについては後ろから長い講釈が聞こえてきそうであったから、もう訊ねるのはやめる。
「簡単に言いますと、聖火教会のお祭りです。来週からしばらく食事を制限するので、その前に色々食べておくんです」
そう神官が言ったとおり、立ち寄ったフレイムグレースの大通りには多種多様な店が立ち並んでいた。焼いた仔羊肉を山盛りにした店。のばしたパスタに挽肉入りのトマトソース、それにチーズをのせて焼いた料理を並べた店。その他諸々。中でも謝肉祭でひと際有名なのが、先ほど口に放り込んだ揚げ菓子らしい。これでもかというくらいに粉砂糖がまぶしてあり、甘い。のだが、レモンの風味がしてくどくない。
「生地にレモンの皮が入っているんです。美味しいでしょう?」
否定する気にはなれなかった。粉雪の降る中、大人子供関係なく、皆がこの揚げ菓子を食って笑っているのを見てしまえば。
「口を開けてください」と言われた時に馬鹿正直に開けようとしたのは、こいつが買い込んだ食い物の紙袋で両手が塞がっていたからに他ならない。いい、自分で食う、あんたはあんたの分を食え。それ以外の言葉もすべて言い尽くした。しかし存外しぶとく、根負けせず、オフィーリアは俺にあれやこれや食わせようと躍起になっている。山羊のチーズも食った。シードルも飲んだ。腸詰めも食った。酢漬けのキャベツも食った。それから――これ以上、他に何を食えというのか?
神官の肩越しに薬屋と踊子が口を押さえて(無論、笑いをたずさえて)いるのが目に入り、文句の一つでも言いたくなったものの、目の前に差し出された右手を前にぐっと堪える。だが同時に、開きかけた口もいったん閉じてしまった。それを拒否と受け取ったのか、オフィーリアが残念そうに眉尻を下げたので、視界の端の二人に腹が立った。とりあえず視線で「余計なことはするな」と釘を刺しておく。
「リンゴを揚げたお菓子です。さっきお肉を食べましたから、少しは口直しになるかと思って」
一寸先を見ると、親指と人差し指の間に平べったいものが挟まっていた。「衣にくぐらせて揚げてありますが、あまり甘くないと思います」どうぞ、と促す、普段は黒いグローブで隠された手の白さに内心驚く。雪の中でも分かるほどの。店主が付け忘れたのか、そもそもそうやって食うものなのか、フォークはなかった。だからって、そうしてまで食わせようとしなくとも、たとえば持ち帰って宿屋で食うだとか手段はあっただろうに。
もう一度、その手を見据えた。
神官の指先で、食われるのをただ待っている菓子の、なんとひ弱なこと。こげ茶色の生地にひそむ果実の、いまだ体験し得ない味わいへの予感。そして、俺の口が開くのを期待する、オフィーリアの目。
謝肉祭には羽目を外す人間が多くいるという。むしろそれが目的となっている節もあるようで、聖火神が嘆きと説教が今にも聞こえてきそうだった。
ならばその対象者に、俺も含んでおくことだ。そう神様に進言しておこう。しかし、真面目に聞いてやるとは限らない。
「……もらっておく」
口を開いて、ばくりと一口。肉食獣が獲物に食らいつくような仕草だったろう。しかし傷つけないように、歯を立てずに、唇で挟み込む。まるで柔い甘噛みのごとく。
「あ、」
口内で触れた細い指の、冷たい感触が離れる寸前、舌でひと舐めしてやった。おまけに、指先に口づけを。「ひゃあっ」と声が上がったが、安心しろ、きっと他に奴らには見えていない。何せカーニバルなのだ、皆がみんな夢の中。薬屋も踊子も、学者も剣士も、狩人も商人も、もうすっかり他のことに気を取られてこちらなんぞ見ちゃいない。あんたの食い意地に付き合ってやっているのだから、これくらい安いものだろう。
高い管楽器の音が鳴り響いた。もうすぐ仮装パレードが始まる。明日は俺達も参加するらしい、トレサは仮面の買い付けをして、ハンイットは手製の髪飾りを作ると聞いた。違う自分になれるひと時に身をゆだねれば、うたかたの夢が俺達を飲み込む。この世界から一歩、足を踏み外しても悪くない時間がやってくる。
その前に、オフィーリアに言っておくべきなのだろうか。あんたがさっき食った菓子に入っていたクリームが、口の端に付いたままだということを。
カーニバルはまだ終わらない。畳む