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@kai_mutterの二次創作置き場

オタクが常にジャンルを反復横跳びしてる

存在する、こと
・獣をさばくハンイットさんと、それを眺めているサイラス。
・贈り物でした。
#サイハン

「器用なものだね」
「慣れているだけだ」
 命を終えた獣が、彼女の手の中で生まれ変わってゆく。その様は手品師や人形師のたぐいに似ている。心得ない者からすれば打ち捨てられるだけの存在が、新たな命を得る。
「狩りで得たものに、ひとつも無駄な部分などない」

 日暮れには少し早い時間のこと。一同が腰をおろした。次の目的地まで一歩及ばず、今夜は野宿が決まっている。ハンイット君が食糧調達役をかって出てくれたのが半刻前。それからこちらがテントを張り、火をおこし終えるまでに彼女が得たのは、三羽の野ウサギである。リンデの口にくわえられた小さな獣の、釦のごとく丸い瞳。見開かれたまま瞬きひとつしない洞。夕餉の材料とともに戻ってきたのは、空の端に猫の爪のような月が見え始めた頃だった。
「向こうで準備をしてくるから、待っていてくれ」
 準備とは解体のことを指す。ハンイット君がそう言ったのではなく、旅路のなかで、何度かその『準備』に遭遇して理解した。しかし実際に見たことはない、彼女がすっと場を離れるから。
 踵を返したその背を追って見学してもよいかと訊ねたのは、今日が初めてだった。「見ていて楽しいものではないぞ」怪訝そうな顔で返されたが、食い下がる。知的好奇心を言い訳にした。しかし実を言うと、先刻まで生きていたものが彼女の手によって変わっていく様子を、一度この目で見てみたかったのだ。
 血を抜かれ、皮を脱ぎ捨て、骨と離ればなれになってゆく野ウサギ。野ウサギを肉塊へ変えてゆくハンイット君。そのすべての所作において、獣への気遣いが込められているのが私ですら感じ取れる。いや、訂正が必要だ。気遣いなんて生温いものではない。ある種の畏怖。敬意を上回る思念が、肉の筋を断つナイフの切っ先に宿っていた。
 その手捌きは簡潔に述べて、一切の隙間なく並べられた本のように、とても美しかった。彼女が刃を動かし、私はそれを眺める。それだけの時間。ただ時折、私の視線に居心地の悪さを感じるのか、こちらに対して目で小さく抗議されるのを受け流す必要はあったが。
 夜、野ウサギの一部は焼かれ、一部は野菜とともにスープとなって、私達の口へと運ばれた。彼女は手ずから調理していたが、焚き火の橙色に染まったあの瞳は、己が刈り取った命がぐつぐつと煮込まれるのをどんな気持ちで見ていたのだろう。
 かき混ぜられる鍋の底から、野ウサギの生涯が湯気となって立ち昇る――白い煙の中、彼らがこれまでどう生きてきたか描かれ、即座に霧散していくのを想像して、やめた。同情するなら最初から菜食主義者にでもなればよい。私達人間に出来得ることは、感謝と畏怖を抱くこと。彼女が静かに捧げたように。

 狩りをした日はハンイット君の仕事が山積している。まず肉から離れた毛皮を丁寧に洗って干さねばならない。ハンイット君は焚火の傍らでその作業を行っていた。天空に小さな点滅が見える、澄んだ夜。何故こんな夜更けに行うのか疑問だったが、苦笑しながら「オフィーリアやプリムロゼにはあまり見せないほうがいいと思ったんだ」と言われれば、成程彼女なりの遠慮なのだと合点がいく。プリムロゼ君はまだしも(誉め言葉だ)オフィーリア君は多少なりとも抵抗があるだろう。
「あなたは何故寝ないんだ?」
 ハンイット君の声が、立ったままの私に投げかけられた。毛皮を干し終えた彼女の足元にはリンデが控えている。眉間から頭を撫でられるたび、心地よさげにハンイット君へ擦り寄る姿だけを見たならば、牙など飾りの愛くるしい存在にしか思えないのだが。
「キミに依頼したいことがあってね」
「依頼? 仕事か?」
 岩を椅子にする彼女に倣って、私もその隣に腰掛けることにした。もう大きな声を出す時間ではないので。
 焚火を少し見る。自分の内側が均されるのを待ってから、口を開く。
「いつか私が死んだら、私の何かをキミに持っていてもらうことはできるのかな」
「……すまない、意図がよく分からないんだが。何故そんなことを」
「何故だろうね。忘れてほしくないとか、そういう気持ちからではないことは確かだね」
 ただ、と言葉を切る。
「今日。キミが野ウサギを捌いていく姿を見て……その毛皮を見て、思ったんだよ。そんな風にいつか私が終わっても、キミの近くには私の何かが在るのだとすれば、とても嬉しいことだと」
 ハンイット君の身体には、姿かたちを変えた獣達が身につけられている。命を終えても終わらない、心臓を持たない、けれども連鎖しているような。同じように、心寄せる人のそばに在るならば、おそらく私はとこしえに安息を得るだろう。単純な願いだった。私の名残を、その手に抱いてほしいという。
 忘れられてもいい。時の彼方に置いて行かれたとしても。だが何処かで、私のいない世界で、キミが私の『何か』を感じてくれるのであれば――。
 彼女の瞳は炎を受け、淡い光に揺らめいた。私を見据える狩人の目。二、三度まばたきをして、その光を散らす。
「そうだな……なら、そのローブを貰おう」
 彼女の指が、私の身体を指す。
「これかい?」
「生地が丈夫そうだし……あなたを、象徴している気がするから」
 そう言って、ふっと笑った。狩人の目が、私を射抜く人の目に変わる。どちらでも変わらないのは、映り込む私。獣の私。畳む