から

@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

狼煙
これ の幕間。
・尊の話。
#Ai遊 #現代パラレル

 Aiの感情アルゴリズムは喜怒哀楽の四つのレイヤーから成る。機械学習を重ねるごとにレイヤーは細胞分裂に類似した動きで細分化され、既定の閾値をオーバーするとアラートが鳴る。鳴った後は俺が閾値を再設定するから、気にせずに質問と回答の記録をしてくれ。
 最初に遊作から「プロンプトエンジニアリングの手伝いをしてほしい」と声が掛かった時、穂村尊は「え? エンジンのプロ? 運転免許は持ってるけど僕整備はできないよ」と返したのだが、その時の遊作の表情を思い出すたびに恥ずかしくて顔を覆いたくなる。遊作はたっぷり十秒の間沈黙して、それから小さく笑ったのだった。改めて内容を説明された後、自分の頬がとてつもなく熱くなって、遊作が困惑の色を浮かべて自分を見ていた、ように思う。何だよエンジンのプロって。
 それから一年と数ヶ月が経過した夏に、アパートを訪れた友人と一体のアンドロイドを前にして、尊は十秒どころかその三倍は時を忘れた。その日までずっとWAN経由でしか接していなかった尊にとって、Aiとは「パソコンの中で人語を操る何かすごいもの」で、遊作からAIの説明を受けても雲をつかむような感じであったし、実体を伴わない架空の存在に近しかったのである。突然見知らぬ顔を連れてやってきて、しかもそれを「息子だ」と紹介する友人に対して、どのように質問すれば自分の疑問は解決するのだろうか? 遊作に肩を叩かれるまで脳内では壮大な戦いが繰り広げられたことを、自分はおそらく一生忘れないであろうと思う。
 開け放たれた窓の奥、先日よりも高くなった空に気付いた時、尊の後ろを夏の始めに起きた印象的な出来事が駆け抜けていった。記憶はそのまま窓の外へ逃げ出して、秋風に巻き込まれながら薄い雲の向こうへと消えていく。「尊ー、こないだ借りたコミック置いとくぜー」間延びした声に、はっと視線を戻した。
「ありがと! えーっと、これで遊作の分は全部かな……ていうか機械学習? がAiだけでうまくいってるなら、僕の質疑応答みたいなのはストップしても良いんじゃない?」
 手元のタブレット機器には縦一列に質問事項と、その右側に回答の入力欄が行儀よく並んでいた。まるで何かのアンケートのようだが、内容は商品の使用感や会社への要望などではなく、単語の意味を問うものから数学の難題、時には思考実験のようなものまで多岐にわたっている。
 AIから正しい回答を得るためには正しい質問を与えていくことが必要であるなどと、尊は考えもしなかった。質問事項は遊作が用意してくれるため、自分はただ機械的に質問し、Aiから出力された内容の正誤を簡単にチェックするだけでよい。模範解答も準備されているところが遊作らしい。多種多様な項目は興味深い内容も含まれていて、作業を行っているとあたかも自分の知識が増えていくように感じることさえあった。
 回答が自動入力されることは、尊にとってありがたかった。Aiの返答には時々自分では理解が難しい単語が含まれていて、それを正しく入力するには時間がどれほどあっても足りない。機器のマイクが音声を自動認識して文字起こしを行う機能があることも、遊作から教えられて初めて知ったのだ。
「質問をする側の声の調子や表情も含めて貴重な情報源なんだ。尊さえ良ければ継続してほしい」
「へー、そういうもんなんだねぇ。僕で良いなら全然大丈夫だよ! あ、でも鴻上には余計なことすんな、って言っといてくれると助かる」
 そう付け加えた尊からスマートフォンの画面を見せられて、遊作は眉間に深く皺を刻んだ。右手のグラスを折り畳み机の上に置き直して、深く溜息をつく。ペットボトルのアイスコーヒーは黒くゆらゆら漂った。
「すまない、よく言っておく」
「あはは、ごめんね……」
 その姿は仕事で気難しい上司に悩まされている時の自分と同じように見えて、自然と親近感が湧いてしまう。
 申し訳なく思わなくもないのだが、自分から鴻上了見へ直接連絡を取るのは極力避けたいのだ。いちいち言われなくとも、今回のように口止め料を振り込まれなくとも(口座を教えた覚えもないのに)、Aiのことを口外するつもりは微塵もない。あの男は遊作を気遣う方法を間違えているのではないか? と思うが、本人が自力が気付くべきことだから、それは言わない。
 Aiの肉体を設計した幼馴染だと聞いているから、遊作の事情もよく知っているのだろう。その上でAiを造ったのであれば、尊はどうしたってその男を許すわけにはいかなかった。
 家族の代わりなんてどこにも存在しない。そのことを、幼かった自分は遊作と箱庭療法を受けながら、カウンセリング仲間としては重苦しい話題だと理解しつつも、よく話していた。『交通事故被害者の会』には遊作はしばらく顔を出していないけれども、自分が引き続きサポーターとして参加していることは遊作も知っている。ただ、何となく当時のことを持ち出すのは気が引けた。遊作がずっとひとりで生きているのに、自分には遠方といえども祖父母が存命していることが、その理由かもしれなかった。
 自分と同じように家族というものの実感が薄い彼が、杓子定規にAiを『普通の家族』に当てはめようとしていないか。それだけが気にかかる。
