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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

接吻を眺めて思いに耽るアカネ。
#アカタイ

 崖から落ちそうになっていたらきっとその手をがむしゃらに握って、思い切り引き上げるだろうと信じていた。崖なんてそうそう行かないし実際そんな状況に陥るか? なんて思うが、仮定だ。仮想だ。そこではどんなことでも可能性がある。
 だけど世の中そういうパターン以外もあるらしい。たとえば僕の精神の、抽象的な感情の世界、特定の条件下において――美術の便覧を開いた時に飛び込んできた、口付けの絵画。顔の見えない男が、僕に告げたのだ。
 ともに落ちよ、と。

「何見てるの?」
 蛍光灯のひかりが遮られる。いつもの調子で、タイセイが机を覗き込んでいた。
 教室のざわめきが意識をかき混ぜると同時に、僕の現在位置が自席であったことを思い出す。足元にあるのはただの床で、岩でも崖でもない。メタバース空間でもない。あまりに没入していたのは自己投影していたからなのか。
「クリムト」
「くりむと」
 おそらく分かってない復唱がたどたどしく面白かった。先の授業、美術史の名残りである便覧を閉じる。数学の教科書と入れ替えて、タイセイには「何でもないよ」とだけ返しておいた。腑に落ちない様子には少しだけ申し訳なさを感じたけれども、気付かないでもらいたかった。我ながら呆れるくらいの、どうしようもない仮定と結論には。
 崖の上の恋人たちに投影していたのは僕だけじゃない。もう一人が、キスを甘受していたのが誰であったのかなんて、知らなくていいんだ。
 崖から落ちそうになるほどのあやうさが、僕らを繋いでいる感情のなかで常に渦巻いている。手を取る救いは正義と平穏。けれども、ともに落ちる選択の先には何があるのか、僕はもう知ってしまった。



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