 彼を、普通の世の中から放り出さない方法が『Aiを造る』以外にもあったと思うのは、外野による勝手な考えだと分かっていても、矛先は鴻上了見に向いてしまう。その身勝手さも、尊は自覚している。
 普通って何か、僕も知らないけど。
 それでもいつかきっと、遊作には自分のしたことを振り返る時がやってくる。その時、Aiを造って「良かった」と言えればいいけれども、もし後悔なんてすることになったら自分は鴻上了見を直接殴りに行くかもしれない。遊作を支えられなかったことを、後悔するかもしれない。
 山積する未来の悪い可能性を振り払うように、尊はひと際大きな声を出した。
「じゃあ、今日の『最後の質問』だね! Ai、こっち来てくれる?」
「おう」
 毎回ひとつだけでいい、尊の好きな質問を出してほしい。自由に質問してほしい。
 遊作の依頼に最初は戸惑った。好きな質問を、と言われてもAiに何を質問したら良いのか、正しい質問とは何か、すべてが黒い霧の中に隠されているかのようで分からなかったが、いくつかアドバイスをもらって何となく方向性――正しいとか正しくないとか考えなくとも良い、ということ――を捉えることができてきた。今日繰り出す質問も、海の底からぷかりと泡が浮かび上がるように、先日の夜思いついたものだ。人間は、ふとした瞬間に目の前を横切る何かを、その正体を追い求める癖がある。それを、AIに聞きたいと考えている。
 十畳程度のワンルームに唯一ある本棚から踵を返し、Aiが尊の前に胡坐をかく。三人が座り込むと丸い座卓を取り囲むようになり、それほど大きくない机は男(うち一体は断定できないが)三人の圧迫感に縮こまっていた。
「さてさて、何でも聞いてくれよな」
「得意気に言うな」
「えー! そこは遊作が自信を持てとか言うとこだろ!」
「まあまあ、僕が一番自信ないんで……えっと、今日はね……『あなたの支えは何ですか?』です!」
 微笑みをひとつ付けて、尊はAiに向き合う。ミラーリングという言葉を知ったのは遊作と出会ってからだった。相手に話しかける時は、親密になればなるほど笑顔を忘れないように。相手が笑顔になってくれるように。Aiと親密になれているかは分からないけれど。
「支え? 支柱じゃねえよな」
「この場合は精神的、心理的なものを指す」グラスの中身を一口含んで、遊作が補足した。「欠けた場合、非常に滅入るような存在のことだ」
「そういうこと。Ai、君を支えているものって何かな?」
「支え、支えねぇ……」
「君を『Ai』というものにしてくれている存在とか」
「遊作」
「え?」
「遊作だな。だってオレを生み出したのは遊作だし。なー?」
「そうだな」
「相変わらず淡泊でありますこと! もー寂しいなぁ、オレは」
 Aiが遊作の肩を抱く。頬と頬がひっつくほどの距離に、まるでそれが当たり前であるかのように遊作はものともしなかったが、尊は違った。正直、密着している二人を見てぎょっとした。しかし遊作のことだ、普段から実際の子ども同然の扱いをしているから、家族であればこのような態度はあって不自然ではないと考えている可能性が高い。だから動じず、普通でいられるのかもしれない。もしかしたらこれもAiの学習の一環なのだろうか? そうであるならば逐一言及するのは野暮だろう。
「そう見えるのならそれで構わない」
「えっ、それって喜んでるってこと?」
「そうかもな」
 その言葉に引きずり込まれるように、青年の腰に抱きついたり擦り寄ったりと、Aiはあからさまな態度で遊作に甘えた。尊の前だから気を許してそうしているのか、はたまた普段からそうなのか、尊には判別がつかない。念のため遊作に視線を送ってみたけれども、尊のほうを見るどころか足元で犬猫のように寝転び始めたAiの髪を撫で付けている。その目尻は確かに緩んでおり、製造されて数ヶ月のアンドロイドをとても大切にしているように見受けられたけれども、遊作を見上げるAiの視線とは何か違っていて、しかし何が異なるのか見極めることができない。
 手元の端末には、回答欄に短く『遊作』とだけ入力されていた。その二文字が、尊には鉛のごとく重く感じた。

 始まりから起算すれば、遊作とAiが過ごした時間は自分とは比較にならないし、ましてや遊作はAiを生み出したのであるから、思い入れもひとしおだろう。だから万が一にも自分がAiを可哀想だと思ってしまったならば、それは遊作を軽んじることになる気がした。見て見ぬふりをすることが「正しくない」ことだと頭では分かっていても、誰かが心を痛めるくらいならば、何も知らないほうがかえって幸福に過ごせる。
 いつどこで死ぬかもしれない人生ならば、少しでも幸せでありたいと思うようになったのは多分、友人と自分の小さな共通点だ。
 並んで帰る遊作とAiの背を見送りながら、尊はアパートのバルコニーにのっそりと上半身をあずけた。のっそりと、スウェットのポケットから電子煙草を取り出して電源を入れる。肺の中身をすっかり出し切ってから、深く吸い込む。
「はぁー……」
 吐き出された蒸気は夕暮れの街並みに溶けて、その白と橙の混じり合った世界は、海を蒸留したような真昼の空が嘘のようだ。
 プロンプトエンジニアとして役立っているのか分からないけれど、二人と過ごす時間は充実しているし、自分も欲しいと思った。駄目になりそうな時に自分を励ましてくれるような、支えになるような何かが。
畳む